【上方芸能な日々 落語】霜月その5 「吉坊ノ会」<28.Nov.2007>*旧ブログ

わーわー言うてますうちに、あれれ、8万アクセス突破してました!


年末で一応、ここに綴り始めて1周年なんですけど、まさか8万もいくとは思ってませんでしたよ~。

そないに興味ありますか? 香港で適当に暮らしてるアタクシに…。最近は香港ネタ、上げてないし(単に忙しくて新聞読んだり、テレビ観たりしてないだけです。実際にはアホな事件いっぱいあるんですけど…)。

まあ、それはよろしい。

 

さあさあ、怒涛の日々が終わろうとしています。

あとは人民諸君がうまく立ち回れば、アタクシは年内の業務を今週中にはほぼ完了させることができるでしょう。

あ、人民諸君とは小生の配下の方々です…。ま、こちらがそう思っていても、そうさせてくれないのが人民の人民たる所以で…。そのへんは十分想定内、かつて自分もそうだったわけですから。

 

さて、11月の出張帰国で堪能しました(ホンマに出張か?)上方芸能関係、今回が一応最終回。最後を飾るのは、上方落語界、いや、上方芸能界期待の若手噺家、桂吉坊くんの会であります。

 

【上方芸能な日々 その5】「吉坊ノ会」 11月28日(水) 山本能楽堂

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もうねえ、会場がねえ、天満天神繁昌亭とかやのうて、山本能楽堂ていうあたりが吉坊くんらしいんですよ。

能楽堂ちゅうような場所には大学生時代に2,3回行ったけど、それ以来さっぱりご縁がございません。「産経観世能」は度々行ってましたが、これは文楽劇場でやってましたからねえ。

桂吉朝師が亡くなられて早や2年。まだまだこれからいろんなことをやってほしかった人だけに、返す返すも惜しい…。

しかしながら、一番弟子のあさ吉くんを筆頭に、将来が大いに期待できる逸材を育てられておりまして、中でもこの日の主役であります吉坊くんは、小生が思うに、吉朝の色をもっとも色濃く受け継いでいる弟子さんやなかろうかと。

 

<ネタ帳>

 

『手水回し』 桂佐ん吉(吉朝門下)

前週土曜日の「千朝落語を聴く会」に引き続き、佐ん吉くんの開口一番に遭遇。そういうめぐり合わせというのは、わりとよくあることで、「なんか、こいつ、よう出てるなあ」ってな具合で、テンポが合えば、それこそ「また聴きたいな」となるわけでして、若手にとっては、PRの場でもあるんでしょうな。大阪の宿へ「ちょうず」を確かめに行く田舎宿の二人を愉快にやってました。


『焼き塩』 桂吉坊(吉朝門下)

お目当て吉坊くん、本日1本目のネタは「珍品」ネタのひとつで。絶滅寸前ということですが、だれかがやってるのをはるか昔に聴いた覚えが甦りましたよ。だれがやってたんか…思い出せませんねんけどね。噺そのもんは短編やしスジもわかりやすいんですけど、なんでかやる人がおらん…。そういうネタを弱冠26歳でしゅっとこなすんですから、本人が「古風に生きております」と言うように、「実際のとこ、キミはいくつやねん?」って、ね。


『猫の忠信』 吉坊

2本目は、文楽、歌舞伎でおなじみ「義経千本桜」から「狐忠信」をパロッた噺ですな。こういうネタは、師匠にお稽古をつけてもらうだけでは、なかなか難しいと思われます。実際に文楽や歌舞伎でナマの舞台を見て、自分で研究せなあかんもんやと思います。その点で吉朝師は古典芸能にとどまらず、いろんなジャンルとの交流を重ねてはりましたし、それが実に高座に生かされていたと思うんです。その「遺伝子」を最も強く引き継いでいるのは、吉坊くんではないかいなと。彼に上方の古典芸能を語らせると、そりゃもう「生き字引」みたいな感じですし、実際、いろんな芸能のお稽古も積んでますからね、偉いもんです。

一方で、まだまだ若いですから、師匠のカタチとか古典を意識するとどうしても背伸び感が出てきます。この日もそういう場面がいくつか見受けられましたが、そこをやりとげる意気やよし、です。終盤、猫が本性を明かす口調は独特で、見せ場聞かせどころ。なかなかのもんでした。末恐ろしいよ、アンタは。


>中入り<


『電話の散財』 林家花丸(染丸門下)

いまや花丸師の十八番(になりつつあるのかな?)。もう10数年前かな…。染丸師匠一行が香港で会を開かれたことがあり、そのとき花丸師も来てました。まだ若手でしたけど、ずいぶん貫禄ついたなあ~と、感慨深く拝聴。このネタも珍品ですね。電話が出てくる一方で「磯節」とかハメモノ(お囃子)がじゃんじゃん入る、にぎやかで明るい雰囲気の噺。ああ、これは林家のネタやな~って感じ。


『蛸芝居』 吉坊

これもねえ、忠実に吉朝師匠のカタチを受け継いでるんですよ。ある意味痛々しいまでに…。

そういう点で見れば、これからどういう具合に「吉坊の『蛸芝居』」に変化してゆくのか、大いに期待です。研究熱心な彼ですから、必ずや独自カラーを打ち出してくれるでしょう。このあたりが、完成されたベテランの「究極、至極」の芸ではなく、「これからどんな風になってゆくんやろう?」と期待させる若手の芸を見る楽しみなんです。とくに吉坊くんを見ていると、上方落語のみならず、上方芸能全般の将来を託したくなります。もちろん、同年代や同門の若手噺家やそのほかの芸の方々、期待の星が揃っているから楽しみです!

 

さてさて。

能楽堂での落語初体験でしたが、12年も日本を離れておりますと、2時間以上もお座布に座っているのは、なかなか苦しゅうございました。が、それを忘れさせてくれる熱演の数々に足の痺れを感じることなく幸福なひとときでした。


ただ、ハメモノの「きっかけ」がわずかにずれた場面がいくつかありました。ありゃ、仕方ないかな。高座と下座(お囃子場)があまりにも離れているから、あの、何て言うんでしょう、舞台に行くまでの「橋」?「渡り廊下」?みたいなん。どうもあれが高座と下座に実測以上の距離感を生んでいたんではないかなどと、素人なりに観察したりもしてましたが、どうなんですか?吉坊さん?

こうして出張期間中の上方芸能な日々は一応終わりました。つくづく思うのは、大阪で生まれ育ってよかった、ということです。海外にいるから余計にそう思うのかもわかりませんが、落語にしろ文楽にしろ「上方ことば」に癒されます。そしてそれらの芸がいろんなことを想像させてくれたり、新たな興味を芽生えさせてくれたりします。この幸福感がたまりません。

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COMMENT:
AUTHOR: khiroott
DATE: 12/20/2007 18:30:42
吉朝さんの「猫の忠信」
良かったですな。この話は、次郎吉の目を通した場面
転換の切れと、吉野屋の常吉の「本物」と「偽者」の
描き分けがポイントで、素人がやると(またやりたがる)
めちゃくちゃになるのですが、吉朝さんは、ぴしっと
折り目がついたかのようにきれいに演じ分けていた。
春蝶師のも鮮やかだった。米朝師は、この大ねたを易々
と演じる安定感があった。この話を「聞ける」レベルに
までもっていったとすればたいしたもんですね。
「蛸芝居」は
誰がやっても大して差は無い。米朝師は、演じる自分を
まるで博物学者のように解説する自分がいて、観客は
安心して聞くことができましたが、それ以降、この境地
に達した人はいません。この噺を聞く人は、みんな「こ
れは、何が面白いのやろう」と思ってます。まあ、それ
も味のうちかもしれませんが。
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COMMENT:
AUTHOR: yasu-emi0915
DATE: 12/20/2007 21:06:24
今年は行けませんでしたが去年、「吉坊ノ会」に行きました。
山本能楽堂の雰囲気は本当に素晴らしいですよね~~
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COMMENT:
AUTHOR: leslieyoshi
DATE: 12/21/2007 01:58:06
To khiroottさん
>吉朝さんの「猫の忠信」良かったですな。
そうなんです。だからそのイメージをどうしても重ねてしまって…。

>この話を「聞ける」レベルにまでもっていったとすればたいしたもんですね。
「やるやるとは聞いとったが…」と言えば吉坊には失礼かもしれませんが、これがやってるんですよ。
>「蛸芝居」は~~~この噺を聞く人は、みんな「こ
>れは、何が面白いのやろう」と思ってます。
三番叟で丁稚を起こしに回る旦那を筆頭に、ネタに出てくる連中が「なりきり役者」ですからねぇ。あえて言うと、蛸の演技をどれだけ「それらしく」見せるか? でしょうか注目点は?
—–
COMMENT:
AUTHOR: leslieyoshi
DATE: 12/21/2007 02:02:27
To yasu-emi0915さん
>今年は行けませんでしたが去年、「吉坊ノ会」に行きました。
>山本能楽堂の雰囲気は本当に素晴らしいですよね~~
お客さんの数は理想的だと思いますね。
ただ、佐ん吉も言ってましたが「かみしも」が難しいんやろなと。普段は真右横に客はおらんのに、そこでわはははは!って客が笑ってるわけですから。
それもまた一風変わってておもろいんですけどね。やる方はどうなんやろ? と思いました。


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