【訃報】香港民主活動家・司徒華氏*旧ブログ

豪雪と厳しい寒さで幕を開けた新しい年。
今年もまた厳しい1年となりそうな雰囲気を臭わせる正月ですが、お変わりなく新しい年をお迎えでしょうか。

小生はと言いますと、喪中ということもあり、極めて質素な正月をダラダラと過ごしておりました。
そんな新年明けて2日、香港からの訃報あり。
民主活動家の中心的人物の一人で、天安門事件の抗議活動団体「香港市民愛国民主運動支援連合会=支連会」のリーダー、司徒華氏が亡くなったと。享年79。
1989年以降、その日々のすべてを天安門事件の再評価に捧げた人生でした。

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1月3日付『蘋果日報(アップルデイリー)』1面

1989年のいわゆる「六四」、すなわち天安門事件の直後に支連会を立ち上げ、以後、常にリーダーとして、デモや追悼集会などの先頭に立ち続けた司徒さん。
「政敵」とも言える、香港特別行政区長官・曽蔭権(ドナルド・ツァン)は、その生涯を「熱愛中華、熱愛香港」の人と賞し、全人代常務委員の范徐麗泰(リタ・ファン)もまた「有中国心、中国情」「很愛国的人」と死を悼む。

一方で新華社電は「香港特区前立法会議員・司徒華氏逝去」とごくごく簡単に報じる。まあ、でも報じただけでもよしとしますか、「仇敵」新華社については。
1995年に香港生活を始めてから、司徒さんを何度も間近で見てきました。
天安門事件の抗議・追悼活動をはじめ、本土の政治犯釈放要求活動、普通選挙導入などの香港そのものの民主化活動、尖閣、歴史教科書などの反日活動と、民主派がリードするおよそすべての活動の先頭に立ってきたのが、司徒さん。

そんなアグレッシブだった司徒さんも、ここ数年の衰弱ぶりがひどく、集会などの壇上への上り下りも両脇を支えてもらう姿は痛々しく、同時にその姿は「平反六四=天安門事件再評価」活動の大きな分岐点がすぐそこに迫っていることをも感じさせ、実際に、活動が徐々に変容してゆくのを香港生活15年間、見てきたわけです。
この10年ほど、支連会は「次世代へ活動のバトンを」と、青少年の教育というかオルグ活動に必死で、実際にある程度の成果を上げてはいるようですが、結局は「天安門事件非リアル世代」なわけでして、1989年にはまだ生まれていなかった世代が活動の主体になっていくのには、かなり無理があるように思えます。
司徒さんの衰えぶりは、そんな世代間のあまりにも深すぎる溝で喘ぐ支連会そのものを象徴するかのようでもありました。
その風貌から、多分、致命的な身体的ダメージを負っているんだろうと思ってはいたので、昨年末に自ら「がん宣言」をしても、それほどの衝撃はありませんでしたが…。

いずれにしろ、司徒さんが世を去ったことで、「六四活動」は、変わるでしょう。
今年は天安門の犠牲者を弔うと同時に、司徒さんをも弔う大規模な追悼集会になるでしょうが、来年以降、どうなってゆくのか。活動の大きな支えを失った支連会は、民主派が離合集散を繰り返して一時のような勢いを失ったように、迷走を始めるかもわかりませんね。

個人的には、旧正月前のビクトリアパークの花市で正月に欠かせない「春聯(めでたい四字熟語を書いた紙)」を、支連会のブースを訪れた人たちに書いてあげていた達筆の、気のいい華叔(ワーおじさん)としての横顔が印象に残っています。

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「至近距離」で司徒さんに接したのは、2009年5月31日の天安門事件20周年の抗議デモのときでした。この年の12月、がん宣言。それから約1年後の死去となりました。(筆者撮影)

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COMMENT:
AUTHOR: アムゼルくん
DATE: 01/05/2011 07:13:21
それはまことにご愁傷様でした。実はわたしも喪中なのであります。先月父を亡くしました。重篤の父を見舞うため一時帰国をし、そのまま見取りました。
われら二人をふくめてこれでイザブロガー四人が喪中であります。これはかなりの確率の高さではないでしょうか?
それはともかく司徒さんも容貌が二十年前とはすっかり変わり果てました。痛ましいことです。この二十年はレスリーさんにとっても大切な時光であったことと思います。生きていることの大切さをかみしめて今年もよろしくお付き合いお願い申上げます。
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COMMENT:
AUTHOR: leslieyoshi
DATE: 01/05/2011 23:06:47
To アムゼルくんさん
お久しぶりです、そしてお悔やみ申し上げます。
私は、一昨年末に香港を引き上げて帰国したわけですが、それを待ってたかのように、その数週間後に母が急死しました。偶然のめぐり合わせなのかもしれませんが、不思議なものを感じました。
司徒華氏については、あくまでも香港において非民主派であった私には、受け入れられない言動の持ち主だったのですが、こと天安門に関する姿勢は、その愚直さにときに心打たれるものもありました。


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