【六四26周年】

11337010_873765479327158_9091675920736820537_o「六四=天安門事件」から、6月4日でちょうど26年が経過した。

終始一貫して、「平反六四=事件の再評価」を叫んできた香港だが、その姿が今年はちょっとこれまでとは違うものとなったようだ。

もちろん、これまでも「平反六四」を訴える民主派および大半の市民がいる一方で、異を唱える一派も少なからず存在していたわけだが、「百家争鳴」の香港において、おおむね、この「六四」だけは一枚岩の活動をしてきたはずだったが、そういう世の中でもなくなったようだ。

今年は、大きく分けて4つの流れのもと、6月4日を迎えた。

<1>「香港市民支援愛國民主運動聯合會=支連会」
例年通りビクトリアパークで、20時から2時間にわたって追悼集会(主催者発表13万5千人)

<2>「香港專上學生聯會=學聯」と民主派政党「社民連」
支連会の追悼集会終了後、22時半からビクトリアパークから西環の中央人民政府駐香港特別行政區聯絡辨公室(中連弁)までデモ行進(警察発表200人強)

<3>「香港大学学生会」
大学構内で19時半から追悼集会(約2000人)

<4>「香港本土派」
「天安門は香港に関係ない」との主張で、尖沙咀などで別集会(約1000人)、巡回バス運行

去年までは、<1>~<3>の派閥は、一応、まとまっていた(実情はわからない)。<4>も元は、ビクトリアパークで追悼集会に参加していた。中心的な存在である狂犬・黃毓民(レイモンド・ウォン)と並んで『血染的風采』歌ってたもん、俺。

以上の4つの流れに加えて、決して少数とは言えない「建制派」(日本ではこれを”親中派”とするが、すべての人士が”親中”というわけでもないのが、香港の難しいところ)も存在するから複雑である。

いわゆる「民主派」の活動が分散してしまった背景には、まず、昨年の「雨傘行動」が挙げらる。

そもそも「雨傘行動」、「佔領中環(佔中)=Occupy Central」は、来る2017年に実施される予定の香港特別行政区行政長官の選出方法に関して、中央が提示した方法、すなわち体よく民主派人士を排除する方式に対して、中高生、大学生を中心に反発の声が上がり、金鐘(Admiralty)、銅鑼灣(Causeway Bay)、旺角(Mong Kok)を学生や市民が長期間にわたって占拠した一件だが、最初からカリスマ的リーダーを欠くこの行動は、比較的早い段階で参加者の行動をコントロールしきれなくなり、様々な軋轢や反発、分裂を生みだしてしまう。

その結果として「香港專上學生聯會退出風波」という事態が起きる。學聯は、香港の8大学の学生会から構成される組織で、大学生の立場から香港の民主化を学習し、民主派政治家や民主派団体と協調しながら、民主化の力になって行こうという組織だった。当然、「佔中」でも中心的な立場にいたが、佔中行動が長期化するにつれて、暴力的事態の発生を嫌う姿勢に苛立ちを感じるデモ参加者も少なくなく、強行突破派との対立を生じることになる。

その結果として、各学の学生会に「學聯を脱退するか否か」を問う投票を、との機運が高まり、投票を実施した、香港大、嶺南大、理工大、浸會大、城市大のうち、嶺南大を除く3学で學聯の脱退が決定する。ただいずれも、法定投票率を辛うじて超えての結果だけに、これが学生の総意というわけでもなさそうではあるが…。

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中文大学生会長・王澄烽くん、樹仁大学生会外務副会長・陳瑞玲さん、理工大学生会外務副会長・黃沅羚さん及び城市大学生会外務副会長・梁曉暘くんは、六四追悼集会のステージ上で「香港基本法の改正」を要求し、基本法の冊子を燃やした by “明報”
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独自集会を開催した香港大学では、学生ら2000人が集まって、「六四」犠牲者を追悼した by “明報”
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「急進民主派」の集会は九龍側の尖沙咀プロムナードで。「反共」を訴えるとともに、支連会の手法を批判 by “東方日報”

「香港本土派」や「激進民主派」については、本来は民主派内の一派として、民主党や支連会と行動を共にすることもあったが、「六四」については「支連会」の、「佔中」をはじめとする香港の民主化活動については、民主党を中心とした汎民主派の活動に「しびれを切らした」連中。

わかりやすいのは、「支連会」が「六四」のスローガンのひとつに「建設民主中国」を掲げ、「香港の民主化のためにはまず中国の民主化から」とするのに対し、「香港本土派、激進民主派」は、徹底的な「反共」を掲げ、「支連会のやり方では何も生まれない。『建設民主中国』を叫ぶような連中は、中国へ帰れ!」と、支連会を批判する。

本土派や急進民主派と与しないながらも、学生や市民の間では「香港の民主化なしに、中国の民主化はない」「香港すら民主化できないのに、なにが中国の民主化だ」という声も少なくはない。

ここに「六四」に対する「民主派間の軋轢」と「世代間格差」が如実になったのではないかと思う。その引き金となった一つの要因が、昨年、世界中から注目され、北京中央政府を焦らせた「雨傘」「佔中」にあったわけで、なんとも皮肉なことである。

香港の民主化が予想以上に停滞し市民の期待を裏切り続け、一方で、中央政府の思うがままに民主派が勝手に停滞しているという実情。すべては民主派の、かくのごとき離合集散の繰り返しが原因である。多分、中央としては「思ったほど手こずってない」というのが、本音ではないだろうか

さて、今年の支連会主催追悼集会の参加者は、主催者発表で13万5千人、警察発表でピーク時に4万6600人。同じころ、小生はCSでMr.Childrenのさいたまスーパーアリーナからのライブ生放送を見ていたんだが、どう見てもミスチルのライブの方が人数多かった(ような感じ)。まあ、こればかりは現場でその目で見てみないとなんとも言えないけど、過去の経験からして、警察発表からさらにマイナス3千~5千人がこの手の集会、デモの参加人数で限りなく正確に近い数字だとは思う。

では、市民の気持ちはどうか? 香港大学民意研究計畫の世論調査によると、「支連会」に対する支持度が過去最低となった。
調査は5月22~28日、1089人を対象に実施。

1)支連会支持度
*昨年の50.1%が、今年は44.6%に低下。これは同調査を1992年に開始してから最低の数字

2)「支連会は解散すべきか否か」
解散すべき*昨年の17.8%から25.6%に急上昇。93年以降で最高
解散すべきでない*昨年の43.9%から38.3%に低下

4)「天安門事件の再評価を支持するか否か」
支持する*昨年の56.1%から52.2%に低下
支持しない*昨年の20%から23.6%に上昇

この結果に、支連会主席の何俊仁(アルバート・ホー)氏は「局面を変えられない無力感と地元主義の台頭が関係している」とコメントしたそうだが。こういう数字は毎年、ころころと変化する。やはり今年について言えば、昨年の「雨傘」「佔中」で見せた旧来の民主派≒汎民主派の「頼りなさ」が大きく影響したのだろう。

小生は「六四」と香港の民主化活動、普通選挙全面実施などは分けて考えて活動すべきだと思っているが、世紀をまたいだころこから、支連会には「六四の記憶の風化」を恐れたのか、普選などの「身近な民主活動」を積極的に取り入れて行く風潮が強まった。

學聯の学生たちが頻繁にステージ上に上がってメッセージを読み上げたり、奇妙な歌舞音曲を披露するようになったのもこのころからだったと記憶する。要するに「間口を広げ過ぎた」のである。

結果として、この日の「分散」開催である。「六四こそ生きる道!」みたいな『蘋果日報』などは、これを見て「様々な形で追悼が行われたが、思いはひとつ、『平反六四』」などと都合よく解釈するが、他のメディアは概ね、冷やかに眺めている。各紙が拾う市民の声にも、旧態依然とした支連会の手法に失望的な声も多く見られることから、いよいよ、香港における「六四」活動、支連会の活動が大きな曲がり角に来たのかもしれない。

People hold lit candles during a candlelight vigil at Hong Kong's Victoria Park to mark the 26th anniversary of the Chinese military crackdown on the pro-democracy movement in Beijing. 04JUN15
支連会主催の追悼集会。揺れる蝋燭の炎は、来年、どんな形で引き継がれてゆくのか… by “South China Morning Post”

6月4日夜、ビクトリアパークの支連会主催の追悼集会では、これまで必ず歌われてきたいくつかのテーマソングの内、『中国夢』がはずされ、かわりに昨年の「雨傘運動」で作られた歌が歌われた。小生からすれば「何やってるねん!」ってところだ。そっちにすり寄ってどうする、支連会だろ、「平反六四」だろ!と叱責したい思いである。

支連会の顔触れは、何かの折に必ず反日行動に出る連中だけに、けっして好きな派閥ではないが、ずっと連中の天安門抗議関連の愚直な行動を見続けてきただけに、「雨傘」を取り込むようなことはしてほしくなかった。あくまで、6月4日は、天安門事件の犠牲者を悼み、中央政府に事件の再評価を訴える夜でなければならないと思っている。普通選挙活動は、また明日やればいいのだから。

恐らく来年以降も、この「分散」した形での「六四」は続いて行くと思う。もしかすると、来年にはもっと多くの派閥が、それぞれの思惑や信ずるところに依る独自の「六四」を開催しているかもしれない。民主主義の街、香港、表現の自由が保障された香港なら、それ自体は全く不思議なことではないけども、「せめて『六四』の日だけは、一枚岩でいてほしい」というのは、単なる傍観者の理想にすぎないのだろうか。だとすれば、香港の民主化、ましてや「建設民主中国」なんてのは、夢のまた夢ということになるだろう…。

てな具合に、今年もまた「六四」に合わせて、思うところをウダウダと綴ったのだが、上述したような「変化」はあくまで氷山の一角であり、今もなお香港で暮らしていたら、もっと様々な変化を見ることが出来たと思う。

で、なんで小生が「六四」に限らず、香港あるいは台湾について、思うところをウダウダ綴るかというと、以前住んでいたから気になって仕方ないという以上に、日本における情報のあまりの少なさ、冷たい扱い、「そこまで不幸になってほしいのか!」と憤りさえ感じるネガティブ一辺倒な報道に対して、「ちょっと待った!」と言いたいからにほかならない。

メディアはもちろん、日本人が香港や台湾を知ろうとする気持ちは、香港や台湾の人たちが日本を知ろうとする思いに較べると、とてつもなくお粗末すぎるのである。もっと言えば、中国共産党一党独裁への警戒感があまりにも希薄すぎるのである。

アクセス数なんて知れた数字しか上がっていない拙ブログだが、日本人がもっと香港や台湾で起きていることに興味を抱き、その先にある中共独裁国家を意識するきっかけとなればなどと、大胆にも思ったりするのだが…。

ま、このブログじゃ、説得力ないよな(苦笑)。


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