【御朱印男子 16】橿原神宮

御朱印男子
橿原神宮

心新たに 令和最初の 国の始まり橿原神宮

という次第で、御即位当日、令和最初のお参りは皇室ゆかりの大和は橿原神宮へ。

ホンマはこちらさんに乗ろうと思っていたけど、考えてみたら、次の駅までしか乗らないのに勿体ないなぁ…、ってことで、急遽、急行に変更。わりとけち臭い小生であります(笑)

ま、覚悟はしていた。そのつもりで阿部野橋から吉野行急行に乗車したわけで、深田池のほとりの長山稲荷神社にまで伸びる「御朱印ちょーだい」行列にも、驚きはしない。前日からニュースでは、御朱印を求める長蛇の列が全国各地の神社仏閣に出現との報道。初代天皇の神武天皇をお祀りする橿原神宮なら、なおさらのこと。小生の場合は、御朱印は二の次で、やはり御世替わり最初の参拝は、ここしかないでしょ、との思いからだから…。奉祝の思いを神武天皇にお伝えするためにもね。

でもやっぱりねぇ、なんでいきなり「御朱印」に並ぶかね? みんないつから御朱印に目覚めたのか? 御朱印帳をこれを機に購入しても、多分、開くのはこの2日間だけだと思うな、多くの人は。そこは人それぞれなんで、とやかく言わないけど。なんか違うよな、いや、明らかに違うよな…。ま、記念にはなるとは思うけどな。

雨の中、そして足元がぬかるんでいる中、皆さん、大人しく並んでいらっしゃる

そんなのを見越してか、はたまた、混乱を避けてか、この日の御朱印帳新調は承らず、ということで、ここ橿原神宮では、御朱印帳無き参拝者は印刷した御朱印を受領することになる。よい判断。ましてこの日はあいにくの雨模様。人の流れをスムーズにさばくためにも、これは結構なことだ。それにしても雨の中、どなたさんもご苦労さんなこって。

【御朱印File 17】橿原神宮(かしはらじんぐう)

橿原神宮の由緒因縁故事来歴に関しては、もうあれこれここで記すまでもない。これまでにも、ここへ参拝する度にあれやこれやと触れているし、今更色々言うのも面倒くさいので省略させていただきやす(笑)。

ざっくり話せば、日本最古の正史『日本書紀』に、日本建国の地と記されているのが橿原で、神倭伊波禮毘古命(かむやまといわれびこのみこと=後の神武天皇)が、豊かで平和な国づくりをめざして、九州高千穂の宮から東に向かい(神武東征)、幾多の苦難を乗り越えた末、畝傍山の東南の麓に橿原宮を創建されたのが、第一代天皇として即位されたのが紀元元年のこと。2679年前の話。そんなことから、橿原神宮は「建国の聖地」と称されているという次第。

今年2月の紀元祭にお参りしたときは、ちょうど、御建て替えの最中だった一の鳥居も、美しく新調されていた。来年が御鎮座130年ということで、その一環として、一の鳥居、二の鳥居ともどもに御建て替えが進められている。で、その御鎮座130年で各種ご案内が折々に橿原神宮より送られてくるのだが、それはいいのだけど、必ず振込用紙が同封されていて、プレッシャーをかけてこられる(笑)。ま、多大な費用が発生しますからね。御寄進の気持ちは持っておりますが、何分、こちらの方が御寄進していただきたいほどでして…(笑)。

御朱印をいただいて、外拝殿に向かう。これは本来は逆ですな。お参りを済ませてから御朱印をいただくのが、一応、礼儀というもの。ただ、この日は人の流れがそうではなかった。中には、御朱印だけいただいて、お参りもせずに帰っちゃう人もいただろうに…。失礼な話だと思う。

外拝殿から内拝殿を望む。屋根越しに幣殿の千木・鰹木が見える。手前の空間は外院斎庭と呼ばれ、紀元祭の時などはここで儀式に列座させていただく。

幣殿の奥の本殿にて、第一代神武天皇と皇后の媛蹈韛五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)を御祭神としてお祀りする。神武天皇は正式には、神日本磐余彦火火出見天皇(かむやまといわれひこほほでみのすめらみこと)と申し上げる。ちなみに皇后の媛蹈韛五十鈴媛命は、大物主命(おおものぬし)の御娘に当たる方。

境内から畝傍山を見る。湿り気を含んだ新緑が鮮やかである。そして、畝傍山から沸き立つ霞がなんとも神秘的。これが橿原神宮のよいところ。とにかく緑豊かで、気持ちがすっとする場所なのである。建国神話の舞台として、まさにうってつけのロケーションなのだ。

こちらは「さざれ石」。「国歌にあるさざれ石はコレだッ!」ってわけでなく、崇敬者の方のご寄贈とのこと。「さざれ石」とは、小さな石という意味で、火山の噴火により石灰岩が分離集積して凝固した岩石のことを言い、学術名は「石灰質角礫岩」。近場では道明寺天満宮にもあるよ。

上述の通り、神武天皇がこの地で初代天皇に即位されてから、2679年。そしてこの日は令和最初の日ということで「践祚改元奉告祭」が執り行われた模様。

<御朱印>

なんだか改元記念限定朱印とかで、派手なカラフルな御朱印をお授けしている神社仏閣も多いようだが、あれもどうかなぁと思う。一方で、御朱印がネットオークションでなんと!数十万円で売買されていたり、「早くしろ!」と巫女さんに食って掛かる輩がいたりと、ホンマ罰当たりな話をよく耳にする。で、こちらさんの御朱印はシンプルそのもの。何ら普段と変わりない。これでいいんだと思うし、本来はそういうものだと思う。

<朱印>
右肩 紀元二六七九年
中央 橿原神宮
<墨書>
(右から)
奉拝
令和元年
五月一日

狙ったわけでもなんでもなく、帰宅して気づけば、幸運にも「平成最後」の御朱印となった地元・山阪神社と、「令和最初」の御朱印である橿原神宮が見開きで収まる。氏神と崇敬社で時代を跨ぐことができたという神恩に感謝あるのみ。お寺と神社の御朱印帳は、必ず分けましょうね。

<ところ>奈良県橿原市久米町934 <あし>近鉄南大阪線、吉野線、橿原線橿原神宮前駅下車、徒歩10分

さて、お帰りは特急さくらライナーで。しかしまあ、この駅は鉄おたの巣窟か? というくらい、どなたさんも老いも若きも男子はこぞってカメラを携えているのがおかしい。と言いながら、小生もその一人だったわけだが(笑)。

復刻ラビットカー塗色の6000系。初代ラビットカー6800系の系譜にあるが、高加減速車ではないが、全車がラビットカー塗装で落成したのが、昭和38年のこと。おお!小生と同い年か(笑)。小生が幼稚園の頃までは、近鉄の「新型車」はこの塗色だったので印象深い。ドドメ色した戦前型の旧型車が大半だった中で、この色目は電車に乗るのが楽しみになるという罪な色。おかげですっかり鉄おたになってしまった(笑)。ま、すぐに塗装経費削減のため、マルーン塗装になってしまうのだけど、いまだに「近鉄と言えば、この色でしょ」みたいな感覚はあるなぁ。恐るべしやで、幼少時代の思い出は。「三つ子の魂百までって言うでしょ、あれよ、あれ。

これに乗るわけだが、入線と同時にカメラ小僧たち、先頭車へ走るのなんの(笑)。小学生から老人まで、いやはや尊敬します。

これは面白い。さくらライナーのすれ違い停車。あちら吉野行、こちら大阪阿部野橋行き。阿部野橋駅は、特急線1線だけだから並んでいる姿は見られない。これを見せていただいた橿原神宮の神恩に感謝!(そこかいww)

そんなこんなで、お参りあり、御朱印あり、鉄おたありの充実の令和最初の一日であったとさ。

(令和元年御即位の日 橿原神宮)



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