【香港陥落21周年-1】香港が中国に持って行かれた日

「香港陥落」なんていう過激なタイトルにしたが、まあ、そういうことだろう。日本語的には「返還」なんだろうけど、返還相手たる中華人民共和国は、その歴史の中で、香港を統治下においたことは一度もなかったわけで、実際には英国から中国への「主権移行」とか、中国による香港の「回収」とかいうものだろう。英語では、「handover=引き渡し、手渡し」との表記が普通だった。

今や、嫌中意識や香港至上意識の強い若者世代、いわゆる「香港独立派」「港獨派」は、これを「香港陥落」とさえ呼ぶ。小生も心情的には彼らと同じだ。

その「陥落」の日から、もう21年が経過したのだ。当時の小生は、善良なる英国属土香港の一市民であった。一夜明けて、中華人民共和国香港特別行政区の一市民という身分になった。それによって、何かが変わったわけでもなんでもなかったのだが、日本から自宅に来る郵便の多くに「中国香港 香港仔 田灣 嘉禾街 ●●號 ■■大厦20樓 A室 Leslieyoshi先生」と、わざわざ「中国香港」と書いていたのには苦笑したもんだ。「今まで通り、『香港』でエエねんで」と教えてあげると、「いやいや、『中国香港』って書きたかったんでw」と言う。「『最後の香港』を目に焼き付けておくため、来ました~!」って、返還前に旅行に来た人たちが、今度は手のひら返して「中国香港」と言ってはしゃいでいたのだ。日本の人たち、すべてがこの調子だった。

今やすっかり「中国香港」となった香港。21年前の7月1日、「まあ、『50年不変』なんてあり得へんし。5、6年で赤化もほぼ完了してるやろうねぇ」なんて思っていたが、意外にも21年経過しても完全に赤化したわけではない。これは予想外だった。とは言え、じわりじわりと中国の侵攻は巧みに進められ、「50年不変」ではなく、「50年で完了」という雰囲気を強く感じているのは、小生だけではあるまい。これはやはり、どう考えても「返還」というようなナマやさしく、平和的なものではない。やはり港獨派が言うように「陥落」と呼ぶにふさわしい現実がある。
「陥落」を過激だと言うなら、もうちょっと薄めて「香港が中国に持って行かれた日」とでも言っておくか。

その21周年の日、いつものように民主派によるデモが行われ、建制派(親中派など親香港政府一派)の祝賀行事も行われた。そこから小生が感じたことなどは、これから追って記していくとする。あまり楽しいハナシではないが、ノー天気な拙ブログが年に数回だけ、クソ真面目になる期間として、しばらくは御辛抱のほどを(笑)。

1997年6月30日、7月1日 、英国撤収から解放軍進駐までのミニドキュメント

あの日、人民解放軍が進駐してくるのをテレビで見ていて、「ああ、これが『返還』ということなんやな」と納得したものだ。翌朝、自宅の窓から海上を眺めていたら、解放軍の艦艇が航行していた光景を忘れない…。


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