【上方芸能な日々 歌舞伎】第二十八回上方歌舞伎会

歌舞伎
第二十八回 上方歌舞伎会

 

日頃は舞台を脇から支えながら、上方の風土で育まれ、しっかりと上方歌舞伎の魅力を身に付けている若い役者たちが、年に一度、大役に挑む「上方歌舞伎会」も、今年で28回目。

小生自身、この会で初めて名前と顔が一致した人、この会での演技が気に入って以来、ずっと応援している人も少なくないし、この会から看板に育っていった人など、「観に来たからこそ」の収穫を毎回感じている。役者と共に、見物の一人である小生もまた育っていっていることを実感できる、歌舞伎ファンとしての喜びを感じることができる会である。

まあ、正式名称が「歌舞伎俳優既成者研修発表会」ということで、あくまで「お稽古の成果発表」の場なんで、本興行とは違って切符代がお安いのがよろしい(笑)。

今回も我當、秀太郎、仁左衛門の三兄弟をはじめ、鴈治郎、吉彌が指導に当たったという、松嶋屋、成駒家、美吉屋揃い踏みで、「これでもか」のこってりたっぷりな上方歌舞伎会指導陣である。また今回、非常に珍しい狂言が組まれており、見逃せない。

本日のお座席からの眺め

毎回、チケット争奪戦が熾烈な上方歌舞伎会だが、今回も思うような席が取れず。花道脇なのはいいが、下手側なので、役者はほとんどこっちを向いてくれない(笑)。鳥屋に向けて役者が花道を疾走するときの風圧だけは、十分に感じることはできた(笑)。

真如(しんにょ) 指導=我當、秀太郎

■初演:大正11年(1922)10月 東京帝国劇場
■作者:額田六福
*本興行では昭和54年(1979)10月の道頓堀中座以降、上演なし
*平成11年(1999)2月2月、中座での上方歌舞伎塾一期生卒塾発表会で上演

 

「真如」は、仏教語で「ものの真実の姿。普遍的な真理。如実」という意味。タイトル見て「どっかの坊さんのハナシか、あるいは宗教団体のハナシか?」と思っていた小生は、バカである(笑)。

新歌舞伎である。現代語で芝居が進行するので、初心者や一見さんにはわかりやすい。「仇討もの」だが、江戸時代の作品のように、「本懐遂げてよかったね!」という物語ではなく、後味も決して爽やかでなく、内容も重いものになっている。最終的には本懐が遂げられるのだが、「果たして、この結末が正しいものだったのか」ということを、客に問いかけるような物語であった。

明らかに時代は変わり、封建社会では疑うべくもなかった「道理」が、大正デモクラシーの大きなうねりの中では、「道理」ではなくなっていたということだ。デモクラシーの時代が書かせた「仇討ストーリー」ということだろう。

登場人物は5人。富士の山裾で母のお節(當史弥)と暮らす浪人の磯貝数馬(光)。この数馬が討たれる側なのだが、これは亡き父に代わって討たれるわけで、ここにまず一つ目の「理不尽」。そういう運命が待っているとは知らず、数馬とラブラブな、庄屋の娘お静(りき彌)。

共の若党曽平太(鴈大)との旅の途中に急病に見舞われ、休息のために数馬らの家に立ち寄ったのが討つ側の後藤源次郎(當吉郎)。こちらも亡き父の無念を晴らし、見事、本懐を遂げるのだが、これもまた「理不尽」。

お互いの運命を知ったとき、二人ともこの「理不尽」に納得がいかない。一方で、お節は数馬に潔く討たれよ言い、曽平太は源次郎に今こそ父君の無念を晴らせと言う。若い二人が封建時代の「道理」に疑念を抱き、母や家来は封建時代の「道理」を若い二人に説く。この二つの時代のせめぎ合いを、それぞれの役者が表現していたのだが、役柄上、そう見えてしまうのかもしれないが、光と當吉郎は、やや肩肘が張っているように見えた。反面、當史弥が気品と覚悟を感じさせる武家の妻、母を上手に見せていた。

いやー、難しいやろね、こういう新歌舞伎は。古典のような「型」があるわけでもないだろうし…。新派とかが好んでやりそうな狂言だと感じた。

 

彦山権現誓助剱(ひこさんごんげんちかいのすけだち) 指導=仁左衛門、秀太郎

■人形浄瑠璃初演:天明6年(1786)閏10月 大坂道頓堀東の芝居
■歌舞伎初演:寛政2年(1790)7月 大坂中の芝居
■作者:梅野下風、近松保蔵
*全十一段。毛谷村六助住家の場は九段目

 

毛谷村六助住家の場

4月の文楽でも好評だった演目。ちなみに文楽では「助剣」と書き、歌舞伎では「助剱」とするのね。これ発見やわ! 恐らく多くのご見物衆からすれば「こいつ今さら何言うとんねんww」ってとこだろうけど(笑)。

その4月の文楽では、六段目「須磨浦」からこの「毛谷村」まで上演されたので、幾ら記憶力の悪い小生でも、まだストーリーが頭に残っているので、「あ、これはアレで、あれはコレで」とわかる。筋がわかれば楽しい古典芸能。わからなくてもそれなりにおもろいのも、古典芸能。さほど時間を空けずにどちらも見物できたので、演出方法など、文楽と歌舞伎の違いもよくわかった。

主人公の六助を松十郎。あちこちに師・仁左衛門の面影を漂わす。特に「おっ!」と思ったのは、斧右衛門(松四朗)が微塵弾正(佑次郎)に母親を殺された、なんとか仇を討ってくれと、直訴する場面。このときの身の構え方や表情の作り方が、もう仁左衛門そのもの。惚れ惚れするねぇ。

秀逸だったのは、愛治郎。お園(折乃助)がクドキながら、色々と愛治郎演ずる忍びの浪人直方源八に「技」を仕掛けてゆくのだが、その間、何度もトンボを切る。この運動神経、トンボの的確さと美しさ、相当稽古を積んだのだと思う。身体能力の凄さに只々感心するばかり。いや~、愛之助もよき弟子に恵まれたもんだ。

 

道行恋苧環(みちゆきこいのおだまき)竹本連中 振付=山村友五郎

人形浄瑠璃『妹背山婦女庭訓』の中の道行。妹背山は、文楽、歌舞伎共に超人気演目で、小生もこれまでに両方で何度も見物している。

この道行の見どころは、烏帽子折求女(その実は藤原淡海)をめぐっての、橘姫と杉酒屋の娘・お三輪の張り合う様。入鹿誅罰という求女のミッションに、実はどちらの女性も大きくかかわっているのだが、三人ともこの時点ではそれには気づいていない。

ちなみに、文楽では「求馬」、歌舞伎では「求女」と書くのね。どっちも読み方は「もとめ」。で、これまた「今頃、気ぃついたんか! このスカタン!」って呆れられそうやけど(笑)。

モテ男の求女を翫政で。昨年はこの舞台で「棒しばり」に出演。次郎冠者という一番オイシイ役どころで、見物衆を大いに沸かせたが、今年は色男を演じる。ちょっとやりづらそうにしてないか? と感じたがどうだったんだろう。きっとここに彼の課題があるんだろうと思う。

それに比べて、千壽の橘姫は手慣れたもので、安心感がある。役としての品、役者としての風格を感じる。

で、まだまだ小学生だと思っていた吉太朗が、お三輪を立派にやりとげていたのには、感激した。我當丈の部屋子にして吉彌丈の愛弟子。

お三輪に求められるのは「疑着の相」すなわち「疑念と執着」の表情。この「疑着の相」が最終的にお三輪の運命を左右するのは、もう少し先の展開になるが、この道行でその行く末を暗示するような表情が求められる。「ワタシの求女さんを横取りするな~!」と橘姫を責めるうちに、徐々に「疑着の相」が見え隠れしていくような表情づくりが。

「好きな人は手放すものか、あんな怪しい姫にやるものか!」と求女の着物に赤い糸を結び付けて、後を追いかける、そのときの表情がまさに「疑着の相」。「これを17歳がやっちゃいますか!」と、花道に駆け上がって本人に直接聞いてみたい衝動にかられるほどだった(笑 やったらあかんよ、そんなことは)。

 

元禄花見踊(げんろくはなみおどり)長唄囃子連中

■本名題『元禄風花見踊』
■初演:明治11年(1878) 東京新富座開場式の大切に上演
■作詞:竹柴瓢助 作曲:三世杵屋正次郎 振付:初世花柳寿輔ほか

 

きれいな華やいだ雰囲気の舞踊だが、「上方」の風情はあまり感じられなかった。まあ、こういうのもアリかな。

で、ここで注目は千太郎。秀太郎丈の部屋子。まだ弱冠12歳が、おっさん達(笑)に囲まれてどれほどの踊りを見せるかというところだが、当然ながら線は細いし、正直、付いて行くのがやっとという感じだった。しかし、その場にこの12歳が入って、総踊りのチームワークを崩すことも乱すこともなくやり遂げたことに、小生は拍手喝采なのである。さきほどの吉太朗ともども、上方歌舞伎の未来を担う逸材である。大事に育てて行ってもらいたいものだ。

上方の風土は、門閥や血脈に関係なく、ひたすら実力至上主義。今や大看板の吉彌や愛之助も一般家庭の出身である。江戸歌舞伎には見られないことである。その分、立役も女形も双方こなさねば一流と認めてもらえない厳しさもある。今回出演の全員が、門閥外であり血縁とは無縁の者ばかり。温かく、厳しく見守り指導する仁左衛門ら大看板のもとで、さらに芸を磨き、さらに成長を続ける舞台を来年も見せてほしいなあ、ってところで、行く夏を惜しむ「上方歌舞伎会」であった。

(平成30年8月25日 日本橋国立文楽劇場)



 


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