<入団2年目の昭和46年、本塁打を放つ門田。ネクストには4番・野村監督。この年、門田は打率.300、本塁打31、打点120で打点王を獲得。「野村よりよう打つな」と思ったものだ(笑) Ⓒ日刊スポーツ>
1月24日、門田博光が亡くなった。小生が大阪球場へ通うのが、一番楽しかった時代、すなわちそれは野村監督時代の主力選手がまた一人いなくなって、本当にあの時代は遥か彼方に行ってしまった。寂しい限りだ。あの頃、好きだった選手は、桜井、西岡、江本、佐藤、小池、相羽、門田といったところだったか…。
通算567本塁打は王貞治、野村克也に次ぐ歴代3位。今後、この記録を抜く選手が現れるだろうか。出ないと思うな。あんなに練習して、あんなに意固地に信念を貫き通せる選手って、もう現れないと思う。そういう時代ではなくなった…。
門田と言えば、豪快な本塁打が思い起こされるが、アキレス腱断裂以前はそうではなかった。他の選手より一回り大きなグローブで右翼を守り、守備も送球も上手かったし、足も決して遅くはなかった。まあ、その頃から、本塁打狙いの大きな打撃フォームではあった。野村監督としては「お前が塁に出れば、俺がホームランで返す」みたいなところだったんだろうけど、野村も衰えが見え始めていた時代だったので、小生らちびっこファンには、門田には今風で言う「ロマン砲」のような感覚を抱いていたものだ。
567本の本塁打の内、多分200本くらいはナマで見ていると思う。とにかく打球速度が速いので、あっという間に目の前に飛んでくる。大阪球場の右翼席で何度危険な思いをしたものか(笑)。今となっては懐かしい思い出だ。
多くの本塁打の中で、小生がもっとも印象に残っているのは、昭和52年(1977)8月15日、大阪球場で阪急・山田から打った1本である。南海・藤田学、阪急・山田の好投で1-1のまま迎えた8回裏、走者を二人置いて門田に打席が回ってきた。均衡を破る絶好の機会である。ここで山田vs門田。球場のボルテージは上がる一方。盆休みとは言え、月曜日のナイター。当時のパ・リーグにしては「大入り」と言える19,000人の観衆が名勝負に魅入る。
記憶は定かでないが、カウントは追い込まれていたと思う。そこから門田はファール、ファールで粘る。珍しく大阪球場に来た「南海嫌い」の父が「ほれほれ、段々タイミング合うてきたで~」とワクワクしながらこの対決を見ているのが微笑ましい(笑)。そしてついに、何球目かは忘れたが、打球は右翼席へ一直線に伸びていった。狂喜乱舞の一塁側スタンド。紙テープが大量に投げ込まれ、紙吹雪も大量に舞う。収まらない万歳三唱…。こんな気持ちのいいシーンはない。
この本塁打、さらにはそこに至るまでの門田と山田の対決は、いまだに忘れることができない。
時は流れ、2007年年末。小生は京都駅前のホテルのロビーで、カドさんと対面した。クライアントさんとカドさんの座談会企画を了承してもらうため。相変わらず、ぶっきらぼうに「ワシ、この前病気したやろ、それで耳が遠なったから、大きい声で話してほしいねん」と。心中「わかってるがな!」と(笑)。いつまでもムスッとしてはるんで、「僕ね、昭和43年あたりから大阪球場通ってましてん。ずっと子供の会入ってましてん」と言った途端、えらいご機嫌になりはった(笑)。お陰で、後日行われたクライアントさんとの座談会でも、ようけしゃべってくれはった。進行は記者歴のある噺家さんに頼んだのだが、一々小生に「あんたも知っての通り、ノムさんというお方は」だの「あんたも知っての通り、大阪球場のベンチの裏の通路は」だのと、話を振ってきはった(笑)。ええ、ええ、全部存じておりますよ(笑)。クライアントさんは大打者との座談会で、終始ウキウキやったし、カドさんは超ご機嫌という塩梅で、小生にとっても、大阪球場時代を思い出す、楽しい座談会だった。
この頃、カドさんは京都のある企業さんにバックについてもらって、色々とマネジメントしてもらってたようだが、今回の逝去の報を見るに、その企業さんの名前は出てこないので、縁は切れていたようである…。いや、詳細は知りませんよ…。
大阪球場のなんばCITY側に、カドさんが試合後に出てくる「秘密の出口」があって、まあ、目敏いファンは知っているので秘密ではないねんけど(笑)、そこで出待ちすることもあった。「おう、来てくれてたんか」と声をかけてくれたことも度々。こちらとしてはそれで十分。すぐに難波の雑踏に消えて行くカドさん…。
上述の座談会でもやたらと野村監督のことを言ってたが、よく取り沙汰された確執とは違う関係であったのは、まあ、当時からの南海ファンならわかるだろう。平成25年(2013)8月31日、福岡ドームでの始球式に野村が36年ぶりに南海のユニを着た日。ホークスファンの少年が投げた球を、右打席の野村、左打席に門田が迎えるという始球式だったのだが、最初にバット構える位置が、まるで合わせ鏡だったのだ。小生は一人で「おおおおーーー!」と感激していたのだが、そこに二人の関係の「解答」を見た思いがしたものだ。
あっちでは、野村監督と打撃論を戦わせているんだろうか…。
右翼席でボーっとしている小生の頭上を、凄まじい勢いで飛んで行くあの本塁打、あの瞬間をもう一度味わいたい…。カドさんとまた、野村時代の南海の話で盛り上がりたかった…。あの時代のエピソードをもっともっと聞きたかった…。
ホークス球団創設85周年は、ホークスの象徴の死という、悲しみから始まった…。
←1月10日に刊行されたこの本。果たしてカドさんは手にしただろうか…。
『南海ホークス 1938年〜1988年』(プロ野球球団ドラマシリーズ)
ベースボールマガジン編集部 (編集), 永井 良和 (著) ¥1,870
(amazon.co.jp)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。