【文学部】オダサクはん、こんにちは。

「生誕100年記念 織田作之助と大大阪」

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織田作之助が好きだ。「大大阪」と呼ばれ、名実ともに日本一の大都会であった時代の大阪が好きだ。そしてオダサクや大大阪をもっと知りたい。というわけで、大阪歴史博物館で10月18日まで開催中の「生誕100年記念 織田作之助と大大阪」に行ってきた。

隣接のNHK大阪ホールにはしょっちゅう来ているのに、この博物館は初めてのこと。まあ、こういうのでもないと来ませんな…。

なんか中華系とおぼしき来館者が多かった気がするなあ。でも日本人来館者よりも熱心に展示物を見たり、音声ガイドを聞いたりしていたのが印象的。小生の海外旅行の鉄則、「まずは市場と博物館へ」。この人たちもそうなんやろうね。よいね。

常設展の一通りを観覧して、6階の「生誕100年記念 織田作之助と大大阪」会場へ。

いきなり「お多福人形」が、で~んと出迎えてくれはります。骨董品ゆえか、はたまた現在との美意識、デザイン潮流の違いからか、今の我々が想起する「お多福」とは、少々趣を異にしており、少しばかりグロテスクな雰囲気さえ漂わしてはりましたな。あの感覚…、何やろう? ただ、このお多福さんが出迎えてくれはったおかげで、気分は一気にオダサクの世界へ突入でございます。

9bf1e345で、すぐに「夫婦善哉コーナー」。かつての映画台本や上映宣伝用の暖簾、文楽の台本など、「おお、こりゃええがな」な品々がズラリ並んでます。

小生にとっての『夫婦善哉』は、文楽ですな。もう30年ほど前ですな、あれは。文楽劇場で『夫婦善哉』見てねえ、「こないに文楽に合う作品やったかいな~!?」と再発見して、それがなんや嬉しいてね。そこからですねん、オダサクはんに傾倒していったのは。また見たいなあ、文楽で。てっきり生誕100年やから文楽でかかる思てたけど、スカ食らいましたわ(笑)。こういうところが、気が効かんねん、国立劇場さんはなあ。

46d8b75c702049d8143e8e6b6d9f1fffそのかわりでもないけど、NHKがドラマで放映してましたな、夏ごろに。蝶子はんが尾野真千子、柳吉はんが森山未來で。この時代においては、ええキャスティングやと思うけど、やっぱり『夫婦善哉』は淡島千景と森繁久弥のあれには敵うもんはありませんな。そない思いませんか?

あ、そう言えばミヤコ蝶々・南都雄二の『夫婦善哉』いう、素人さんの夫婦を嫌みなく笑いを交えていじる番組もありましたな。ただ、雄さんと揃って出てるのって、見た記憶があるにはあるけど…。だいぶ弱ってはったもんね…。

つい先日、『夫婦善哉』を数年ぶりに読みました。それが何十回目なんかは、いちいち数えてへんから知らんけどな(笑)。やっぱりあれは「蝶子の物語」やなと。さあ、これも何回そない思てきたか忘れたけど、また改めてそない思いましたわ。ワケを説明せえと?自分で読んで感じなはれ、横着したらあきまへんで、こういうのは(笑)。

展示物はもちろん『夫婦善哉』関係以外にも、山ほどあったわけやけど、大体はオダサク倶楽部が編集して河出書房新社から発行されてる『織田作之助 昭和を駆け抜けた伝説の文士“オダサク”』に写真が掲載されてます。

と言いながら、本の中の写真で見るのと、実物を見るのでは、当たり前やけど感動の度合いが全く違いますわな。特に自筆原稿の数々は、ドキドキしましたわな。大袈裟な表現かも知れんけどね、「時空を超えて、オダサクと息吹を共に!」とでも言うか、なんと言うか…。そりゃもう「こんなんまで見せてくれますの!」みたいなねえ。まあ「こんなんまで見せてくれる」からこその博物館と言われりゃ、それもそうではあるんですけどな…。いや、やっぱり値打ちありまっせ、ホンマ。

すごいのもありましたで。「注射器とアンプル」の実物。もちろん本人さんが使てはったそれそのもの。まだ未使用の瓶には液体が残ってますねんわ、これがなんとよ! オダサクはんはヒロポン打ちながら、結核の身に鞭打つように原稿書いてはったから、そのときのもんやろうけど、あれは生々しいなあ。そしてあれ見ると、ますますオダサクが好きになる…。いいえいな、なにもヒロポンを称賛してるわけやのうてね、そこまでして文章を書きたいという「狂気」というかねえ、そういうのんが、エエねんわな、これが。

オダサクの作品には、『五代友厚』、『大阪の指導者』といった、まさに大阪の指導者について著したものがありますけど、いまこそこういう作品をじっくり読むべきかなあと思いますな。まあ、人それぞれに色んな捉え方をして、自分に都合のええように解釈するやろけど、それは読み手個人の勝手であって、あくまでオダサクの言いたいことは一つしかありませんわな。そうなれば自ずと、今の「大阪の指導者」、もっと言えば「大阪都構想」なるもにも、結論とまでは言わんけど、答えらしきものが見えてくると、小生は思うんですわ。要するに当時の「大大阪」と今言われている「大阪都構想」では、着想も物事の出発点も何もかもが、レベルが違いすぎると。どないだすか、大阪の指導者さん?(笑)

オダサクは、かなりの文楽愛好者でもありまして、文楽関連の著述も少なくはありません。

昨夏のこと、何某の市長が日々、文楽への攻撃をしていたころ、小生は「別の視点から」何某に異議を立てたく、拙ブログで「私家版二流文楽論」という、読む人にとっては退屈以外の何物でもない「シリーズ」を連日アップしておりました。テキストとして、オダサクはんの『二流文楽論』を用いて展開してたんですけど、途中でついに破綻してしまいました(笑)。

結局思うに、件の『二流文楽論』はそれまでにオダサクが世に送り出した文楽関連の著書の数々、『文楽の人』『文五郎芸談』などを読み込んでいかなければ、「私家版」といえども、論を結ぶことはできないということです。そんな国文生としては基本の基本を忘れて、参照文献一つだけで論を結ぼうなんて、アタシも浅はかではありました。

まあそんなことひとつとっても、わずか33年の生涯のうちに、このお人がどれだけの事を成し遂げてきたのか、さらにもし「オダサクが長生きしていたら…」、どんなことができていたのか、あるいはやろうとしていたのか、なんてことなども、展示物を見ながら考えてしまうのでありました。

以下、余談ではありますが。

オダサクへの傾倒が益々強まったころ、大学を出て就職しました。何のご縁か、小生が初めて社会人生活を送った職場は、オダサクはんも健筆をふるって活躍してはったところでした。この会社、オダサクはんのこと、もっと大事に扱わなあかんで…。この特別展も、主催事業としてやらなアカンと思うわ。まあ、もっとも今は、その「商品」も無い状態やから、それは流れを汲む会社がやるべきやと…。「菜の花」の人のことはあれだけ大事に扱うのに、差つけすぎやろ…。それが悲しい。

そんなこんなあれやこれやに思いを馳せる、オダサクはんとの邂逅の時間でした。

「行き暮れて ここが思案の 善哉かな」

IMG_0737オダサクはん、ほな、さいなら。またお会いしましょ…。

(平成25年10月某日 大阪歴史博物館)


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