【上方芸能な日々 文楽】咲さん、逝く

訃報
豊竹咲太夫、逝去

重厚感のある語りで文楽太夫のトップとして活躍した人間国宝で、文化功労者の豊竹咲太夫(とよたけ・さきたゆう、本名・生田陽三=いくた・ようぞう)さんが31日、肺炎のため死去した。79歳。…… <引用:『産経WEST』

もう、泣きそうである。いや、ほんまに泣いてしまう…。

床に座して浄瑠璃を聴かせてくれる咲さんの姿は、もう拝見できないやろとは思ってはいたが、織太夫のSNSなどで時折報告があって、まあ元気にはしてはるねんな、と安心はしていたんだが…。あまりにも突然のことで「絶句」というものを、もしかしたら人生で初めて体験したかもしれない…。文楽のみならず、上方芸能にとって、古典芸能界にとって、大いなる喪失である…。

越路師匠で「浄瑠璃ってなんか大層なもんやな」と感じ、住さんで「浄瑠璃というもんはうまい事できてるな」と感心し、伊達はんには「怖い顔しておもろいやん!」と楽しみ、嶋さんに「『味わう』とはこういうことやねんな」と感動し、津太夫師に「ぐいぐい引っ張ってくれはるなぁ」と身を委ね、織さん時代の源太夫に「凄みの中の滋味」の浄瑠璃を知り…。そして咲さんはと言えば、「オールマイティ」な人というのが、小生の「咲さん像」。

咲さんのチャリ場は爆笑を誘うものではなく、「ククククッ」と顔をほころばせる笑いを生み出す。「笑い薬の段」なんぞは、その最たるもので、本人は涼しい顔で、真正面を向いたまんまで身をゆすることもなく、ひたすら「アハハ…」とやるんだから、たまらん。祐仙の人形を見るよりも、床の咲さんを見ている方がおもろいくらいで…。

一方で、「重の井子別れの段」のような“大和風”のしんみり、しっとりな情味あふれる浄瑠璃も、他の追随を許さなかった。人形との相乗効果で涙する場面でも、人形のない素浄瑠璃でも、同じようにグッと胸に迫るものを感じさせてくれた。

小生が一番印象に残っているのは「丞相名残の段」、いわゆる「道明寺」である。段切近くの「夜は明けぬれど心の闇路、照らすは法の御誓ひ、道明らけき寺の名も、道明寺とて今もなほ」の「道明寺」のところの迫力に、ただただ圧倒される。あの「どーみょーじー」の語りが、しっかり頭に残っているし、此度の訃報に接し、まず思い出されたのである。

そんな咲さん、ABCの深夜番組『ナイトinナイト』の「おっさんvsギャル」のレギュラー(もちろん、おっさん側)だった時期がある。当時、関西で超売れっ子だった遙洋子らと軽妙なトークで楽しませてくれていた。古典芸能の人とは思えない、軽い一面も持っていた。また、上方歌舞伎の大看板、仁左衛門とは幼少の頃からの仲良しさん。数年前、文楽劇場で二人の対談を聴いたが、二人の「上方芸能」への深い愛情、厳しい目線からの対談は、延々と聞き続けたかった…。ニザさん、きっと大変なショックを受けてるやろなぁ…。

直系の弟子は、織さんと咲寿の二人。最後に、その咲寿のXの投稿を紹介しておく。たまたま一時帰国していた時に見たニュースで、これと同じ場面を見たのを思い出す…。

色んな顔を見せて楽しませてくれた、大好きだった咲さん、ありがとう…。またいつか、会いましょう…。

 


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