【六四30周年 1】

天安門事件から30年が経過した。

六四30周年」、それは即ち、小生が初めて香港の地を踏んでから30年が経過したということでもある。あの時、すぐに北京の状況を見に行きたかったが、なかなかそういう状況にはなく、それなら一番抗議活動が盛り上がっている香港を見ておこうということで、奉公先の同輩と夏休みに香港へ行ったわけだが、なんだかんだで、マカオで博打に明け暮れている時間の方が長くなり、結局香港で見てきたものは、今は無き「宋城」の古装パレードくらいだった(笑)。

その後、縁あって香港での奉公が決まった時、「香港から六四を観察する」ということを、大きな目的として、毎年、デモや追悼集会を観察してきた。そんな経緯もあって、香港の六四活動は素人なりに分析も重ねてきた。そのあれこれを毎年こうやってブログに記しているというわけだ。

小生も最初はこのプラカードを持ってデモに「参加」していたのだが…

事件当時、150万人が抗議のデモに繰り出した香港。以来30年間にわたって、事件の再評価を訴え続けてきた民主団体「支連会(香港市民支援愛國民主運動聯合會)」では、今年も6月4日2週前の日曜日5月26日に抗議デモ、6月4日当日には犠牲者の追悼集会を行った。追悼集会には、2014年の「雨傘行動」以降で最高となる18万人がビクトリア公園に集った。

18万人というのは、あくまで主催者発表で警察発表は3万7千人。毎度のことながら、あまりにも乖離しすぎている。小生は、野球中継と並行して『蘋果日報』のYouTubeでを通じて、追悼会現場のライブ中継を見ていたのだが、どう見てもテレビで見ている野球場(福岡ドーム)の方が、人が多いだろうという状況だった。

ま、この際、人数は二の次、三の次でいい。支連会が30年間をこの活動を続け、毎年、数万の市民がデモや追悼の場に集まるというのが、香港が辛うじて、いまだ香港である証だと思っている。その主義主張には、まったくと言っていいほど賛同できない支連会だが、このひたむきな姿勢には賛辞を贈りたいと、毎年思っている。

2007年(返還10周年)以降の抗議デモ参加者数推移 by “蘋果日報”
第1回目からの追悼集会参加者数推移。黄色が主催者発表、白が警察発表 by “蘋果日報”

在住中は欠かさずに、デモと追悼集会を見てきた。もはや観察とか視察とかじゃなく、「参加」していたと言っていいほどだった。「おい、大丈夫か?」と行く末を心配してあげたくなるような年もあったし、「香港人、すげぇぇぇーーー!」と感動するような年もあった。日本では、やたらと「風化」が言われているが、確かに活動の方向性が揺らぎを見せ始めているのは否めないが、それでも6月4日を市民が、何らかの思いを持って迎えていることには、変わりはなく、日本での「風化報道」を見たり聞いたりするたびに、「いやいや、あんたらが言うほどでもないよ」と思うのである。

ただ、風化以前の問題として、活動主体である支連会の行く末がやはり気になる。と言うのは、香港での六四関連の活動も「いよいよ今年が最後か?」との声が、1997年の返還前最後の六四の時よりも強いと感じているからだ。

今、香港で最もHOTな話題は「逃亡犯条例」の改正である。『蘋果日報』はこれを「引渡悪法」として激しく糾弾している。毎度おなじみのことだが…。

現在の逃亡犯条例は、本土、マカオ、台湾の犯罪者が香港に逃亡した場合、香港は犯罪者をそれぞれに引き渡すことはできない。しかし、条例改正によって、中国への犯罪者引き渡しが可能となるため、香港で民主化運動を計画すると犯罪者となり中国に引き渡されるのでは?との不安の声が高まっている。すでに10万人規模の抗議デモ=反送中も開催され、4日の追悼集会では9日に再度抗議デモを行うので参加をとの呼びかけもあった。

6月12日に立法会で2回目の審議が予定されているのを受けてのことだが、特区政府の考えは、7月1日の香港返還記念日の可決を目指しているようだが、もう、ここまで来たら、可決は秒読み段階と言うことで、多くの香港市民は諦観の境地ではあるが、それでも最後まで改正反対の声を上げていこうというのが、今の状況だ。

「何をもって犯罪とみなすか」は、こうなるとまさに中央政府の胸三寸次第だ。支連会が「国家転覆を企図している」と中央がみなせばそれまでだし、国際的にそいつはまずいから、そこまでのことはしないと言えば、そうかもしれない。仕方ない。これが「返還」というものだ。遅かれ早かれ、こうなる運命なのだ、香港は。悔しいけど…。

MTR銅鑼灣駅から追悼集会会場のビクトリア公園へ通じる街頭には、逃亡犯条例の改正を急ぐ林鄭月娥(キャリー・ラム)は、「中共傀儡」として糾弾するプラカードも見られた。当たり前だ。返還後の行政トップたる行政長官は、中共の傀儡でなくてはならないのは、道理というものだ。それを糾弾したところで、物事の解決にはならないが、それ以外に、方法がないのも、香港の辛いところである。

30年前、ハッピーバレー競馬場で香港芸能界総出演の北京の学生を支援するチャリティーコンサートが開かれた。その時にもステージに上がった達明一派のボーカル黄耀明(アンソニー・ウォン)は、30年後の6月4日も追悼集会のステージから、抗議と追悼のメッセージを訴えた by “蘋果日報”

「追悼集会参加理由」(複数回答可)蘋果日報現地調査
・天安門事件犠牲者の追悼 89.21%
・逃亡犯条例への抗議 43.65%
・雨傘行動関係者の処遇への不満 32.86%
・その他 13.62% 

しかし、「その他」って何なんだろう? そもそも「犠牲者追悼」以外の理由で参加ってどういうことなんだろう? 追悼の意で参加が9割未満って、これでいいのか、支連会!

上記は、『蘋果日報』が追悼集会会場で聞き取り調査した結果である。214人に調査した。

「追悼集会参加回数」
・初めて 45人
・2~10回 99人
・11~20回 31人
・21回以上 38人

「次の主張を支持するか」(複数回答可)
・天安門事件活動家の釈放 89.2%
・天安門事件再評価 85%
・解放軍による虐殺行為の責任究明 84.1%
・共産党一党独裁の終結 79.8%
・建設民主中国 79.4%
・いずれも支持しない 0.5%

「過去3年間で追悼集会に参加していない比率」
・35歳以下は全体の42%
うち22%が過去3年間参加せず
*筆者注:「35歳以下」とは、事件当時に物心ついていないあるいは「非リアル六四世代」を指すと思われる

21回以上参加している人が38人しかいないというのは意外だ。そして初めての人もこんなにいたんだと、これにも驚く。30年も経過しているというのに。支連会は確かに頑張っているが、小生が支連会の一員だとしたら、これは結構ショッキングな数字だと感じただろう。30年継続して声を上げてきたのに、こんなもんかい?ってところだ。果たして、どう見ているのだろう、連中は?

また、「建設民主中国」などといういささかお節介がすぎるような主張に、80%近い賛同の声があったのも意外だ。ついこの前まで、「中国の民主化なんて知ったことか」という風潮が強かったのに、この結果はいかに? まあ、そんな風潮を作り上げていた、香港独立を訴える一派「港獨派」も、結局、一過性のブームに終わったような感じもあるが、それにしても、だ。小生なんぞ、一応今も「香港永久性居民」という身分なんだが、中国の民主化なんぞ、まったく関知しないし、そんなことされたら周辺国が大迷惑被るからやめてくれとさえ思っているほどだというのに…。

他にもなんか微妙な数字が並んでいるが、まあこんなもんだろう。『蘋果日報』の調査なんで、そこらは差し引いて見たほうがいいかもしれない。なにせ、今や香港で六四を何ページも割いて報道するのは、ここくらいなもんだ。『明報』あたりも結構頑張っているが、他にも報道すべきことがあるし、何よりも広告段数との兼ね合いもあって、こんなにも六四だけに紙面は使えない。

今夜、ビクトリア公園で会おう!」と6月4日付のトップで掲載したと思えば、

風雨30年 18万人が六四を悼む」と、5日付紙面で報じる、とにかく民主活動となれば自社イベントのごとくはしゃぎまわる『蘋果日報』。ただ、1面トップをここまで大胆にレイアウトできるのは、整理記者が優秀なのではなく、1面に入ってくれる広告主がまったくいないということの裏返しでもある。まあ、それでもこの会社はグループに大手の印刷会社もあるし、創設者の黎智英(ジミー・ライ)は意地でも廃刊しないだろうから、安泰ではあるだろうけど…。

ところで、香港では「六四」は民主化活動として捉えられているが、小生はそうは思っていないし、事実、活動リーダーの一人だった王丹は、「当時の我々の要求は政府との対話と、我々の行動を『動乱』と規定したことの撤回」と言っている。(6月4日付け『朝日新聞』)

現に、安田峰俊著『八九六四』に登場する人たちの多くは、「民主とか考えもしなかったし、民主が何かも知らなかった」とさえ言っている。

運動の長期化で現場のリーダーも穏健派から過激派に移り、「共産党打倒」の声や、李鵬や鄧小平の辞職を求める声も上がったが、あくまで、長期化の過程でのことで、王丹の言うように、これらは当初の目的ではなかった。

ただ、長期化してゆく中で、学生たちのハンストが行われたり、政府側との対話が物別れに終わったり、改革派の趙紫陽も失脚したりして、学生や活動家はもちろん、中共政府も「さて、どこでオチとするか」が見えなくなったところで、解放軍が「学生や活動家を解放した」という流れだ。どこかかつての「雨傘行動」に似ている…。あの時は、さすがに解放軍の出動はなかったけど。

こうなってしまったあらゆる責任を中共に押し付けようとするのが、香港及び西側の考え方。では、学生や活動家市民にはまったく責任はないのか?という点に、考えを及ぼした方がいいんじゃないかと思うが…。そこの視点が「こちら側」には欠如していると思える

となると、支連会が六四活動のスローガンに掲げる「建設民主中国」も「共産党一党独裁の終結」も、違うんじゃないか? と思ってしまう。「勝手な解釈」とでも言うべきか…。ただ、「解放の方法」が殺戮行為だったという点は、十分糾弾に値するが、これとて六四に限った話でもない。あの国はそうやって拡大していったのだから。

結局、香港で30年間も六四活動が継続されてはいるが、何一つ成果を残せていない、さらには自分たちの真の民主化も何一つ進展していない、それどころか、中央のいいように「後退」していっているという非常に厳しい現実の、大きな原因は、支連会をはじめとする従来型民主派が、こういう思い過ごしのような「勝手な解釈」で、事の解決に当たる姿勢にあるんじゃないかと思う。

5月28日のデモでは、従来の「平反六四(事件の再評価)」、「結束一党専政(共産党一党独裁の終結)」が「逃亡犯条例反対」と同列で語られた。こうした「迷走ぶり」も支連会のお家芸であるが、こういうのを見ると、これでは天安門の犠牲者も浮かばれないなぁと思う。きっと「俺らはそんなこと、要求してたんじゃないのに…」と思っているかもしれないよな…。

じわじわと勢力を拡大する親中派だが、数年前から、支連会による六四活動に疑問を呈する「六四真相」などが、デモの沿道で支連会に罵声を浴びせかけている。新移民の増加で、今後もこうした「反支連会」「反民主活動」の組織が勢力を増してゆくかもしれないが、さてどうなるやら…。

「で、アナタは何が言いたいんだ?」と聞かれると、まったく答えに窮するのだけど、15年も住んで、毎回デモや追悼集会を見てきても、窮してしまうのが「六四」の難しいところであり、永遠のテーマでもあるのだ。拙ブログも、毎年、言うことがあっちへこっちへと揺らぎっぱなしで、非常に悩ましい。この揺らぎはまさに支連会の迷走や、返還後の民主派のミスリードに由来するとは思うのだが…。

さて、揺れていても仕方ないので、今後の観察のヒントにと思い、RTHK(香港電台)のドキュメント番組で、根強い人気の『鏗鏘集(Hong Kong Connection)』が3月から5回にわたって「八九演義」として天安門事件30周年を考察しているので、そこら辺から香港人の考える六四を見てみたいと思う。ご興味があれば御笑覧を。「次から」といきたいとこだが、そこは、まぁ、気長にお待ちください(笑)。


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