【上方芸能な日々 文楽】双六あれこれ*旧ブログ

文化の秋到来。それはすなわち「文楽の秋」到来でもありまする。

人形浄瑠璃 文楽
平成二十三年錦秋公演
第二部

H2311bunraku_haiyaku_omote

10月29日より始まりました国立文楽劇場での錦秋公演。
此度は秋らしい演目ございます。
まずは、第2部を観てまいりました。

どちらにも「双六」とありますが、『染分手綱』の双六は、「東国へ養子嫁入りに行くのがイヤぢゃ」とむずかる調姫をなだめるための「マジな双六」。なんと12歳で嫁入りとは、無茶苦茶なハナシではありますが…。
一方の『伊賀越道中双六』は、各地で繰り広げられる仇討物語に関係する人々の人間模様を、双六のように描いた作品。なるほど、「双六」とはうまいこと名付けたなぁ、なんて感心しちゃいます、通しで観ればね。

『恋女房染分手綱(こいにょうぼうそめわけたづな)』
「道中双六の段」「重の井子別れの段」
■初演 宝暦元年(1751)、大坂竹本座
■作者 原作:近松門左衛門『丹波與作待夜のこむろぶし』を吉田冠子・三好松洛が十三段続きの時代物に増補改作

ちょうど1年前の錦秋公演を記録したエントリで、文楽劇場で観た『一谷嫩軍記』の「敦盛最期」を語った呂勢大夫に賛辞を送りました。
以来、呂勢の語りに注目してきましたが、あれ以降、「おお!」っと思うものが正直言って無く、「どうしたのかねぇ」なんて気になっております。
今回、お目当てだった嶋さんが病気休演のため、聞かせどころの「子別れ」を代演として呂勢が語りますので、大いに注目。
ご本人にとって、これは願ってもないチャンス到来でありましょう。
こういう「泣き」の入る場面の嶋さんの語りは超絶品であります。その代役です、さあ、呂勢の腕の見せ所であります。

で、どうやったかと。
相当な気の入りようだったと思います。もし「素浄瑠璃」だったら、「ああ、ますます腕上げはったなあ」ってとこなんでしょうが、「人形浄瑠璃」です。義太夫節だけじゃありません、舞台では人形が動きます。
その人形が強敵でした。重の井を遣うは人間国宝・吉田簑助。この絶対的な存在感に引っ張られて語っているという感じでした。
でも、いいんじゃないでしょうか。なんか、そういう中堅や若手が、人間国宝やベテランに引っ張られながらステップを上ってゆく場面に遭遇できる、伝統芸能・伝承芸能を観る楽しみのひとつです。
呂勢大夫には、これからも注目です!

『伊賀越道中双六(いがごえどうちゅうすごろく)』
「沼津の段」
■初演 天明3年(1751)、大坂竹本座
■作者 近松半二・近松加作の合作。
■渡辺数馬(劇中では和田志津馬)が姉婿の荒木又右衛門(唐木政右衛門)の助太刀により、弟(父)の敵・河合又五郎(沢井股五郎)を討った「伊賀上野の仇討」の実話が元。

「沼津」はよく観ます。多分、上演時間が手ごろなんでしょうけど。
本来は十段続きの「伊賀越」だから、そこんとこは少なくとも「沼津」に至るまでのあらすじを明確に客席に知らせる手段があるべきかと思います。
パンフレットには6行で「これまでのあらすじ」が記されてますが、観客全員が購入するわけでもありませんし。
そう言う点ではこのパンフも行き届いているとは言えません。むしろ、商品としてはまったくの不良品です。もっと親切なものであるべきだと、何度も劇場内の「アンケート」に書いてるんですが、小生の書いた要望は、いまだ何一つ実現されてません。観客動員が伸びない理由の一つだと、小生は断言します。

愚痴はさておき
やはり何と言っても住さんでしょう。
仇討ストーリーと親子のストーリーが入り組んでいて、結局は「伊賀越」だの「沼津」だのと言ってもよくわからんのですよ、この聴かせどころに至った経緯が…。
きっとそんなお客がいっぱいいたと思うんですが、住さんの語りが複雑な人間模様を「まあ、聴きなはれ」と言わんばかりに、我々を平伏させて引きこんでゆきます。
決して強引ではないんです、知らないうちにそうなっているんです。
クライマックス、平作が十兵衛の脇差を抜き、自分の腹に突き立て息途絶える場面。
「南無阿弥陀……」

がズシンと胸に響きますね。事ここに至っては筋を知らなくても
「あかん、そんなん、あかん…」
って気持ちになってしまうんですよね…。
なんだかもうね、聴いてるこっちが息途絶えそうになるくらいに。
「うわぁー、参りました」
というのが、住さんの語り。

人形も平作を勘十郎、十兵衛を玉女と息ぴったりのコンビ。文雀さんが遣う娘お米は貧しい暮らしにあっても、遊女・瀬川であり志津馬の夫であるという「品(ひん)」を漂わせておりました。
玉女さんが染髪をやめたのか(?)、一気に白髪になっていたのにはかなり驚きました!

『紅葉狩
■初演 昭和14年(1939)、四ツ橋文楽座
■歌舞伎十八番の「紅葉狩」を文楽に移行した作品
■平安時代、信州戸隠山に住む鬼女(更科姫の実体)が平維茂に退治された伝説に基づく。原典は能

更科姫も維茂も主遣いは肩衣を着けて登場。さらに更科姫は「三人出遣い」です。本来、人形さんは主遣いは顔を出しますが、左遣い、足遣いは頭巾をかぶります。これについて、Twitterを通じて人形遣いの桐竹勘次郎くんから次のような回答をもらえました。
普段は左、足遣いは黒衣と頭巾を被っていますが、今回の更科姫や他にも阿古屋、八重垣姫などでも左、足遣いも出遣いで演じます。
三人出遣いになる様な役はやはり左も足も非常に難しいので、ベテランの左遣い、足遣いの方が遣います。一応の目安として、三人出遣いで遣える様になれば一人前の左、足遣いだそうです。他にも特別な感じを出すためだとか、舞台を華やかにするためでもあるそうです。
他にも色々意味はありそうですが、僕が聞いているのはこれ位ですね。もっと詳しい方がいたら、補足よろしくお願いします。頑張って三人出遣いで足が遣える様になりたいですね。三人出遣いになる役は一つの目標です。

どうやら、更科姫の場合は、舞台に華やかさを出すためみたいですね。本来が能であり舞踊歌舞伎なわけですし、あとでヘンシンする鬼女のおどろおどろしさを強調するにも効果的なんでしょう。
文楽は本当に奥が深い世界で、行くたびに新たな発見や、「さてこれは?」という疑問に行き当たります。それだけに、文楽通いはやめられません。30年通っても、知らないことだらけなんです。
質問を勘次郎くんに直接投げかけてくれた咲寿大夫くん、そして丁寧に回答してくれた勘次郎くんに改めて、お礼申し上げます。
そんなこんなで、いつも楽しい文楽鑑賞でありまする。
次回は今公演の第1部(11月10日より昼夜入れ替え)『鬼一法眼三略巻』を見に行きます。
こちらは「菊」が背景の舞台。紅葉の次は菊と、まさに錦秋公演。

にしても、お客さんの入りがなぁ…。
見どころ、聴きどころ満載やのになぁ…。
残念やなぁ…。


2件のコメント

コメントを残す