【上方芸能な日々 文楽】平成27年夏休み特別公演<2>

人形浄瑠璃文楽
平成二十七年夏休み特別公演 第二部<名作劇場>

今年の夏の公演は、例年より期待度が高い。『生写朝顔話』の「ほぼ通し公演」があるから。
文楽劇場で、この演目がこういう形で公演されるのは、いつ以来だろうか? もしかして初めて? 興味ある方は調べて教えてください(笑)。

まずは第二部で「宇治川蛍狩の段」から「浜松小屋の段」までを観る。

第二部のお座席からの眺め

黒子が太夫が使う見台の準備をしている。ここは実に良いお座席である。人形を観るのちょっとしんどいけど、「文楽を聴きに来た」という人には、これほどの上席はないだろう。しかもここ、前に座席ないから足も伸ばせる(笑)。席番号なんて教えられるもんか(笑)。暑さ厳しい折、Tシャツ、短パン、ビーサンという、「近所にタバコ買いに行くんかい」な装いで来た小生が、ここで足伸ばして浄瑠璃聴いてる風景は、ちょっと行儀悪いかもしれないけど、まあ、リラックスできるいでたちで来て、リラックスして鑑賞すればいいのよ。そんな堅苦しいもんじゃないよ、実際に文楽は。

生写朝顔話(しょううつしあさがおばなし)

■初演:文化10年(1813)、歌舞伎で。天保3年(1832)、人形浄瑠璃で
■作者:不明点多々。原拠は司馬芝叟(しばしそう)の長唄『蕣(あさがお)』と考えられるも、現存せず内容不明。清代の戯曲『桃花扇』に大きな影響を受け、文化8年(1811)刊行の読本『朝顔日記』が物語の成立に大きな影響を与えたと考えられている

 

「宇治川蛍狩の段」
床は掛け合い。
阿曾次郎を三輪大夫、深雪(みゆき)を南都。以下、始、希、文字栄、小住、咲寿。三味線は喜一朗が一人で仕切る。ベテランはもうすっかり良くも悪くも自分の「型」が出来上がってるから、興味は薄いけど、若い人は発展途上だから、毎回楽しみ。この日は、小住が印象深い。もちろん技量はまだまだなんだけど、彼は語るときの口の形がきれい。声質も押し出しがいいので、詞が聞き取りやすい。咲寿ともども、伸び盛りを実感できる。

人形は阿曾次郎が玉男、深雪が一輔。相変わらず、立ち姿美しい一輔に見とれる。船頭で玉峻(7月26日まで)、玉延(千秋楽まで)と玉男門下期待の新鋭が、船頭でちょこっと顔見せするので、ご婦人方、くれぐれも…(笑)。

「真葛が原茶店の段」
松香大夫、清友
毎度言うが、松香はんが出てくると「さあ、文楽始まるよ~!」って感じになる。これはまあ、風格と言うのか、安心感と言うのか。

ここから「萩の祐仙」が登場。こやつ、名前見ると花魁のような気もするが、この先、ある意味、物語の中心的存在になる悪い奴。悪い奴と言っても、憎まれ役でなく、どっちかというと「愛されキャラ」。半分はこやつの物語と言えないこともない。遣うのが勘十郎ということからも、その重要な「ポジション」がうかがわれるというもの。この段は、その前フリということで。

ちなみにこの段、昭和53年(1978)の国立劇場以来17年ぶりの上演。ってことで、初見。

「岡崎隠れ家の段」
『仮名手本忠臣蔵』九段目のパロディ仕立て。九段目同様、舞台上手に出入り口が設定された「逆勝手(さかかって)」になっている。通常、人形は下手(向かって左側)から登場するが、逆勝手があることで、上手から登場する人形もある。その一人が、「萩の祐仙」というわけ。

また義太夫節もあちこちに九段目を思わせる節付けが施されていて、これは浄瑠璃マニアがニヤッとする場面。こういうのも文楽見物の楽しみ。

火急の案件勃発で国へ帰る阿曾次郎を、医者の桂庵(簑二郎)が連れて来る日。深雪に好意を寄せる萩の祐仙が阿曾次郎に変装して来るのだが…。

勘十郎が自由奔放に萩の祐仙を遣って、客席に笑いを引き起こす。この時点で、物語の主人公は完全に萩の祐仙になってしまうから、深雪もたまったもんじゃないだろう(笑)。
床は、中を靖大夫、清馗、萩の祐仙が笑いをとる場面からの奥を千歳大夫、富助で。千歳大夫の語りもよいから、人形も存分に動けた、そんな好印象。

この日は天神祭本宮。大川で盛大に船渡御が行われる。今年も文楽船が落語船ともども、道頓堀から出航する。船に乗り込む一行の出発式が、休憩時間に行われた。劇場から道頓堀まで地下街などをにぎやかに「お練り」して行く。

omeri弥次さん喜多さんが、わいわいとお練りする。玉也さんが大阪締の御発声。ギャラリーも「う~ちましょ、チョンチョン」ってな具合に祭り気分。ほんと、道頓堀川がプールにならなくてよかった。こうしてミナミの街から文楽船が大川へ向かうのが、大阪の夏、天神祭船渡御の本筋というものだ。余談ながら、クールな印象の玉也さんだが、実はすごく「うれしがり屋」と見た(笑)。

コーヒー飲んでタバコして、御不浄もと、あっという間に15分の休憩終了で、物語前半の終盤へ。

「明石浦船別れの段」
前半のクライマックスだろう。前段で、萩の祐仙が阿曾次郎に扮装して秋月家へ深雪を訪ねて来たものの、あっという間にウソがばれて、追い払われた後に、正真正銘の阿曾次郎が出立の挨拶に来たが、運悪く、秋月家も国に火急の案件勃発で、帰国の支度で大わらわ。まだ懲りずに祐仙が来たのかと、追い払われてしまう。ああ、すれ違い。
明石浦で再会を果たした阿曾次郎と深雪だが、またしても運命のいたずらが…。

床は津駒大夫と寛治師匠。燕二郎の琴が小生の右肩の上で奏でられる。こういうときって、こっちがなんか恥ずかしい。「目え、合うたらどうしよう」って感じで(笑)。もちろん、弾く方はそんなこと一切眼中になく、ひたすら琴に集中。ま、当たり前だわな(笑)。

寛治師匠の三味線、燕二郎の琴、さらに人形は、なかなか聴き応え見応えあって、こりゃええわ~というところだったが、津駒さんの語りがどうにもこの場面に合っていないような気がしないでもなく、結局、終始そこが気になってしまった。この後にも「この人は、ここでよかったのかな」と思う段があり、配置の難しさを思う。

(大磯揚屋の段、弓之助屋敷の段、小瀬川の段、麻耶が嶽の段は上演無し)

「薬売りの段」
咲甫大夫が上手。遠江はは浜松城下で「笑い薬」を売る、立花桂庵の売り口上が面白おかしく、「これは相当効く笑い薬やな」と、観客も思ってしまうほどで、これが。咲甫はちかごろ、こういうのにも境地を見出したのか、楽しげであった。やってる本人がまず楽しくやってくれないと、客も楽しませられないだろうから、いいことだと思う。この笑い薬、後ほど、すさまじい効果を発揮するので、それを思うといやが上にもワクワク感が高まる場面(笑)。

この段も久々で、越路師匠が引退した年、平成元年(1989)7月の国立文楽劇場での上演以来となる。この時の床は、千歳大夫と弥三郎。

「浜松小屋の段」
阿曾次郎を追って家出して、泣きぬれ続けたために盲になってしまった深雪が、哀れ。朝顔と名乗って破れ三味線を弾いてどうにかこうにか飯を食う日々。深雪を探して巡礼となって諸国を回る、乳母の浅香との再会と別れ…。

呂勢大夫と清治師匠がたっぷり聴かせてくれる。いまや安心と信頼の領域に達した感が強い呂勢大夫。数年前までは良かったり悪かったり振幅も激しかったけど、もうそんなことはないだろう。

この段から、朝顔と名乗る深雪を簑助師匠が遣う。さすがに簑助師匠、盲となり子供たちからも蔑まれ許しを乞うまでに落ちぶれてしまった深雪=朝顔を哀切感を漂わせて遣って見せてくれる。首(かしら)も、深雪時代の娘からねむりの娘に変わって、さらに悲哀を誘う。

これで前半戦終了。続きを観たい人はぜひ第三部もお越しくださいってことに。そりゃ観るでしょう、この展開は。

(平成27年7月25日 日本橋国立文楽劇場)


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