10年前の香港を振り返る第6弾。
【1997年2月25日】
◇北京で鄧小平氏の追悼式。香港の交通機関は一斉に汽笛やクラクションを鳴らし、駅では葬送曲を流し、「全港全民悼念鄧小平」
◇お隣の広東省では、妨害電波で香港のテレビが視聴不可能に。「天安門事件」の映像が流れることを恐れた措置か?
【2月27日】
◇民主党が求める「英国は国連安保理に(返還後暫定議会の)臨時立法会の不当性を提訴」についてパッテン総督は「返還後の英国の主な任務は、立法会選挙が現在よりも公平かつ民主的に行われるかを注目すること」とし、事実上、提訴を拒否
【3月1日】
◇許淇安・警務処長は返還式典の警備について、香港警察が全面的に行い中国側介入なしと発表
◇英国枢密院、香港からの上訴受理打ち切り
【3月3日】
◇親台派労働団体「工団」は「我々は中華民国政府を認めているので返還祝賀イベントには参加しないが、立法会選挙(98年6月)には参加する」と表明
「英領最後の旧正月」「鄧小平死去」が一段落し、なんとなく中だるみ状態の香港。日本からの「最後の香港見物客」も減少傾向。実際、95、96年は月に 2、3組は必ず友人知人が「最後の香港」へ来ていましたが、この頃から年に2、3組になっていきます…。大きな理由はやはり旅費の高騰でしょう。とくにホテル代。そういえば日本人向け料金なんて騒動もありました。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。