【上方芸能な日々 文楽】平成30年夏休み公演<1>

人形浄瑠璃文楽
平成三十年夏休み特別公演 第二部

とにかく暑い今年の夏。我ながら、よく気が狂わないもんだと、自身の強さに感心するやら、「普通はならんよね」と冷めてみたりww。

ここ数年は、第一部の「親子劇場」から観ることにしていた文楽の夏休み公演だが、演目に目新しさもなかったので、お子さんたちに席を譲るとして、二部と三部を見物。「見物」というよりも「涼ませてもらいに来た」という方が正しいかも。

さて、本題に入る前に、7月30日に我が家の郵便受けに届いたのは、NPO法人人形浄瑠璃文楽座からの一通の文。「今年度いっぱい(明年3月末日)で、その活動を停止する旨、過日の臨時総会で決定した」との報。賛助会員の小生なんざぁ、毎年3500円の賛助会員会費払ってるわけだが、「これ!」という魅力もないので「次回更新時に退会やむなし」と考えていた矢先だったので、いいタイミングとなった。一般社団法人文楽座とNPO法人文楽座が併存しているのも、おかしいハナシであるし、いいじゃないか、一社の方も軌道に乗ってきたということらしいから。要するに、NPOの最たる目的だった「普及活動」に、世間からお声がかからなくなったということだろう。ちゃうのか?

一般市民にはどうでもよいハナシはここらで置いておき…。舞台の方はどうだったかというハナシに移ろう。

<第二部 名作劇場>

本日のお座席からの眺め

「名作劇場」と言う割には、近代になって「初上演」となる演目だから、実際のところは「名作」なのかどうかの判定は下されていない。そんな演目をいきなり「名作劇場」にぶつけてくるんやから、エエ根性してはるわ、ホンマ(笑)。

卅三間堂棟由来(さんじゅうさんげんどうむなぎのゆらい)

京都の三十三間堂で、このたび約80年ぶりに国宝の風神・雷神像と二十八部衆像の配置換えが行われた。

京都・三十三間堂で風神・雷神像、80年ぶり配置換え

京都市東山区の三十三間堂で、ともに国宝の風神・雷神像と二十八部衆像の配置換えがあり、31日に報道陣に公開された。約80年ぶりの並びかえという。
三十三間堂では、中央の千手観音坐像の周りと1001体の千手観音立像の前に、二十八部衆像と風神・雷神像が並んでいる。これまで、修理に伴い昭和9年ごろに変更した配置が続いてきた。今回、鎌倉時代の版画やこれまでの学術研究などに基づき、創建当時に近づけた。三十三間堂を管理する妙法院の杉谷義純門主は記者会見し「御利益をより一層お届けできるように並べ直した。今まで以上に観音様も落ち着かれたように見える」と話した。
*引用『産経WEST』

ってことに因んでの上演なのかどうか、これが番付に記載がない。ってことは「偶然」やったということでエエねんな。それにしても、上演回数の多い演目である。他にあるやろ、見せておくべきものが、咲さんで聴かせるべきものが…。重箱の隅をつつくような指摘になってしまうのだが。
などと、文句言いながらも、これは名作ではあるわな、確かに。ラストのみどり丸にはいつもウルッときてしまう。そしてやっぱりみどり丸を遣うのは、蓑太郎だった…。

「平太郎住家より木遣り音頭の段」
中:睦、宗助
睦はこういう場の方が、持ち味生かせるんやないのかなと、期待しつつ…。和田四郎がまあまあ表現できてはいたので、文楽劇場では平成4年以来となった、和田四郎の筋を際立たせることが辛うじてできたんじゃないかと。そういうことにしておこう。一方で、お柳さんのクドキは非常によろしくなかった。ってことで、「宗助はんの太棹を鑑賞するお時間」ということで、満足しておく。

切:咲、燕三
やっぱ、別格の存在だわな、咲さんは。ベテラン勢が続々と舞台を下り、あの世へと旅立っていく中で、唯一「ああ、文楽聴きに来たんや、俺」と思える太夫となってしまった。お柳さんが消えゆくあたりなんかは、前のめりで舞台の人形ではなく、床の咲さんを見つめてしまうばかり。もうちょっと浸っていたいのだが、なんとかならんかね? この建て方は…。

奥:呂勢、清治
この二人も、安心と信頼の領域に達している。「清治師匠に引っ張られて奮闘する呂勢太夫」というのは、遠い昔のように思えるが、ほんの数年前のハナシである。呂勢の充実ぶりがうかがわれるというもんだ。

人形は、お柳の和生師匠が際立っていたが、和田四郎の玉勢も近頃とみに動きがダイナミックになってきたと感じる舞台を見せる。が、何かが足らないような気もした。本人は「何か」に気づいているはずだが、単なる三流見物人にすぎない小生にはわからない。わかれば来るのがもっと楽しくなるのに…。平太郎は、玉男はんやないやろうなと感じた。ここらで若手を抜擢してほしいところだが…。あ、そして忘れちゃいけない、再び言うが、みどり丸の蓑太郎。泣かせるねぇ…。すっかり十八番になっているが、それがいいのか悪いのか…。どちらかと言えば後者だろう。

大塔宮曦鎧(おおとうのみや あさひのよろい)

■初演:享保8年(1723)2月、大坂・竹本座
*初演の太夫は竹本播磨少(初代政太夫・二代義太夫)

■作者:竹田出雲、松田和吉(=文耕堂)合作 添削:近松門左衛門


明治25年(1892)5月の大阪・御霊文楽座での公演を最後に上演が途絶える。「途絶えた」ということは、「おもろない」から途絶えたわけで、そんな作品は浜の真砂の数なんだが、国立劇場で行われている文楽古典演目の復活準備事業の一環として、平成23年に野澤錦糸により復曲された。小生は、その記念すべき「復曲公演」を聴いている。そのときの模様は下記の如し。

何度かの試演の後、平成25年に東京・国立劇場で人形浄瑠璃として上演されるに至った。ってわけで、今回の大阪での上演はなんと126年ぶりのことになる。当然ながら、国立文楽劇場では初上演。これは見逃せない。本音を言えば、さっきの「卅三間堂~」はパスして、これだけ幕見でもよかったんだが、それでは咲さんが聴けないという悩ましい事態(笑)。

番付(公演パンフ)によれば、

『太平記』に描かれた後醍醐天皇の皇子・大塔宮護良親王の鎌倉幕府を倒す戦いにおける活躍と、鎌倉幕府の京都の出先機関である六波羅方の斎藤太郎左衛門の一族の悲劇を描いた全五段の時代物です。

ってことだが、「五段目」にあたる今回上演部分にはその大塔宮は登場しないところが、やや拍子抜け感がある。大塔宮に関しては拙ブログ『近鉄南大阪線新型特急車両「青の交響曲(シンフォニー)」試乗会』で下記のように説明していたことを、ふと思い出した。

建武中興に翻弄された護良親王ゆかりの地

蔵王堂前には、「大塔宮御陣地」の石柱とともに有名な「四本桜」が。大塔宮こと護良親王(もりよししんのう / もりながしんのう)は、後醍醐天皇の皇子でその生涯は、建武中興をめぐる歴史に翻弄されたと言える。吉野と言えばやはり南北朝の歴史物語にまつわるれあやこれやも数多く、興味は尽きないのだが、日本史の中ではこの辺の時代が超苦手であるからできればスルーしておきたい(笑)。
また「大塔宮」については、浄瑠璃の『大塔宮曦鎧(おおとうのみやあさひのよろい)』を聴くとよろしいかと。
引用*【鉄おた】青の交響曲(シンフォニー)試乗会

なんかズルいね(笑)。「アレを知りたけりゃコレを見ろ、コレについてはアレを見ろ」みたいな、お客さんたらい回しで、すんまへん(笑)。しかしまあ、小生も大概「おたく」である(笑)。

「六波羅館の段」
この段は「判じ物」のくだりを楽しむのが通なんだそうだが、これは今回の上演だけでは、付いて行くのがやっとだな。いや、たとえ「やっと」であっても付いて行けた人、小生は尊敬するよ、いやホンマに。

「切子燈籠」がポイント。そこに描かれた絵柄をめぐる三位の局と斎藤太郎左衛門のやりとり、もう一つは、常盤駿河守範貞が「切子燈籠」に込めた意味。ま、うっすら「そうなのかも?」くらいに感じさえすれば、後段の「身替音頭」への流れやその位置づけも「あ、そっか!」とはなるんだが、やっぱりそこは、もっとしっかり解釈したいわけで…。一回や二回見物した程度では、小生如き三流には到底無理なハナシだ。いや~、思った以上の難敵だ。

中:咲寿、清馗
いやもうアナタ、咲寿くんは公演を重ねるたびに良くなってゆくのが、三流見物人にさえよくわかるねぇ。「一人広報担当なおしゃれな兄ちゃん」かと思ってたら、いつの間にかめきめき実力つけてきてるやん。長台詞があるのだが、イキの遣い方も不自然さなく、間もよく進めていたのには感心。

奥:靖、錦糸
もはや、靖太夫には何の心配も不安もない。錦糸はんの三味線もこうなると、「思ったように存分にやんなはれ」という響きに聴こえてくるから、不思議なもんである。実際は知らないが(笑)。

「身替音頭の段」 振付=山村友五郎
例によって(笑)、高貴なお子の身替りに、誰かの子が殺されてしまうという、文楽ではしょっちゅうある展開。「斎藤太郎左衛門、見直した!」みたいな展開も、これまたお馴染みで…。しかし、「輪になって踊ろう」状態の子供たちがツメ人形なのに、一人だけ蓑之が遣ってるんやから、ご見物のほぼ全員が「あ、この子が殺されるんや!」ってところはわかってしまうわな(笑)。
先に紹介した拙ブログの「復曲公演」時にも記してあったのだが、

今回は、三段目全段通して、文字久&錦糸でやったわけですが、聴いていて「あ、ここで切って、こっから先は切場語りが出た方がええかもね」みたいな個所も明らかにあるなど、初めての作品としては何かと収穫がありましたね。
いつになるかはわかりませんが、この浄瑠璃がきちんと舞台にかかる日が来るのが楽しみです。そのときはもう住、源、嶋の時代ではないかもしれません。今日語った文字久はその点では、ひとつのきっかけにもなるんじゃないですかね。
「明治25年以来の復活公演!」の際に、文字久が切場を語る…。う~ん、まだまだまだまだ先の話やな…。

その「あ、ここで切って~」のところで、小住から千歳へ継がれる。「お、やっぱりそこやよな!」と、ちょっと勝利者気分(笑)。残念ながら、段切りは文字久ではなく千歳だったが。
そして、「住、源、嶋の時代ではな」くなっていた。住も源もこの世にいない…。こんなことは的中してほしくはなかったが、現実は厳しい。

中:小住、勝平
小住もよかった。ますます恰幅よくなってきて、太夫然としてきたのが良い。元々、肚から声を押し出す迫力があったので、さらに磨きがかかってゆくのだろうなと、今後が楽しみ。勝平も落ち着いていて耳あたりの良い音を鳴らしていた。

奥:千歳、富助
いつもどおりの千歳はん。途中「辛いんですか?」と聞きたくなるような場面もあったが、どうにかこうにか踏ん張ったというところか。オトシでパラパラっとでも拍手が来ていいようなもんだけど、客席はうんともすんとも言わなかった。って言う小生も「う~ん」と腕組みしていたわけだが…。

音頭が哀感を誘う。

冥途の旅に行く鳥と、娑婆に残れる親鳥の、涙に絞る袖の露、消えし昔の物語。踊り子衆父上も、聞いて諦め給へとて、語るも同じ涙ぞや

に続くのは、『満仲』のエピソードを取り入れており、思わず「源満仲やん! 多田神社(兵庫県川西市)やん!」とか「多田神社と言えば三ツ矢サイダー!」とか余計なことに頭が回って、そうこうしているうちに「あいやー!殺された!」てなことに…。そりゃ、ないわー、色んな意味で…。

いにしへ多田満仲の、夢幻の世を観じ、乙の若君美女御前、墨の衣に染めて染まらぬ御怒り。『美女が首討て仲光』と主命逃るゝ方もなし。無惨なるかな仲光は、切れとあるもお主なり、とかく我が子の幸寿丸、御身替りと思ひ込む、親の心を子は知らず。手振り袖振り、見るに消え\/弱る心を取り直し、切って替へたる末世の手本。

ここらへん、けっこうスリリング。そして「そうなのか! そう来たか! 斎藤太郎左衛門!」ということになるのであった…。

ストーリーや詞章の組み立てが素晴らしい演目。それこそ幕見で今公演中にもう1回観ておきたいけど、また次回の上演まで待つとするか。もっと練りこめると思うので、その時の楽しみにしておこうと思う。

この場に至るまでのストーリーがもっと良くわかっていたら、もっと楽しめたのは言うまでもないこと。登場人物それぞれの関係がよくわるように、人物相関図が欲しいところだ。これは「初上演」の演目には欠かせないと思うのだが、やはりここのパンフは不親切だ。650円の値打ちなしである。

(平成30年7月22日 日本橋国立文楽劇場)



 


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