10年前、返還直前を振り返る。(参照『香港通信』)
【1997年4月15日】
◇人民解放軍先遣部隊について中英両国合意。人数は中国側が当初主張していた200人を大幅に下回り40人。武器は携帯せず。同月21日から駐屯
◇返還後、初代行政長官に就任する董建華(C.H.トン)氏は翌月予定の訪米を断念と発表。民主党の李柱銘(マーチン・リー)党首が米国で人権問題を語ったため時期的に不適切と判断したとの見方強し
【4月16日】
◇永久居民の定義について、香港政庁が6月30日に草案を起案し、返還後に臨時立法会で採択してもらうと発表。パッテン総督は「中国側と作成した草案を、(返還前の議会である)立法評議会で通過させようと要求したのに、中国側が拒否したため。臨時立法会が返還前に作業すべきではない」
◇マスターカードの調査で海外移民を考えている香港人は15%。日本の17%を下回る
【4月17日】
◇特区行政長官事務所が市政評議会、区域市政評議会、区議会議員らを招き、「諮問文書」の諮問大会を開催するも、民主派議員らが「ニセ諮問、実体は独裁!」などと野次ったため、質疑が中断
◇中国外務省スポークスマンが「返還後、政治的主張の異なる者を香港から追放することはありえない」との声明。カナダ訪問中の国務院香港・マカオ弁公室の魯平主任も「李柱銘が英雄になろうったてそうはさせない」
*4月17日にもめた「諮問文書」。
返還前には市政評議会(市議会)、区域市政評議会(新界地区の地域議会)、区議会(全港18区の議会)がありました。議員が各議会を兼任していることも ありましたが、それにしても当時人口6百数十万の香港に何ゆえ、こんなにも議会が必要であり議員がいたのか。思うに、植民地宗主国が原住シナ系住民に「ある程度の」箔付けをしておくための措置だったのかもわかりません。
それを返還を機に一旦解散させ、「臨時市政局」「臨時区域市政局」「臨時区議会」を設置し、返還1年後に両市政局を整理して、○○事務署などとして各部門を独立させる、区議会は続行、というプランについて話し合いましょうという「諮問大会」だったわけです。
臨時xxについては、董建華(C.H.トン)氏が任命することになっており、さらには「愛国愛港」を任命条件に盛り込んだため、民主党は反発。「実体は独裁!」という野次はそのため。
中英の綱引き、罵倒合戦以外にも様々な場面で返還前と後の勢力が衝突していたのでした。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。