劇団新派
市川月乃助改め二代目喜多村緑郎襲名披露 九月新派特別公演
まさか自分が「新派」を観る日が来るとはねぇ…。
劇団のHPによると、
明治21年12月3日、角藤定憲(すどう さだのり)により、「壮士芝居」が生まれました。
江戸から明治に変わり、海外からの思想や文化が溢れるように入り込んで来た時代、藩閥政権に対する不平士族たちによる自由民権運動が勃興し出しました。その活動家たちが自由党壮士です。
そんな中から反政府活動を行う上において主義主張を芝居に仕組んで訴えた方がより効果的であると考えた角藤定憲は、「大日本壮士改良演劇会」と称して、大阪新町の新町座に於いて「壮士芝居」を旗揚げしたのです。これが新派の誕生です。
というわけで、壮士芝居の立ち上げから128年となる老舗劇団である。さらに、その壮士芝居は、大阪新町座で産声を上げたというのだから、上方ゆかりの劇団でもある。以来、様々な離合集散を繰り返して現在の形があるのは言うまでもない。
小生が新派で知っている俳優と言うと、水谷八重子、波乃久里子、英太郎、そして今回、二代目喜多村緑郎を襲名した市川月乃助といったところ。ま、こんだけ名前が浮かべば世間では「よう知ってはる」部類なんだろうけど、舞台をナマで見物するのは今回が初めてのこと。「客層は?」「客入りは?」「そもそもおもろいの?」と不安いっぱいなのだが、なにせ襲名披露。寿命を少しでも伸ばすため(笑)、そして自分自身の間口を広げたり、抽斗の数を増やしたりするためにも、観ておいて損はないだろうというわけで。
昼の部、夜の部迷ったが、『婦系図』がかかる夜の部を選択。幕が下りた後には、水谷八重子、波乃久里子、二代目喜多村緑郎によるトークもあるとのことで楽しみだ。
あいにく、午後から激しい雨降りとなった秋分の日だが、松竹座はまずまずの客入り。にしても、この大名跡復活に際しても、新橋演舞場11日間、松竹座9日間という短期間の公演はちょいと寂しいかな。ま、東阪の大劇場での公演となっただけでも松竹は「やれることやった」というところか。
で、小生は歌舞伎も含めたこのところの松竹の「襲名ビジネス」にまたも踊らされて、のこのこと松竹座へやって来たわけである(笑)。
二代目喜多村緑郎襲名披露
一、口上
中央に二代目緑郎。上手側に水谷八重子、下手側に波乃久里子の両巨頭。上手側は歌舞伎からの客演陣。松也、春猿、猿弥。下手側が重鎮の英太郎、瀬戸摩純、新加入で松也の妹、春本由香。また列外には、今公演から幹部俳優に名を連ねることになった中嶋ゆか里改め英ゆかり、市村新吾の二名。歌舞伎のようにお披露目役はいないが(あえて言えば水谷八重子か?)、大方は歌舞伎の定式にのっとったやり方進め方に「意外と古風なんや~」と驚くとともに、立ち上げから120年を超える劇団の矜持のようなもを感じた好ましいものだった。
まあ、二代目緑郎も数年前までは歌舞伎の人。猿翁のもと澤瀉屋の主力の一人として腕前を上げて行っていた役者なので、この形式には何ら違和感はなく、人気の歌舞伎役者3人も列座しているし、実に「らしい」形だったんじゃなかろうかと。
婦系図(おんなけいず) ―初代喜多村緑郎本に依る―
■初演:明治41年10月、新富座
■作者:泉鏡花
*補綴・演出:成瀬芳一 *演出:大場正昭
『婦系図』の筋書き自体はよく知っている。それをわざわざ新派の舞台で観るということは、そしてこの芝居が新派の代表的狂言としてよく知られているということは、それ相応の意味合いがあってのことだろう。
早瀬主税(緑郎)がお蔦(久里子)との別れを迫られて泣き崩れるまでは、実はかなり退屈していた。かなり舟も漕いでしまった。しかし、出入りの魚屋「めの惣」(田口守)が後々、大事な役どころになってゆくんだから、実はここら辺の会話のやり取りも記憶に残しておいた方が、後で番付パラパラめくりながら見物する煩雑さから免れるってもんだから、寝たらあかんわ、やっぱり(笑)。
で、後半。
冴返る春の寒さに降る雨も、暮れていつしか雪となり…
だったかね?聴こえてくるあの清元は。お蔦と主税の別れる場面。なかなか切り出せない主税…。ま、男子とはこういうもんだわな、明治であっても平成であってもな。そしてそして例の、あまりにも有名なあのセリフ。
「切れるの別れるのって、そんな事は芸者の時に言うことよ。今の私には死ねと言ってください」
「うわぁ~~~!これかよ!」。終演後のトークで「お蔦を演じ続けたい」みたいなこと言ってた、それこそ自他ともに認める「当たり役」の波乃久里子のセリフで聴いちゃったわよ~、みたいなことで、ある意味、今日来た「大願成就」というところなんだが(笑)。
実はこの湯島境内の幕よりも人気があるんじゃないかと言われているのが、次の「めの惣」。実は小生もこの日、「めの惣」を観て、湯島境内よりもこっちの方が気に入った。湯島はそりゃもう流行歌になるほどの名場面であるし、この作品の見せ場なんだけども、「めの惣」を訪れた酒井妙子嬢(春本由香)と柏屋の小芳(八重子)の「まさに今明かされる」関係に、小芳とお蔦が芸者を生業とする女の身の上を嘆き合うというこのシーンに、『婦系図』というタイトルの深層を見せられた気がした。
舞台暗転。「さてこの音はSLの汽笛? そして動輪が動いて汽車が走っている音?」という効果音。小生の世代はまだ実際に蒸気機関車の引く列車に乗ったことがあるからいいけど、SLが実走しているのを見たことがない世代にとって、これが何の音か果たして理解できるだろうか?新派の「今の客層」、いずれこの世代は客席から消える。その時、どうするんだろうとは余計な心配か?
「このエンディングでは若い人にはちょっと…」という、あまりにも昭和40年代のメロドラマ的終焉で幕が下りるのだが、初演明治41年ということからすれば、当時の大反響ぶりが目に浮かぶというものだ。
すでに「古典芸能」の領域に入ったと言っていいかもしれない新派。なかなか厳しい上演環境にあるというのがこの日の舞台や客層から感じられた。簡単に「新作を!」と、どっかの市長みたいなことを言う人も少なくないが、果たして新派がそれを連発して新規の客を取り込んだところで、離れていくのも早いだろう。そこで今回のように歌舞伎の実力者だった市川月乃助が移籍し、喜多村緑郎という大名跡を襲名、さらには松也の妹、春本由香の入団と、新しい風を取り入れたのだが功を奏するかどうかは時間がかかると思われる。どうしのいでいくのか、気にかけておきたい。
さて新派初体験の感想は?と聞かれたら…。
今回は歌舞伎でいつも観ている松也、春猿、猿弥がいたから「初めての会合だけど知り合いがいたから楽しめた」というところだが、こういう知った顔の客演の無い舞台を観たときも、同じように楽しめるかな…。ちょっと自信がない(笑)。
(平成28年秋分の日 大阪松竹座)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。