【Go! Go! HAWKS 2013 7】OSAKA CLASSIC<3>*旧ブログ

南海ホークス、「本拠地」での3連戦もこの日が最終戦。
勝っても負けても、試合開始から終了までを見届けたいと思うのは、大方の南海ファンが願うところ。
さあところがだ、そうはいかないのが、世の中というもんだわさ。

この日は、3年前に急逝したお母んの納骨が昼前に執り行われる。
まさか長男が、「野球あるから立ち会いまへん」とはいかないだろう…。
まあ、この納骨に至るなんやかんやについては、ブログどころか、一遍の本にできてしまうであろうほどの、なんやかんやがあって、長男のアタシとしては、今なお、このなんやかんやに頭を悩ませている次第。は~、出るのはため息ばかりなり…。

会食も済ませ、一旦家に戻り、大急ぎで「臨時大阪球場」へ!走れ~~!
家を出る時点で4回裏。さあ、どのあたりから見れるのか…。

「臨時大阪球場」到着は、6回表南海攻撃中のことだった。移動時間、ドアto座席で35分。走ったなあ~(笑)――走ったのは、近鉄南大阪線とJR環状線なんだけどw。

☆☆☆

「OSAKA CLASSIC」最終日 4月21日(日) 大阪昼間 観衆2万8,269
9-1で、南海の勝ち。勝ち投手は武田で、1勝1敗。負けはディクソン、2勝1敗。本塁打、ラヘア5号。両軍対戦成績は3勝3敗。

***

南海が「OSAKA CLASSIC」最終戦を制し、

「大阪で一番強いんはどっちや?」
それは「南海」や!

を見事に証明!
後で録画したのを見てたんやが、南海先発の武田は、それほどよい内容ではなかったが、近鉄がチャンスでことごとく自滅してくれたので、助かったかな。南海も前半はラヘアの1発だけに抑えられていたが、アタシの到着寸前に松田のタイムリーが出て、その後は9回まで毎回得点と打線爆発。武田の後を森福―千賀で1点に抑える。森福にやや不安感じるも、千賀は非常に頼りになる存在に成長したもんだ!

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見事に試合を締めくくった千賀【41】を出迎える先発の武田【30】

アタシが席に着いたときは、6回の攻撃中ではありましたが、松田のタイムリーが出た直後で、得点シーンは見れず。
「ああ、世の中こんな感じだわな~」
なんて思ってましたが、まあ、それから9回まで面白いように点が入って行きますな。3日間、大声援を送り続け、南海の復活を盛り上げまくった三塁側~レフトの南海ファンへの感謝であるかのように。

レフトスタンドでは、懐かしい選手応援歌が次々と演奏されました。
ダッシュで「臨時大阪球場」まで駆けつけたアタシは、もはや応援歌を歌う勢いは無くw、時々座りながら、それらの応援歌をしんみりと聴いていたわけであります。

別のエリアへ伺いましたら、いきなり近鉄の縞田(遊撃)がエラーしまして、待ってましたとばかりに

やった~、やった~、またやった~
縞田がやった~、またやった~
近鉄電車で早よ帰れ!

ですね。
昔は、相手が阪急でも西武でも阪神でも、電鉄系以外でも、すべて「近鉄電車で早よ帰れ」でした。
最近はこれを公にやらなくなってるんですよね。もちろん、やってる人たちもいますが、応援団がリード取ってやることはなくなりましたね。
何がアカンのか、わかりません。多分、その理由を聞いたところで、「だから、なんで?」と思うはずです。とにかく、やらないということは、アカンからなんでしょうな。世知辛い話です。こういうのも子供のころは、球場へ行く楽しみの一つだったんですけどね…。

三連戦「聴き納め、歌い納め」の『南海ホークスの歌』が7回表に流れます。
当然、泣きますな。泣いて歌えませんな。顔、ぐしゃぐしゃですわな。ブサメンの典型ですわな。
この酷い状態のアタシの顔が、NHKの中継で放映されていまいました。
それはもう、なんとも情けない顔してました…。恥ずかしいわ、ほんまに…。
まあ、NHKも酷い顔のアタシを映したかったのではなく、アタシの前でボードを掲げている人がいたんで、その方を映したら、たまたまアタシが映り込んでしまったんでしょう。大阪でボード掲げて応援する人って、皆無に等しいですからね、「これや!」と思ったんでしょう、カメラマンさんは(笑)。

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こうして、「OSAKA CLASSIC」は幕を閉じました。
戦前には、当時のユニフォームをはじめ、様々な「復刻グッズ」が発売され、多くの人が「南海貧乏や~」と嬉しい悲鳴を上げました。
赤貧生活のアタシでさえ、チケット代も入れてン万円の出費ですから、羽振りの良い方は恐らく100万近い出費になったんじゃないでしょうか。
それもこれも、大好きだった「南海ホークス」の復活ゆえのこと。
もちろん、「『75周年記念』なんて、ただ球団が儲けたいだけのハナシ!」と言って、グッズはもとより、試合にすら見向きもしない人も多数いるのは知っています。その考えも否定することはできません。

アタシだって、あんな「身を斬り裂かれるような辛く悲しい」古傷を、こじ開けられるような思いはしたくありません。
それでもやっぱり「南海ホークス」が愛おしくてなりません。
僕の野球は、すべてが「南海ホークス」です。

僕の「野球の見方」は、間違いなく野村監督とブレーザーコーチに育まれたものです。そして「観戦スタイル」は、間違いなく大阪球場に集う人々に教わったものです。そのおかげで、今も楽しく野球を見ることができています。
「復刻ユニフォーム」や「復刻グッズ」で当時を懐かしむことよりも、そうした自分の「野球観戦履歴」を改めて振り返る、いい機会であったと思ってます。
とは言え、そういうのは10年か20年に1回で充分ですがね(笑)。

ファンそれぞれの思いが複雑に交錯した3日間でした。

またいつの日か、「南海ホークス」…。

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