1997年7月1日から22年目の返還記念日は、かつてない大荒れの一日となった。
荒れるのは最初からわかっていた。拙ブログでも再三取り上げてきた「逃亡犯条例改正」をめぐる特区政府と市民の対立は、どうにもこうにもならない状況に陥っているからだ。そんな「危険水域」で迎えた返還22周年が、荒れないはずはなく、小生も仕事も手につかず、10分おきにスマホを開いては、事の成り行きを見守っていた。これでは仕事にならない。おかげでミス連発だ(苦笑)。
ここ数年来、7月1日には民間人權陣線(民陣)の呼びかけで、特区政府と北京に物申すデモが行われているが、この日は民陣の発表で過去最高の55万人(警察発表19万人)がデモに繰り出した。6月16日の「反送中デモ」での200万人には及ばないまでも、55万人ってすさまじい人数だ。もちろん、この日も「反送中」とそれに関連する抗議の声が響き渡った。
上記は『蘋果日報』調べによる2003年以降の返還記念日のデモ参加者数である。2003年は、「国家安全条例」の立法化に反対するデモに空前の50万人が参加し、同条例は事実上の廃案となり、担当した葉劉淑儀(レジーナ・イップ)は保安局長の座を追われ、翌年には董建華(C.H.トン)行政長官もを職を辞するに至った。
では、今回も同じように香港市民の力量で、「逃亡犯条例改正」を撤回させ、行政長官を辞任に追い込むことがことができるのか? と言えば、これが一向に進まない。
政府は「事実上の廃案」を示すも、「撤回」という言葉が聞かれないため、市民は特区行政長官の林鄭月娥(キャリー・ラム)からその言葉を引き出すまでは、引き下がらないとの決意の下に、毎週のように抗議デモを行っているのが、3月以降の香港だ。
すでに、「逃亡犯条例反対=反送中」デモは、今回を含めると5回実施されており、参加者数も増加の一途をたどっている。返還記念日のこの日は、55万人と前回、前々回と比べて低調ではあったが、それでも55万人である。すごい数字である。にもかかわらず、市民の思いがほとんど特区政府に届いていないような現状は、やはりその先に居る中央政府の胡錦涛と習近平の差であろうと思う。
「林鄭下台=キャリー・ラムは辞めろ」を訴えるデモ参加者だが、そんなもん、おばさん自身では決められない。その判断を下すのは中央政府、すなわち習近平だ。
7月1日は本来なら金紫荊廣場(Golden Bauhinia Square=屋外)で返還記念日の式典が行われるのだが、衝突を避けて「雨天方式」で、セレモニーはに隣接の香港會議展覽中心(Hong Kong Convention and Exhibition Centre=屋内)で、中国国旗と特区旗の掲揚は屋外でということになった。会場の大型モニターには、屋外の国旗掲揚が映されている。これだけでも、香港社会が異常な状況にあることがわかる。
会場周辺には5,000人の警官が配置され、物々しい警備が敷かれた。これにとばっちりを食ったのが、同所で折から開催中だった「優質寵物用品展2019(ペット用品展)」と「香港家居博覧In-Home Expo 2019(家具・家庭用品・家電・建材展)」の2つの展示会。政府の要請で予定を1日繰り上げて閉幕せざるを得なかった。6月30日(日)との連休で多くの来場者を見込んでいたにもかかわらず、40~50%売り上げを失ってしまうことに…。
こうした中で、恒例の7.1デモが行われた。上述の通り、主催者発表で55万人が繰り出した。これまで7月1日のデモは毎年テーマを変えて行われてきたが、さすがに今年は「反送中」一色で染まった。
主催者側は、「六四追悼集会」が毎年開かれているビクトリア公園のサッカーコートを集合場所及び出発点に申請したが、政府側は「慶祝行事開催の先約あり」で、これを拒否。やむなく隣接の芝生エリアを出発点にした。が、見ての通り、サッカーコートにはほとんど人影は見えず、芝生エリアには続々とデモ参加者が集結しているのがわかる。
同じころ、デモの終点となる金鐘(Admiralty)の立法会ビル近辺に、ビルを包囲する市民が続々と集結し、一部がビルへの襲撃行為を開始した。
朝からこのあたりでは、デモ隊と警察の対峙が続いており、警察は胡椒スプレーなどで排除を試みるも、デモ隊もゴーグルや雨傘で防御しながら、引き下がらないという状況が続いていた。この事態に警察は早々にデモの延期もしくは集会のみの実施、あるいは終点の変更を民陣に要請したが、そりゃ遅いわな。民陣は当然拒否。ただ、無用な混乱を避けるため、終点を立法会ビルよりもさらに先の中環(Central)の遮打道(Chater Road)に延長することで妥協した。まあでも、普通はそこまで行かずに立法会ビル周辺で包囲に参加するわな…。
毎週のように100万人だ200万人だのデモを見ていると、55万人くらいではもう驚かなくなってしまった。こういうマヒ感覚はよくないなあと思う。
そもそも、デモなんて無いに越したことはない。法的に押さえ込まれてデモが開けないというのではなく、「デモなんてやらなくても、万事うまくいってます」ってのがいいに決まっている。
ただ、返還後の香港はそうはいかない。一定数の民主派議員は議会に存在するが、多数派の建制派(親香港政府、親中、経済界寄り)の壁は厚く高い。市民が思いを政府に伝える手段はデモ以外に無いのが実情。特に、習近平政権になってからは、香港への対応が強硬になり、当選した民主派や自決派の議員が排除された上、禁固刑に処せられるなど、民主派排除の風潮が急速に強まっている。もっとも、小生に言わせれば、排除された連中にも非は無きにしも非ず、というところなんだが…。
おお! 「反送中」一色と思いきや、こんな抗議をする一群もいたんだ! 昨秋、「離島間を埋め立てて土地を造成しよう」なんていう、馬鹿げた施政報告があったが、それに反対する大きなプラカードが掲げられた! これは小生も大反対だ!
逆風の中にあっても、ほとんどのデモ参加者は粛々と、あくまでも平和的にデモを行い、抗議の声を上げるわけだが、それではもう事態は好転しないと考える市民も当然ながら存在し、さらにその一部が過激な破壊行為に走る。要するに「暴徒化」するのだ。
鉄かご付きの台車で、立法会ビルのガラスを突き破ろうとする暴徒を何とか食い止めようと、ベテランの民主派議員(右側)が説得を繰り返すも、効果なし。あえなく押し切られてしまい、民主派政党・街工の梁耀忠議員らが負傷してしまう。仕方ない。雨傘でも小生は何度も記したが、彼らの行動は抗議とともに、従来の民主派への「No!」でもあるのだから…。
中国なる国が出来る以前からのシナの古い諺に「秀才造反、三年不成」というのがある。ピンインで「xiù cái zào fǎn,sān nián bù chéng」。清の時代に李宝嘉が著した長編小説『文明小史』などに見られる。「秀才の造反は、三年かけても成功しない」という意味だ。1989年の天安門事件、2014年の香港雨傘行動などは、その好例と言えるだろう。香港の汎民主派議員も、この諺を当てはめるにふさわしい。
返還から22年経過しても、何一つ前に進んでいない。それどころか悪化の一途をたどっている。この先、「50年不変」の終わりを挟み、さらにその先も生きていかねばならない若い世代としては、我慢ならないものがあって当然だ。
まして民主派の多くは、「中国の民主化があってこその香港の安定」との考えだ。「そんな夢物語に付き合ってられんわ」というのが、正直な思いだろう。
よって、ここで民主派の古顔が出てきて冷静を呼び掛けても、無駄なだけだ。
午後3時頃には、デモ隊は強化ガラスをぶち破った。立法会ビル内でにらみ合っていた警官隊は胡椒スプレーで応戦したが、デモ隊は警官隊に毒性のある化学物質らしき粉末で反撃した。こういうのを予め用意しているあたりからして、初めから「衝突ありき」「破壊行為ありき」の連中なのだから、これは厳罰に処されてしかるべきだろう。彼らには同情すべき点も多いし、言いたいことはわからないでもないが、ここまでの行為をした時点で何を言っても、アウト!だ。
民主派諸派の朱凱迪(エディ・チュ)議員が、再度デモ隊に冷静を呼びかけたものの、デモ隊は襲撃を継続、あちらこちらでガラスを破る行為を繰り返す。
警察は「紅旗」を掲げて警告を発した。
ちなみに、香港警察は4種類の警告用のゲーフラを用意している。軽い順に
黄旗「警察封鎖區 請勿穿越=警察が封鎖中、越えるな」「你現正違反法例 你可能被検控=お前、違反だぞ、逮捕するぞ」
紅旗「停止衝撞 否則我們將動用武力=衝突やめよ、さもなくば武力行使するぞ」
黑旗「警告 催淚煙=警告する、催涙ガス使うぞ」
橙旗「速離 否則開槍=速やかに離れよ、さもなくば撃つぞ」
小生、実際にナマで黒までは見たことあるが、オレンジはそうそう目にできるものではない。いや、そんな場にはいたくないし(笑)。
この場合は「紅旗」が掲げられていたと思うが、まったく効果なく、ついに午後9時前、備蓄倉庫のシャッターをこじ開けたデモ隊が、一斉に立法会ビルに突入した。
突入したデモ隊は破壊行為の限りを尽くした。警察は催涙弾の準備はしていたが、なぜか一旦、撤退しデモ隊を泳がせる作戦と思われる。SNSでは「罠にはまるな!」というコメントがあふれる。
午後10時ごろ、ネットを通じて警察は「間もなく一斉排除を行う」と予告。それからおよそ2時間後、連中が議会場で傍若無人にふるまっていた頃、立法会周辺では包囲していた若者を中心とした市民の排除が行われ、「反送中」では二度目となる催涙弾の使用となった。
警察の催涙弾使用に際し、SNS上では再び非難の声が上がる一方で、「止む無し」とする意見も見られた。小生も「止む無し」と考える。これ以上は、香港の都市機能に多大な影響を及ぼしてしまう。一旦、立法会ビル内から撤退したのは、ここに人員を一気に投入するためでもあったのだろう。
デモ隊、ついに立法議会場を占拠。このあたり、数年前の台湾の「太陽花學運=ひまわり学生運動」を彷彿とさせるが、最大の相違点は、台湾の場合、対立する相手は国民党と当時の馬英九総統だったが、この連中が対する先には、中国共産党及び習近平国家主席がいる。相手の「格」があまりにも違いすぎるのだ。これは不幸であるし、また香港の宿命でもある。ここの対決を、彼らは今後どのように乗り越えていこうとしているのだろうか。かなり心配なところだ。
議会場で英国の旗を振っている名物のおばあさんは別として、議長席を英領香港旗で覆った彼らの大半は英領時代を知らない。英領時代を「自由で民主的な時代」と思っていたら、大間違いだ。あくまで植民地だ。民主など、返還前に英国が強引に「民主」という単語だけを残していっただけだ。あえて言うなら市民は「政治を語る必要のない時代」、もっと言えば「語る意味のない時代」だったというだけだ。彼らだってわかっているとは思うけど…。
なによりも、「没有暴徒袛有暴政!」の横断幕が笑わせるではないか。「暴徒などいない。あるのは暴政のみ!」とはどの口が言うか、というものだ。民主派や若者を中心とした理解ある市民は、一連の破壊行為を「責任は林鄭月娥政権にあり」と言い、建制派は「極端で過激な暴力分子が公衆の秩序を撹乱し法治に挑戦している」と譴責するが、どっちの言い分も極端すぎる。
立法議会ビル周辺の市民を排除した警察は、午前1時過ぎにビル内に戻る。すでにデモ隊は撤収を開始しており、身柄確保はできなかった模様。もっとも、警察としては狭いビル内での衝突で、負傷者を多数出すよりも、泳がせておくほうが無難との考えだろう。これまた致し方ないか。
翌日、林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は警察幹部とともに、記者会見を行った。「デモ隊による一連の暴力行為を強烈に譴責しなければならない。市民もみな同感と思う」と語り、違法行為の徹底的追及への決意を示す。同席した保安局局長の李家超によれば、「立法会議事堂への侵入だけでも最高で禁固3か月、強行突入ならば禁固2年」とのこと。
さっそくデモから2日経過した7月3日には、警察は逮捕者を発表した。まず、12人を逮捕。男11人、女1人で年齢は14~36歳。容疑は攻撃性のある武器の所持、違法集会、警官襲撃、公務執行妨害など。ほかにもネットで警察関係者の個人情報を公開した9人も逮捕。男7人、女2人で年齢は16~40歳。さらに逮捕者は増えるだろう。
さて、荒れるに荒れただけで、何の進捗もなかったわけだが、ネット民は来る7月7日(日)、今度は観光客であふれる九龍は尖沙咀(Tsim Sha Tsui)で「反送中」デモを開催すると言う。さてどうなることか…。
小生は、このなんとも気持ちの悪い「悪法」はさっさと「撤回」していただきたいのだが、その抗議としての暴力、破壊行為はこれもやめていただきたい。香港や香港市民の評価を下げることになりかねないし、何と言っても文革を思わせるような「造反有理」的な行為は、かえって中央を喜ばせかねないと、危惧するからだ。
「じゃ、どうするよ?」と聞かれて、「こうしろよ」という妙案もないのだが…。ま、これまでの繰り返しになるが、「返還って、こういうことよ」と…。
今年もまた、返還記念日はグダグダな長文になってしまった。なにせ1989年からの腐れ縁である。そこのところは、悪しからず…。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。