KANSAI CLASSIC 2019 阪急vs南海
さあ、今年も恒例の「KANSAI CLASSIC」。いつもと違い、ド平日の開催。でも、OSAKA CLASSICとして始まって以来の念願だった「阪急戦」ということで、嬉しい限り。
なにせ、小学校1年から中学2年までが野村監督時代。そんな刷り込み教育にうってつけの年ごろに、南海ホークスファンとしての「初等教育」を受けた世代である。南海ホークス子供の会会長の野村克也から毎年送られてくる年賀状には、元日早々から「今年こそは打倒阪急を云々…」と書かれていたことで、小生のような単細胞な人間は、そうかそうかとばかりに、教科書やノートにデカデカと「打倒阪急!」と書いていたという次第。アホですな(笑)。でも、これが刷り込み教育の恐ろしさで、いまだにオリックス戦は「なんでもええからとにかく勝て!」って思ってしまう(笑)。
そして何よりも、オーナー会社は変われども、戦前から脈々と球団の歴史が受け継がれている両球団。なぜか(笑)、ブレーブスの名は残らず、バファローズを名乗っているが…。要するに「伝統の一戦」なわけよ。折しも、甲子園ではタイガースvsジャイアンツのカードが組まれている。パ、セ共々に「伝統の一戦」となった。さあ、盛り上がっていきましょ!というところなんだが…
ご覧の通りだ(笑)。試合開始1時間前の17時開門。写真は開門から約20分後くらいかな? 最下位で我が道を行くバファローズだけあって、客席は寂しい限り。客入りまで阪急復刻か? と、南海ファンは笑う。この時点で、すでに三塁側から左翼席は7割以上は席が埋まっていただけに、そう言われてもしゃーないわな…。普通なら、応援団を中心にファンが一番盛り上がるエリア、右翼下層席もガラガラで、気の毒なほどだった…。とりあえず南海三連戦の後から、頑張り給え!
KANSAI CLASSICと言えば、復刻ユニフォーム。今年は両軍とも昭和45、46年のものを着用。
我が南海は野村兼任監督就任1年目と2年目にあたる。1年目こそ2位と前年の最下位から躍進したが、優勝したロッテとは10.5差の大差。佐藤道郎が新人王と最優秀防御率に輝く。もしこの時代にセーブという記録があれば、佐藤はセーブ王にも輝いていたんじゃないかという活躍ぶり。まだ、杉浦も皆川も投げていた。2年目は4位と順位を落としてしまうが、門田が打点王を獲得。
一方の阪急は、45年は勝率5割丁度で4位。こちらは前年の優勝からちょっとお疲れ気味のシーズン。ただ、46年はロッテの激しい追い上げをかわして優勝。長池がMVP、山田が勝率と防御率で投手二冠に。
で、小生は小学校1、2年の年。なんか大阪球場行くのがめっちゃ楽しくなってきたという年ごろ。南海もまあ、まだそれなりに強かった。この翌日のテレビ中継で阪急OBの長池徳士が解説してたけど「南海のこのユニフォームが、ものすごく強く見えましたねぇ」と言っていたのが印象的だ。
小生は、これ以前のことはほとんど記憶にないが、このころから幼いなりにも、阪急との差が試合をするたびに広がっていくのが、なんとなくわかったものだ。阪急黄金時代が始まろうとしていた時代である。
で、今年の復刻ユニは、なかなかかっこよろしい。まだ買ってないけど(笑)。ただ、欲を言えば、帽子の色はもっと黒に近い緑だったと記憶する。とにかくユニフォームが主張していない、それでいて「強い!」と思わせるデザイン。ほんとこの時代の「NANKAI」という文字がかっこよかった。
しかし、どこのチームにも言えるけど、近頃のシュッとしたイケメンの選手に、昔のユニは似合わない。南海のこの時代なんて、ほぼ全員ずんぐりむっくりしてたから。杉浦、皆川、江本くらいだな、シュッとしてたのは。そういう観点で見てみると、甲斐はずんぐりむっくりしてるからよく似合っていたし、森コーチ君はそもそも南海顔やから、似合っている。まあ、あとはちびっ子選手の牧原もわりとよかったけど、顔がシュッとしてるのと髪型がおしゃれだからダメだ(笑)。70年代のユニ着るときは、皆パンチパーマか角刈りにしたほうがしっくりするよ、とアドバイスしとくわ(笑)。
この試合が小生、今年初観戦。すなわち、令和になって初めての野球観戦。4月の3連戦は多忙につき行けなかった。で、結局今年も外野かい!(笑)、という突っ込みはナシで願います(笑)。
呑気に煙草吸いに行ってるうちに、阪急の大エース・山田久志投手の始球式が終わっていた…。この日先発の山本由伸と主砲の吉田正尚をマウンド付近で激励。山田には毎試合、コロッとやられていたけど、年に2回くらいはフルボッコにしてしまうこともあって、そういう試合を観戦すると、明日への希望が湧いてきたものだ(笑)。まだ「縦じま」がタイガースの代名詞になる以前、「縦じま」と言えば、すなわちそれは阪急だった。
第10回戦(ホークス7勝2敗1分)勝:山本(3勝2敗S) セーブ:増井(0勝1敗15S)
負:二保(0勝1敗0S)
観衆:22,029人
我が軍先発は、7年ぶりの先発登板となる二保。って言うか、一軍マウンド自体が久しぶり。不調の東浜、ミランダを欠く苦しい先発陣。この日の二保に続き、三戦目ではルーキーの泉も先発するというから、まあ、辛抱の時期ですわな。ただ、二保はきちんと試合を作った。4回を投げて、68球、被安打4、三振は取れなかったが、失点1は見事。オープナーとしての重責を果たした。悔やまれるのが3回裏。先頭打者を出したことが失点につながった。それを含めても100点満点以上の出来栄え。この内容なら、またそのうちお声がかかるだろう。
対するバファローズ先発は山本。今シーズン、いまだ山本から得点できていない我が軍。新たな天敵出現である。
それでも、これまでのように完璧に抑え込まれることはなく、好機は作った。惜しむらくは、2回表のデスパイネの「盗塁するならさっさとする、帰塁するなら素早く」というのが、上手くいかずに結局刺されてしまったシーン。あそこでなぁ…。うーん、相性の悪い投手相手の時は、こういう「うっかりミス」が後々まで響くなぁ…。ポンちゃんコーチ、ちゃんと稽古つけてや!
とまあ、万事、そういう試合展開だった。あとはもうスイスイやられてしまった。9回表に抑えの増井から1点取るのがやっとという始末。
二保の後を受けた松田遼馬が2失点したのも痛かった。今季は期するものがあるのか、開幕から好リリーフを継続していたが、失点が2試合続いた。ビハインドでの登板で流れを引き寄せる投球もせなアカンのとちゃうん。
さて、屋根付き大阪球場の左翼席での観戦は、以前は坂口、坂口がスワローズへ行った後はT-岡田、自軍では引退しちゃった城所と、色々と突っ込みやすい選手がいて、ヤジるのが楽しかった。特に、坂口と城所は、こちらの投げかけに愛想のよい表情や仕草で応えてくれたもんだが、吉田は真面目なんだろうか、ヤジを寄せ付けない空気を漂わせていて、なんだか堅苦しい(笑)。ところで、T-岡田、どこ行ったんや?(笑)
ただ、小生は吉田に若き日の門田博光を見る思いがするし、何と言ってもベルトをきちんと見せるユニの着こなしがすごく好ましく感じている。昨年も記したが、昨今はどいつもこいつもベルトが見えないくらい、腰回りがだらしないくて見苦しい。吉田と我が方の大竹くらいだろう、ベルトがちゃんと見えるようにユニを着ているのは。欲を言えば、くるぶしが見えるくらいには裾を上げておいてほしいけどな。特に、この日のように昔のユニを着用する場合は、そこもちゃんと復刻してくれないと…。
先述の「ずんぐりむっくり理論」でいけば、甲斐と吉田は双璧だろう(笑)。だからこの時代のユニがしっくり来る。吉田も甲斐同様に、いい感じでずんぐりむっくりだ。これは強打者の証明だと思う。「じゃ、甲斐も強打者か?」とかは聞かなかったことにするけど(笑)。
我が軍としては、これという見どころもなかったので、よもやま話的に埋めてしまわざるを得なかったが、今のチーム状態で、はっきり言って勝てる見込みのあるのは、バファローズくらいしかないんだから、あっさり負けてしもたらアカンねんけど…。
↑昔の旗振るならこれにして!↑
恒例に従い、応援団は南海時代の選手応援曲を6、7回限定でやってた。がんばって演奏してたけど、このユニの時代にそんなんないし(笑)。三々七拍子と1試合に1回あるかないかの「わっしょい!わっしょい!」がせいぜいやし(笑)。我々当時のちびっ子ファンは、その「わっしょい!」でどんだけ盛り上がったことか。鳴り物も手提げの和太鼓と鉦くらい。旗も今振られてるものの5分の1くらいの大きさ(片手で振ってはったもんw)。どこの応援団もそんなもんやった。
今の時代にそれをやれとは言わないけど、無理に南海時代の応援歌でやる必要も感じない。小生なんぞは、ラッキーセブンに流れる『南海ホークスの歌』だけで、大満足。ぜひ、来年からはご一考願いたいところだ。
昭和から平成、そして令和になっても
やっぱり南海ホークスが大好き!
(令和元年5月28日 大阪夜間)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。