【ようこそお参り】盂蘭盆会「四天王寺万灯供養」

四天王寺万灯供養

世は、お盆である。
旦那寺のお住っさん(おじゅっさん=住職)がどうしても気に入らず、ここ数年、盆のお参りはおろか、月命日のお参りすら「来てもらわんで結構です」と、拒否しているウチの偏屈な父親…。まあ、そうなったにも色々と経緯があるわけだけど、だからといって、お寺さんには少なくとも春秋の彼岸と盆には来てもらわな、あかんのんちゃうん? と思いつつ、そんなこと言えば、大規模親子喧嘩になること必至。好きなようにさせるしかない…。

一方で、そういう一連のことに明らかに賛同していないのが見え見えな小生は、結局はこの家では、祝儀不祝儀親戚づきあいに関しては、一線を引かれてしまっているので、盆正月命日彼岸の墓参のお誘いもない。これはこれで困ったもんであるし、悲しい。

いづれにしろ、お寺さんは、小生のこの町に住まう上でのアイデンティティの拠り所の一つであるのは間違いないので、お寺との関係だけはなんとか修復してほしいもんなのだが…。

と、ちょっと我が家の問題を愚痴ったが、かかる状況においては、自分なりのせめてものご先祖への報恩の気持ちを示さねばならぬ。一応、長男ですし(笑)。
というわけで、日本仏教の総本山とでも言うべき四天王寺さんへは、ちょいちょいお参りしている。今回は、初めて「万灯供養」にお参りしてきた。

IMG_2118まずは、庚申さんこと、「四天王寺庚申堂」へ庚申参り。幼少のころ、おばあはんとお彼岸に天王寺さんへお参りしたときは、まずは庚申さんにお参りして、厄除けのこんにゃくをいただいて行くのが経路だったから、今もそうしているんだが、それが正しいのかどうかは知らない。ただ、これも「おばあはんが、そうしていたから」という、言うなれば「我が家の法則」なのであるから、受け継いでおきたい。あいにく、時間が遅かったので(高校野球に熱中していたw)、こんにゃくはいただけなかった、残念。隣接するY予備校に浪人時代に通っていたので、このあたり、とても懐かしい。

DSC00990.JPGreほどなく、南大門をくぐり、中門(仁王門)に到着。境内の無数の献灯が、盂蘭盆会の風物詩。東側(右)が那羅延金剛力士、西側(左)が密迹金剛力士で、大仏師松久朋琳・宗琳両師の作である。

DSC00994シンボルの五重塔。五重塔と金堂を回廊で囲む形で中心伽藍。伽藍配置は中門、塔、金堂、講堂を南から北へ一直線に配置する「四天王寺式伽藍配置」。金堂と塔一基が一列に並ぶ様式で、後の時代の薬師寺などに見られる「白鳳伽藍」とはまた違う美しさ、整然さが感じられる。

境内のあちこちで、一本700円で万灯供養用の蝋燭が販売されている。それを必要分購入し、戒名やら何々家先祖代々とか故人の名前などを、係の人書いてもらうか自分で書く。係の人だからと言って、必ずしも達筆とは限らないのは、この際、問わないでおこう(笑)。ちなみに蝋燭のサイズは30センチ弱、けっこうな太さである。

DSC01000.JPGre伽藍に足を踏み入れると、供養の蝋燭を立てる燭台がずらりと並ぶ。なるほど、これは「万灯」である。我が家はお西さんなので、仏さんらもできるだけ阿弥陀さんのお近くがよかろうと、選んだ場所は、講堂の阿弥陀如来像の御前。講堂前の階段には、自分たちがご供養する蝋燭を見守ろうというのか、多くの善男善女が手を合わせて陣取る。もちろん、素人カメラマンも多々あり。それもまた、よかろう。

DSC01001.JPGre点灯時刻になると、お兄ちゃんらが薬剤?を蝋燭の頭に置いていき、点火してゆく。どうやらキャンプなどで使う「固形燃料」のようなものらしいが、聞いたわけでもないで定かではない。燭台の下にはくぼみがあって、水がためられている。

DSC01012.JPGre次々と火が灯り、荘厳な雰囲気になってくる。これが15日になると、もっと数も増えてさらに荘厳さを増すのであろう。日ごろは無宗教な人でも、この光景を前にすると、思わず手を合わせたくなるから不思議だ。般若心経のプリントが配布されるので、僧侶が唱えながら伽藍内を回るときに、一緒に唱えると、さらに先祖への報恩の気持ちが高まるというものだ。なんともありがたい思いのするひと時である。

しかし、これだけ一斉に火が灯ると、大概暑い。「そんなん言うたら、罰当たりまっせ」と言われるかもしれないが、子孫を困らせる先祖など、おりませぬ(笑)。

我が家は母方の分家で、仏さんも祖父母と母の三体のみ。本当なら、さらにその先の先祖への報恩感謝も行うべきなんだろうけど、キリもないしね…。三本の蝋燭にそれぞれの戒名。燃え尽きるまでに何分要しただろうか。結構長く感じた。何を思うこともなく、何を思い出すこともなく、ただ、燃える蝋燭をじっとじっとじっと見つめる。般若心経を唱える僧侶のご一行が前を通り過ぎるとき、手を合わせる。そしてまた、じっとじっとじっと、炎を見つめる。でも、炎は何も語らない。そして、燃え尽きたとき、そっと手を合わせ、場を立ち去る…。またいつか、と。

DSC01025.JPGre祈りの灯を見下ろす、あべのハルカス。実際には、写真以上に絵になる光景であった。

DSC01029.JPGreハルカスに引けを取らぬ五重塔も、万灯の「ライトアップ」で夜空に照らし出され、威風堂々。

DSC01039.JPGreさて、六時堂前の「亀の池」では、石舞台に大櫓、池の両側にも水上櫓が建てられ、7時半からは、河内家菊水丸による河内音頭『聖徳太子一代記』が二日間にわたって奉納されるとあって、ギャラリーでいっぱい。前日は「ご生誕編」を2時間ノンストップで音頭を取った菊水丸師、この日は「少年時代編」を、途中で何回か休憩を入れながら、それでも90分以上音頭を取るというから、ご立派である。菊水丸師が歌い始めると、あっという間に亀の池を取り囲んで、河内ダンサーたちの踊りが始まる。まあ、大阪で、とりわけここらあたりから南で育った人なら、河内音頭の踊りなんてお手の物というわけで、ダンシングタイム、大盛り上がりである。平成34年(2022)に1400年の御聖忌(ごせいき)を迎えられる聖徳太子もさぞ、お喜びであろう。

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聖徳太子は、十七条憲法の第一条で、「和を以て貴しとなす」と申された。冒頭で愚痴った我が家の問題程度ならば、その精神に則れば、なんとか解決できると思うが…。父子そろって、偏屈だからねぇ…。

ま、そんなあれこれの、我が家の盂蘭盆会である。

(平成27年8月12日 和宗総本山四天王寺)


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