【SARS10年を回顧-1】*旧ブログ

さいきん、香港の新聞のサイトを見ていると、

たとえば「疫變十年.回顧港人齊心抗疫」

などというタイトルの特集モノを目にすることが多い。

「そうかぁ、あの忌まわしいSARS騒動から10年が過ぎたのか…」

と、そんな特集モノを目にするたびに感慨にふけるのである。

当時は、まだブログをやっていなかったし、TwitterもFacebookもない時代。
異国の地で、疫病の広がりを目前にして、新聞やテレビ・ラジオ、ネットで出来る限りの情報を入手して「香港はこんな状況です」みたいなのを、冊子にして日本の友人や知人に送ったものである。

その冊子の元原稿から自分なりに10年を回顧してみようかと思い立った次第。

当時を思い出したくない人もいるだろうし、このしょぼくれたブログが何の役にも立たないのは重々承知ではあるけれど、10年前の香港がどんな状況だったかを、知っておいて損はないと思いますので…。

まずは、広東省で爆発的流行、そして報道管制へと向かった状況を。

騒ぎの発端は、2003年2月9日付の「蘋果日報(アップル・デイリー)」の記事、「致命肺炎襲廣東多人死亡」。そいつをざっと訳してみると…

殺人肺炎が広東省を襲い、数名が死亡
【本紙特報】 広東省が殺人病原菌の襲撃を受けている。呼吸器官系の伝染病「病毒性肺炎」が省内で蔓延。消息筋によると、すでに医療関係者を含む5人が死亡、感染力が非常に高く、省内はパニック状態だと言う。香港政府スポークスマンは昨夜、本紙の取材に対し、政府衛生署は広東省の事態に注目しているが、香港内での感染については否定した。この病気は数カ月前、広東省河源で発生した。患者の病状は筋肉痛や呼吸困難だが、重症者は数時間で死亡したという。また数人の患者が広州に転送されており、この際に、医療関係者10数名が感染し、うち数名は死亡した模様。消息筋は、広州の医師会が昨日、緊急会議を開いたと伝えた。

マスク・抗生物質が品切れに
政府機関は事件に関する発表を一切、行っていないが、一連の情報は、インターネットや携帯電話のメッセージ機能を通じて、瞬く間に広がり、広東省内はパニックに。とくに患者発生エリアでは、人々がマスクを買いあさり、品切れ状態だ。
中山市では、1月中旬に類似する病気が発生して、多くの薬局で「羅紅黴素=抗生物質」を求める人々が長蛇の列。一度は底をついた1パック数元の羅紅黴素が、一両日で30元にまで値上がりし、広州にまで買い求めに行く人も多かった。
中山市疾病予防抑制センターの古有嬋・主任は、「天候の変化による呼吸器疾患で、珍しいことではない」としたが、数日内に広東省の関連部門から、何らかの発表がある見込みだ。

この報道により、香港及び広東省は極度のパニック状態に。
翌日には、白酢の蒸気が肺炎予防によいという噂が華南一帯に流布、広東省や香港の一部地域では、白酢買占め騒動に。

香港新界地区でも、酢を買い求める人が殺到!

もはや広東省政府も事態を隠し通すことができず、2月11日、「広東省で305人が『非典型肺炎』に罹り、うち5人が死亡した」と発表。しかし、それ以降、広東省での肺炎関連のニュースは、途絶えてしまう。
中国政府が報道管制を布いたと、察せられる。

このころ、小生は久方ぶりに長期休暇をとって、中国雲南省へバックパック旅行に出かけたのであります、暢気なもんですがw。
あちらに行ってる時は、まったくそんな気配はなかったし、香港の空港に帰って来ても、2月の時点ではまだのんびりしたいつもの香港国際空港でしたが、3月上旬の上海出張から帰港した時は、香港はまさしく緊張のさなかにあって、あまりの物々しさに面喰ってしまったわけです。熱測られたりするし、検疫カードみたいなん書かされるし…。

まあ、雲南省はSARSとはまったく無縁でしたよ…。ずっとおればよかった(笑)
実は広東省の病院は大混乱に陥っていた…。

さて、「蘋果日報」が調査したところでは、すでに前年の2002年11月に広東省河源市で最初の患者が確認されている。
その1カ月後には同市内紫金県で類似した病状の患者2名が確認された。この2名はそれぞれ、深圳市福田区の病院と広州陸軍病院に転院され治療を受けている。

1月4日には、住民がパニック状態となり、呼吸器系抗生物質「羅紅黴素」を買いあさる騒ぎが勃発。これに対し、中山大学付属第三病院・呉一龍院長は、「『非典型肺炎』は大病ではなく、伝染性も低い」と発表していた。結局、河源市では、11人の患者が確認されたが、その後の経過などは詳しく公表されなかった。

次回は3月に入って、いよいよ風雲急を告げる香港の様子を日を追う形で回顧します。

今日はこの辺で。では。


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