【上方芸能な日々 文楽】第120回 錦秋文楽公演*旧ブログ

早くも11月。一応、他人さんに「早いですな~、あとふた月で今年も終わりですね」なんて言われると「そうでんな~」なんて合わすのですが、毎年、心の中では「それがどうした?」と思っていますw。
ブログ更新、なんかすっごく久しぶりのような気がするのですが、前回が10月30日ということで、10日ぶりですかね。それほど前の話でもない。
最近はもっぱらTwitterが中心。ブログって、自分が書く分にはいいけど、実は人のを読むのって意外と苦痛なんです。
その点、Twitterは140文字ですから、楽ちんです。
まあ、ブログとは立ち位置が違うんでしょうけど。

野球の日本シリーズも終わり、気持ちが穏やかになりつつある晩秋の候。
文化の秋を満喫すべく、まずは11月2日に文楽へ。

第120回=錦秋文楽公演
国立文楽劇場5887_3

朝が苦手なんで、いつも16時開演の第2部を見ますw。

まずは
『一谷嫩軍記』(いちのたにふたばぐんき)

古典の教科書でおなじみの「敦盛最期」と「忠度(ただのり)都落ち」を題材にした「時代物」。今回は「陣門の段」、「須磨浦の段」、「組討の段」、「熊谷桜の段」、「熊谷陣屋の段」を上演。
「おっ!」と思わせたのは、「組討の段」を語った呂勢大夫でした。
バリバリの若手だったころの軽い感じと悪い意味での粘っこさ、ずっとそういう印象で見聞きしてたのですが、今回は人間国宝・鶴澤清治の切れ味抜群の三味線に食らいつく語りが、非常に印象に残りました。
敦盛を追い詰めいざ首を切らんとする直実が、自分の子のことが脳裏をよぎり、斬首をためらう心の葛藤がよく伝わっていたと思います。
もちろん、そこは清治の三味線の技でもあるのですが、それに食らいつくように語った呂勢大夫の語りが一層その葛藤を引き立たせていたように感じます。
「熊谷陣屋」の切場は綱大夫&清二郎の親子コンビが観客の全幅の信頼の下に勤め、後の英大夫&清介も同様に。
人形は勘十郎の熊谷直実が風格抜群。玉女さんに出番が少なかったのがちょいと残念だが、このストーリーならそれは仕方ないか…。

続いて
『伊達娘恋緋鹿子』(だてむすめこいのひがのこ)
「八百屋内の段」「火の見櫓の段」
いわゆる「八百屋お七」ね。
まずは「八百屋内」での嶋さん。こういう場面にぴったりですね。
娘に恋人があるのを知りながら、借金返済やら義理やらなんやらで、どうかこの縁談を承諾して祝言を挙げてくれんかと、女房娘を説き伏せるお七の父親・九兵衛の苦しさがひしひしと伝わります。
お七を遣う清十郎もまたすごい。切腹の期限迫る恋人・吉三郎をなんとか助けたいお七は、火炙りの刑覚悟で火の見櫓に上り半鐘を打つわけですが、このときのお七の恐ろしいまでの情念を、清十郎の人形が余すところなく伝えます。
梯子をのぼりながら、ふっと客席を振り向くお七。あ~怖い、怖い…。今の時代にも伝わる「八百屋お七」の情念を感じ、身を乗り出して舞台を凝視している自分がいました。清十郎は襲名を契機に(それまでもそうでしたが)、こういう恋焦がれる女性を恐ろしいまでに情念たっぷりに遣いますね。

まあ、こうしてもう何十年も文楽を見てますと、自ずと注目する大夫、三味線、人形が固定化するするわけで、それは善し悪し。
結構、それ以外の人しか出ない段は見方が散漫になって、振り返るとストーリーが思い出せなかったり…。
そういう意味では、今回の呂勢大夫は、収穫。また注目する演者が増えたわけですから。

で、もっと注目したい演者を増やすためにも、パンフレットの技芸員紹介にせめて略歴をつけていただけないかなと。
名前と写真だけでは、まったく物足らない。ベテランやブログ・Twitterやってる若手は概ねわかりますが、観客全員がそれを知ってるわけじゃないし。
「あ、この人は●●大夫さんの弟子か」とか「関東出身やのに浄瑠璃うまいこと語るな」とか…。
そういうスポットの当て方も必要だと思います。
もうね、文楽劇場開場25年、全然スタイル変わらないもん、このパンフ。なんとかならんかな?


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