【おっちゃん、さいなら】野村はパ・リーグの太陽だった*旧ブログ

東北楽天北海道日本ハム両軍から胴上げをしてもらった野村のおっちゃん。
そしてひとり、とぼとぼと歩き、グラウンドから去る野村のおっちゃん。
小生の野球史の中で、一つの区切りがついた瞬間だったのかもしれません。
「南海一筋」の小生が、南海ホークスと出会った当時、野村は監督兼捕手にして三冠王。
パ・リーグのホームランキング争いの常連、オールスターの常連、名実ともに日本一の捕手。

大阪球場前に泊めてたおっちゃんの緑のリンカーン・コンチネンタルは、
日本一の捕手の象徴でした。
それはまた、南海ホークスファンの誇りでもありました。

よく野村は「オレは月見草」と言うけど、
我々パ・リーグのファンからすれば、間違いなく「太陽」でした。
その「太陽」が、どうやらこれでグラウンドから去ることになる…。
そう思うと、「ああ、なんか終わったなあ」という気がしたのです…。

いろんな意見があるでしょうが、
小生にとっての南海ホークスは野村克也であり、
野村克也は南海ホークスそのものだったのです。

東北楽天退団後の去就が注目されますが、
もし、これが最後のユニフォーム姿になるとすれば、
やはり淋しい。

淋しい。
この一言に尽きますね。

30歳代半ばの円熟期、昭和48年の優勝、
40歳で28本のホームランを放って、太平洋クラブ・土井らとの本塁打王争い、
江夏獲得~再生、そして南海退団…。

そして今日。
74歳の老兵・野村の姿。
南海をはじめ、所属球団を去るときには、円満退団とはいかず、
今回も後味の悪さを残すことになった。

それを両軍による胴上げが、少し救ってくれたんやないですか。
おっちゃん、うれしかったやろな。
パ・リーグのグラウンドで、おっちゃんが胴上げされるのて、
昭和48年の南海プレーオフ優勝の西宮球場以来か…。
奇しくも、あぶさん南海入団、引退という年に。
4年生やった小生も46歳よ…。

b0002910_22374666 昭和51年の明るい方のビジターユニフォーム」。
前期も後期も阪急が優勝。
けど、このシーズンの南海は強かった。


「ありがとうノムさん」「辞めないで」 野村監督にファン声援

「ありがとうノムさん」「辞めないで」…。プロ野球パ・リーグの楽天は24日、クライマックスシリーズ第2ステージで日本ハムに敗退、今季限りで退任する野村克也監督(74)は最後の試合となった。………



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COMMENT:
AUTHOR: ひかり
DATE: 10/27/2009 13:56:19
これで、長嶋、王、野村と往年の大スターが全員ユニフォームを脱ぎましたね。
野村監督には、華と毒が有りましたよね、実際。好きな人も嫌いな人もいて、だからこそ楽天がここまで人気のある球団になったのではないかと。
華と毒を両方揃えた監督はもうしばらく出てこないでしょう。寂しさを感じます。
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COMMENT:
AUTHOR: leslieyoshi
DATE: 10/28/2009 02:29:34
To ひかりさん
ぼくはホークス子供の会で野球を15秒くらい(笑)教えてもらったり、大阪球場で「出待ち」してサインをもらったり…。いい想い出がたくさんあるんで、ちょっと感傷的になっています。
いつまでも忘れられない、大きな背中の背番号「19」です。
その「毒」の部分っていうのは、19番独特の野球理論なんでしょうかね…。


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