【上方芸能な日々 文楽】平成27年夏休み特別公演<3>

人形浄瑠璃文楽
平成二十七年夏休み特別公演 第三部<名作劇場>

『生写朝顔話』前半は、後半に期待を持たせて、終演。そうこうしている内に、18時から後半が始まる。入れ替え時間、わずか30分。これはけっこう慌ただしい。

2階ロビーには、嶋さんの人間国宝認定答申のお知らせが

第三部、『生写朝顔話』に入る前に、舞踊ものをまずはお楽しみをというわけで、『きぬたと大文字』。

「四季の曲より」
きぬたと大文字

■初演:昭和31年(1956)3月、道頓堀文楽座
■元は歌人・九條武子の詩。「雛まつり」、「京の大文字」、「想夫恋(そうふれん)」、「落飾」の四景からなる『四季の曲』が野澤松之輔によって作曲される
*今回上演部分は、「京の大文字」=夏、「想夫恋」=冬。昭和33年再演時、この二つが上演され、下題も『きぬたと大文字』に改められた

 

どちらのテーマも「別れ」。「京の大文字」では舞妓の姉妹が送り火を見て、亡き両親をしのび、「想夫恋」では、夫の留守を守る妻の心を歌う。

舞妓姉妹を、紋秀、簑紫郎。砧の女を清十郎。清十郎、美しくかつ、哀感の伝わる遣い方で、前の舞妓姉妹の二人との力量の差を示す。

床にはフレッシュな顔が。春先に研修期間を終了して、咲大夫門下に入った咲若大夫が末席に。太夫4人だから彼がどんな声でどないな語りをしているかなんて、いくら床の真下の席にいても、これはわからん。ただ、三輪大夫と遜色ない貫禄だけはあるので(笑)、今後に大いに期待しよう。

第二部の「特等席」のひとつ後ろの席だったが、床との距離はほぼ同じながら、足を伸ばせないのがつらいところ(笑)。

生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)

「嶋田宿笑い薬の段」
またしても萩の祐仙登場。大内家家臣の駒沢、岩代が同宿。祐仙は岩代とは旧知の関係。駒沢を快く思っていない岩代が、祐仙と組んで、駒沢を亡きものにしようと企むが…。

中:芳穂大夫、清丈
「次」のクライマックスに向けて、いい感じで露払いという役目をきちんと果たす。

次:文字久大夫、藤蔵
悪だくみした祐仙が、逆に自分の計略にはまってしまい、笑い薬を飲んでしまう。あとはひたすら笑い続ける祐仙。「笑う」とはいえ、あくまでも義太夫節。そのうえ、この笑いを客席にも共有してもらわなければならない。ここは太夫の腕の見せ所、喉の鳴らし所。で、文字久。いや、笑いましたよ、もう客席は大笑いでしたよ、萩の祐仙に負けないくらい。ただ、なんか肝心の文字久大夫自身が堅いと言うか、極端な言い方すると、ひきつっていると言うか…。勿論この場面は、師匠住大夫の得意とする場面でもあったわけで、師匠から弟子への芸の伝承と言う点では、文字久が受け持つのがふさわしいのはわかるけど…。どうも小生には「適材適所」とは思えない…。笑いながらも、そんな疑念を抱いたまま、この段が終わってしまったのが残念。まあ、見物側は簡単に「適材適所」と言うけど、そうもいかない、あるいはそんな事ではないねん、って事情もあるんだろうけど…。難しいねえ。これは。

人形はもちろん、祐仙(勘十郎)の独壇場。この動きがあればこそ、文字久大夫の「笑い」が生かされた。

「宿屋の段」
切場。咲大夫、燕三
琴で清公。人形は、この段から朝顔を紋壽師匠が遣う。一輔、簑助、紋壽と三者三様の深雪=朝顔を観られるという、これは贅沢な人形配役。文楽好きなら、ウキウキするだろう。

駒沢は実はかの宮城阿曾次郎。そう、朝顔=深雪が恋心を抱きながらもすれ違いを繰り返し、結果、盲にまでなってしまった、そこまで会いたい会いたい、阿曾次郎。再会すれども、目は見えず、そのため阿曾次郎とはわからないままの朝顔…。

朝顔は琴を弾き、身の上話を語るも、聴かせてる相手が阿曾次郎とはつゆ知らず…。

このあたりの阿曾次郎、朝顔の心情は咲さんが見事に聴かせてくれて、紋壽師匠が見せてくれる至高の舞台。大笑いした後の客席の空気が、一気に引き締まる場面の連続。結局、その空気を作るのは太夫次第。そんなこともよくわからせてくれる。

そしてそして。文楽らしく(笑)、「甲子の年に生まれた男の生血とともに飲めば、どんな眼病でも治る明国渡来の目薬」が登場し、次の「大井川」でこの薬が!

「大井川の段」
睦大夫、宗助が一日を締めくくる。睦、大奮闘。
琴を聴かせた相手が阿曾次郎とわかった時には、すでに阿曾次郎一行は宿を出て大井川を渡って…。追っかけてきた朝顔だが、大雨で川止めに。すれ違いの運命を嘆き、川へ身を投じようとする朝顔…。

物語は、例の明国渡来の眼病の妙薬のおかげで、朝顔に視力が戻ると言う奇蹟が起きて、ひとまず幕。さらにこのあと「帰り咲吾妻の路草」、「駒沢上屋敷」と続いて、本当のエンディングになるが、朝顔の目が開くという終わり方で、おおよそその後の展開も読めると思うから、ここで終わってもまったく不満は無い。

とかく、ドタバタ感のある舞台になりがちなエンディングだが、ここは睦大夫が踏ん張って、ドタバタしないように語ったというところかな。宗助がそこらはうまくコントロールしたと思うし、人形も応えたんだと(思っておこう)。

断片的には記憶にあるものの、今回、「おおよそ通し」というかたちで、上演してくれたことで、改めてきちんと理解することができたのがよかった。それと今回も、番付(パンフレット)に人物相関図が掲載されているのもよかった。
ってことで、次は秋の本公演。『玉藻前曦袂』、これも久々だなあ。

(平成27年7月25日 日本橋国立文楽劇場)





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