<手話を巧みに使い好演した主役の一人、游學修(ネオ・ヤウ)。いやホント、彼はいい俳優になったねぇ~>
「大阪アジアン映画祭」、記念すべき第20回目の開催である。このアニバーサリーイヤーに合わせたのか、8月に第21回を開催するとのこと。なんか調子狂う(笑)。
迎えた前売り開始日の3月6日。「今年こそ、瞬間的に前売り画面に入り込むぞ!」と息巻いていたのだが…。帰宅したら、そこには父が倒れていてたのだ…。いずれそういう日が来るという覚悟と言うか、想像と言うか、予期と言うか…。折々に思ってはいたが、いざその場面に直面すると、もうねぇ…。そりゃもう映画どころではない。
医者じゃないので何もできないけど、毎日でも顔を見せてやり、話しかけてやれば、少しでも薬になるんじゃないかと頻繁に病院へ赴く。それでなくても「あれを持ってきてもらいたい、これを用意してほしい、ここにサインしてほしい」などなど、病院から頻繁にお呼びがかかる。ほんと、映画行ってる場合じゃない、という状況だったのだが、なんとか小康を保っているようでもあるので、チケットをゲットできる範囲で購入して、数本を鑑賞することとした。
「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。
コンペティション部門 特集企画<Special Focus on Hong Kong 2025>
看我今天怎麼說 邦題:私たちの話し方 <日本プレミア上映>
港題『看我今天怎麼說』
英題『The Way We Talk』
邦題『私たちの話し方』
公開年:2024年 製作地:香港
言語:広東語、香港手話 上映時間:132分
評価 ★★★★★(★5つで満点 ☆は0.5点)
導演(監督):黃修平(アダム・ウォン)
監製(製作):廖婉虹(ジャクリーン・リュー)、何康(ホー・ホン)、黃修平
編劇(脚本):思言(シーキン)、黃修平、千春(1000springs)、何康
手語指導(手話指導):海鳥、胡歷恩(キンバリー)
攝影(撮影):梁銘佳(レオン・ミンカイ)
剪接(編集):黄修平、姚敏堃(ジェイソン・イウ)、千春、潘寶欣
美術服裝總監(プロダクション、衣裳デザイナー):張兆康(チョン・シウホン)
服裝指導(衣裳デザイナー):陳子晴(セブン・ド・サントス)
聲音設計(サウンド・デザイナー):鄧學麟(サイラス・タン)、關惠心(マンディ・クワン)
原創音樂(オリジナル楽曲):戴偉(デイ・タイ)
領銜主演(主演):游學修(ネオ・ヤウ)、鍾雪瑩(ジョン・シュッイン)、吳祉昊(マルコ・ン)
主演(出演):黃暐恆(ウォン・ワイハン)、鄭進希(チェン・チョンヘイ)、袁綺雯(イエム・ユエン)
特別演出(特別出演):陳蕾(パンサー・チャン)
《作品概要》
聴覚障がいをもつ3人の若者。友情に支えられながら、それぞれの道を見出していこうとするが…。手話による会話を軽快なリズムで映し出し、障がいを持つ若者たちのエネルギー溢れる青春を描く感動作。<引用:第20回大阪アジアン映画祭公式サイト>
いやー、よい映画を見せてもらいました。★5つだけど、7つでも10個でも差し上げたい。
「聴覚障害」と言っても様々で、本作ではそれぞれ違う障害との付き合い方をする3人の若者が描かれている。ちなみに、香港では聴覚障害者を「聾人」と言う。ズバッとした表現だけど、中国語ってのはこういうものである。そこに悪意はまったくないし、字を見てそのままなのでわかりやすい。さらに言うと、手話は「手語」、補聴器は「助聽器」、人工内耳は「人工耳蝸」となる。
游學修(ネオ・ヤウ)が演じる葉子信(チーソン)は、子供の頃から耳が聞こえないことを誇りに思っており、手話を母語とみなし、補聴器や人工内耳に抵抗を感じている。車の洗車で生計を立てている。
鍾雪瑩(ジョン・シュッイン)演じる方素恩(ソフィー)は、幼い頃に人工内耳を装着し、積極的に社会に溶け込み、話し言葉の習得に努力して、「聽人(健聴者)」のようにアクセントのある話し方ができるが、手話はできない。
吳祉昊(マルコ・ン)が演じた吳昊倫(アラン)は、葉子信の聾唖小学校時代の幼なじみ。人工内耳を装着して話し言葉を学ぶことを選んだが、手話も理解しており、葉子信とは手話で会話する。写真家として活躍している。
いつも言っているが「子役のいい映画は良い映画」というのは、本作にも言える。どうやって探し出したかは知らないが、子信とアランの少年時代を演じた子役二人が実によかったのだ。子信の少年時代を演じた鄭進希(チェン・チョンヘイ)は、実際に中度難聴、アランの少年時代を演じた黃暐恆(ウォン・ワイハン)は両親が聴覚障害者、すなわちCODA(コーダ=聞こえない・聞こえにくい親を持つ聞こえる子供)。雰囲気だけでなく、そうした背景を持つ子役を探し当てるって凄くない? 小生のことを話せば、小生もまたCODA(母が中途難聴からの完全失聴)。また、小生自身も健聴からの現在は軽度難聴で補聴器使用開始、いずれ人生のどこかで完全失聴となる。なので、この作品がすごく心に染みたし、3人の思いや作品が世に訴えんとするところが、痛いほどわかるのだ。

素恩を演じた鍾雪瑩(ジョン・シュッイン)は、この作品で台湾の金馬獎で主演女優賞に輝いた。「聽人」の彼女が「聾人」を演じる。さらに、人工内耳を装着し、口話も「ほぼ問題ない」という聾人の役は、なかなか難しいものがあったと思う。
素恩は幼い時に両親の方針で、手話を禁じられる。早くから人工内耳を装着し、健聴者と同じ「世界」で生きる道を強いられる。上述で「ほぼ問題ない」としたのは意味がある。作中で人工内耳を通した聴こえ方や、人工内耳が不調を来したときの聴こえ方が再現される場面がある。相当リサーチを重ねてこの音を再現したんだろうなと思う。小生も「補聴器したのになんでわからん?」と疑問を呈されることが頻繁にあるが、「補聴器の世界の音は違う」というのがわかってもらえないもどかしさを常に感じているので、素恩の口話が「ほぼ問題ない」というのは、推して知るべしであり、我が身のことでもあるのだ。

人工内耳の使用促進団体の「人工内耳大使」の一人に選ばれた素恩。名門大学を卒業し、プロのアクチュアリー(=保険数理士)になる夢を叶えるべく、有名な保険会社に採用されるが、職場では疎外感を感じる。現実は会社が障害者雇用を促進していることをアピールするための「マスコット」のようなものだったのだ…。
鍾雪瑩は昨年の大阪アジアン映画祭で上映された『填詞L(邦:作詞家志望)』をはじめ、本映画祭では多くの出演作が上映されてきた。今年の香港電影金像獎でも、この役で主演女優賞にノミネートされており、金馬獎との「ダブル受賞」も期待される。
小生イチ推しの若手俳優、游學修(ネオ・ヤウ)が演じた子信は、聾唖小学校時代に手話を使わず読唇によって口話を使うことを半ば強制されるが、かたくなに手話にこだわり続けてきた。物語の発端となる2005年当時、香港の聴覚障害児童、生徒に対する教育方針は、音声言語の学習および読唇で他人とコミュニケーションを取ることを強制し、学校での手話の使用を禁じていたのだ。手話を母語とみなしていた子信は、不良児童とみなされていた。

なお、この教育方針は2010年に改められ、音声言語と手話を併用する方向に変更されたことが、作中のどこかに出ているが忘れたので、ここはWikiの受け売りである(笑)。

聾人であることを誇りに生きてきた子信は、ダイビングのインストラクターになることが人生の目標。聴覚障害者団体で働いており、人工内耳の推進を尊重するが、同時に他の人々が手話を尊重することも望んでいる。そんなある日、聴覚障害者向けのイベントで素恩は「技術の発展によって世界から聴覚障害者がいなくなるだろう」(だったはずw)と演説し、子信を激怒させてしまう。めっちゃ怒ってたね…。

健聴者の游學修は、一から手話を学習し、全くの違和感なく聾人を演じ切った。彼は作中では声を発することなく、喜怒哀楽の言葉も日常の言葉もすべて手話で「語り切った」。恐らく彼は、この役を演じ切ることで、「音のない世界」のことを知り、理解してくれるようになったんじゃないだろうか。香港電影金像獎では最優秀主演男優賞にノミネートされている。ぜひ受賞してほしいと思う!
騒ぎを起こして団体をクビになっちゃった子信は、洗車の仕事を始める。商才があったのかどうかはわからんけど、聾人仲間で洗車会社を設立し、そのかたわらダイビングインストラクターを目指して、トレーニングや勉強の日々が始まる…。この洗車仲間の人たちも、実際の聾人でしょうな、多分ねぇ。
映画初出演となる、アラン役の吳祉昊(マルコ・ン)は実際に聾人である。香港式に言えば「聾人素人演員」。実生活でも人工内耳を装着し口話も問題ない。一方で手話も理解する。要は「素のまま」で演技したのだ。とは言え、新人俳優のデビュー作とは思えないほど、素晴らしい演技を見せてくれた。手話にこだわる幼なじみの子信と、人工内耳の世界しか知らない恋人の素恩の間に入って、お互いの世界への理解を促す役割を果たした。好青年だなと思う。映画の中では素恩とともに「人工内耳大使」に選ばれる。二人が恋人同士というのも、物語のミソになる部分で…。
吳祉昊自身も2023年度の「世界聾人小姐先生大賽(Miss and Mister Deaf World=MMDW)」でミスター・デフとフォトジェニック賞のダブル受賞に輝くなど、活躍している若者だ。このキャスティングは大当たりだな。黃修平(アダム・ウォン)監督は、昔から「素人演員」を探し出し、花開かせるのが上手な監督だ。

3人がこの先、どういう道を歩んでゆくは、もうこれは映画を観てもらうとしましょ(笑)。聴覚障害との共生がメーンテーマの映画ではあるけど、若い男女3人である。まして恋人同士のアランと素恩、幼なじみの子信とアラン…。ちょいと恋の顛末などもあって、そこはしっかりと青春映画もしているのでご安心を(笑)。

小生が一番好きな、最も印象に残っているのが、少年時代の子信とアランが海へ駈け込んでいくシーン。下記に張り付けた予告片にも入っている。子役二人が「役」を抜け出して素のままで、海をめがけて走っている姿がとてもきれいなシーンだと思った。なんかジワーっとしてしまったな、あのシーン。だからね、言ってるでしょ、「子役がいいのは、いい映画」って。(何度もすみませんw)
上述したが、人工内耳を通した聴こえ方や人工内耳が故障した時の聴こえ方を再現したのは、健聴者に理解してもらう上ですごくよかったし、全く聞こえない状態=無音のシーンもあって、健聴者に訴えるものがあって、補聴器生活者の小生としては「この映画を作ってくれて、ありがとう!」という思いでいっぱいになった。
さて132分は、頻尿男子にとっては限界突破時間なんだけど、映画がそれを許さない出来だったので、不思議と尿意は催さず(笑)。そのまま、黃修平(アダム・ウォン)監督のQ&Aタイムに突入することに。基本的にこの人は話が長めです(笑)。

前作の『狂舞派3』上映の際に来阪したかったそうだが、COVID-19の感染拡大で来阪叶わず、今回は2016年の『哪一天我們會飛(邦:私たちが飛べる日)』以来の来阪になるかな。そう言えば、『哪一天我們會飛』が本作で子信を演じた游學修のデビュー作だったし、『狂舞派3』には素恩を演じた鍾雪瑩がチョイ役で出演しているようだが、わからん(笑)。
当然ながら、キャスティングの経緯や撮影苦労話なんかを話してくれていたんだが、例により、小生は別段メモを取るわけでもなし、こっそり録音するわけでもなく、席を立った瞬間にほぼ忘れて去ってしまう(笑)。なのでそういうのを知りたければ、ちゃんとした人のブログなり記事なりを見てください(笑)。あ、珍しく覚えているのは、劇中歌でもある陳蕾(パンサー・チャン)が歌う『What If』の日本語字幕入りのMVが、本映画祭の上映に合わせ公開されたと仰せ。下記に貼りつけ。歌詞もMVの内容もすごくいいので、ぜひご覧いただきたい!
この作品が、日本で一般公開され、全国の映画館で上映され、多くの人に観てもらえる日が来ることを祈るばかりである。映画館だけでなく、学校などでも上映されたらいいなと思う。よろしく配給会社さん!!
■ 受賞など ━━━━━━━━━━━━━━・・・・・
○第61屆金馬獎
・最優秀主演女優賞:鍾雪瑩
他2部門でノミネート
○第31屆香港電影評論學會大獎
・推薦作品:《看我今天怎麼說》
他5部門でノミネート
○第43屆香港電影金像獎(4月27日受賞者発表)
7部門でノミネート
■ 終極預告片 ━━━━━━━━━━━━━・・・・・
(令和7年春分の日 ABCホール)
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在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。