【上方芸能な日々 文楽】第118回文楽公演*旧ブログ

第118回文楽公演
吉田蓑助文化功労者顕彰記念
通し狂言
『妹背山婦女庭訓』
第一部
4月9日観劇

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遠い昔の、ある春の日のお話です。
大変に懇意にしておりました女人を文楽に誘ったことがあります。
当然ながら「え~、文楽ぅ~、うっといわぁ~」と言われるんやと思ってましたが、意外にも「たまにはええかも」と。
その時の演目が今回と同じく『妹背山婦女庭訓(いもせやま・おんなていきん)』でございました。

昵懇なる女人との文楽観劇にワクワクして、芝居どこではなかった小生に比べ、この女人は大方初めての文楽にもかかわらず、床本も見ずに、芝居の流れをきちんと把握し、ときに
「いや、こいつ信じられへんちゅーねん!」
などと、感想も交えながら、じっくりと観劇しておりましたのには、感心しました。

そしてクライマックスとでも言いましょうか、「妹山背山の段」におきます、雛鳥と久我之助の悲しい場面に至りましては、鼻水をずるずるさせながら泣いてはったんでありました…。
さてこの日も。
小生と通路を挟んで左にいらっしゃった欧米人のご婦人は、イヤホンガイドで筋を追いながらも、かつて昵懇な女人が涙した場面で、やっぱり泣いてらっしゃる。さらには、その後ろのこれまた欧米人のヤングな男性は、定高の雛鳥への
「~祝言こそせね、心ばかりは久我之助が、宿の妻と思ふて死にや、ヤ」
との語りかけ、
「あい」「や」「あい」
「ええ、これほどに思ふ仲、一日半時添はしもせず、賽の河原へやるのかいの」
という場面で
「ヨー!」
と声を上げて拍手喝采だったのであります。
妹山側(下手)の床を勤めます、綱大夫、清二郎の親子による熱演も手伝い、洋の東西を問わず、見る者を感動させる場面でありまして、小生も、いつかの女人がごとく、鼻水ずるずる言わせながら、涙を流していたのであります。

非常に美しい舞台であります。
中央に吉野川の激流。上手に背山=大判事清澄、久我之助親子の住まい、下手に妹山=太宰少弐の未亡人・定高、雛鳥親子の住まい。
ある日の偶然の出会い、一目ぼれ、しかしお互いの家は領地争いで敵対する関係…
床も上手と下手に設えられ、この成就されぬ悲恋を効果的に演出しておるのです。
舞台が美しいから余計に結末が悲しく…。

床も豪華です。
背山
大判事 住大夫
久我之助 文字久大夫
(三味線)前 富助、後 錦糸
妹山
定高 綱大夫
雛鳥 呂勢大夫
(三味線)前 清治、後 清二郎
(琴)寛太郎

住、綱、清治と人間国宝3人で掛け合う妹背山で泣かないわけがない。
清治さんの三味線は、さらに「切っ先」の鋭さがシャキーンとしていて、死をもってしか久我之助に添うことができない雛鳥の決意がズキンズキンと胸に迫るのでありますよ。

人形もねー。
雛鳥の蓑助さんに定高の文雀さん、両人間国宝。
文雀さんの定高が我が娘の頸を落とす場面、これはもう…。

「妹背山婦女庭訓」のお話は、まだまだ続き、実は第二部が本流のお話になるのだけど、やはり「妹山背山」に尽きるでしょうね。
そういうわけで、幕見で「妹山背山」だけ、もう2,3回は見たい気分。25日までやってるからまだ日はあるな。

皆さま方もぜひご覧ください!


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