【御朱印男子 21】神田明神

アイキャッチ画像:近畿以外での御朱印活動は、靖国神社に次いで2度目。近畿、特に古代王朝とかかわりの深い南河内、奈良とは全く違う印象>


日比谷野音で南こうせつのライブ参戦では、1泊して翌日は都内をうろうろするってのが定番。うろうろと言っても、帰りのフライに間に合うようになんで知れている。この日も宿を出たのが10時ごろ、そこから近くでモーニング食って、ようやく行動開始。そうそう、モーニング食ってて気づいたんだが、平日なのね(笑)。ギリギリ、ゴールデンウィークだけど世間様はもう動いてるのね(笑)。

東京に来たら神保町巡りは欠かせない。とくに中華系書店2店と三省堂は外せない。古書店巡りも捨てがたい…。というわけで、1日があっという間に過ぎてしまうのだ。「第二章」、楽しみにしている!

ということで、ご朱印活動も忘れずに。まずは神保町の三省堂書店に建て替え前最後のお別れを済ませて、坂道をユルユルと登って神田明神を目指した。これまでの御朱印活動は、大阪市内と南河内、飛鳥エリアという、要するに「目、瞑ってても行けます!」エリアを回っていたが、今回、初めて畿内を飛び出した活動。書店巡りをしているうちに時間も少なくなってしまったのが少々心残りではあったが…。

御朱印男子
神田明神

神田明神を目前にして、急にお腹がグルグル言い始めて、かなりの「危険水域」に! 「これは惨事になるぞ!」と駆け込んだ上品なカフェ。幸いなことに気持ちよくご不浄を貸していただけた。ホント、危ないところだった(笑)。そのまま「ありがとうござんした」と去るのはいけないと思い、コーヒー1杯をよばれることに。非常に上品なカップに注がれたコーヒーが絶品のお味で、ついつい長居をしてしまう…。これがよくなくて、結局のところ、神田明神の境内をゆっくり見て回ることができなかったのは痛恨。つくづく、お腹の緩さを恨む(笑)。尾籠な話はさておき…。

【御朱印File 22】神田明神

まず見えてきたのが緑青を吹いた立派な鳥居。

うん?でもちょっと待てよ。右端はビルの中に食い込んでるのか? よ~く見てみよう。

おお、すれすれやね。区画整理?の際に、ちょっと測量をミスったのかな? まあ、京都の錦天満宮のように両端がビルに突き刺さっているわけでもないので、OKと言えばそうかもしれないが、ビルが先に建ったのかそれとも鳥居が先か、悩ましい光景ではある。

駿河台下の交差点から相当、坂を上ってきたが、もうひと頑張りと鳥居から坂を上れば、朱が目に鮮やかな楼門が。いや~、これは立派なもんですな。「隨神門」という。昭和50年、昭和天皇御即位50年の記念事業として新たに再建された。総檜・入母屋造の二層建。屋根は銅板瓦棒葺。外回りには四神(朱雀・白虎・青龍・玄武)、内側には「因幡の白兎」など、ご祭神のだいこく様の神話をモチーフにした彫刻が飾られている。二層目に金箔をほどこした「繋馬」の彫刻が飾られているが、この繋馬は平将門公に由来する。平成10年、「平成の御造替事業」の際に、鮮やかに塗替えられた。外側正面に隨神像を配し、右は豊磐間戸神(とよいわまとのかみ)、左は櫛磐間戸神(くしいわまとのかみ)を安置。もうちょっとちゃんと見ておけばよかった…。向かって左手には千社札納札所と手水舎がある。

神田明神の正式名称は「神田神社」。 神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場、豊洲魚市場、108町会の氏神である。旧社格は府社(明治3年/1870まで准勅祭社)。現在は神社本庁の別表神社。また旧准勅祭社の東京十社の一社でもある。氏地がこれだけ広範囲なもんで、祭りも大規模である。ちょうど5年前のこれまた南こうせつの野音ライブの翌日、今回同様に神保町書店巡りをしていた折に、「神田祭」の神輿巡行に出くわし、実にエキサイティングな体験をしたのであった。

スルスルっと交差点中央に櫓が出てきて、あっという間に自動車の往来が途絶える。すでに各町の神輿が待機している
大阪のふとん太鼓や河内、泉州のだんじりとは異なる祭りの熱気を感じた
実にエキサイティングな時間を過ごせたのであった

ご祭神は一之宮「大己貴命(おおなむちのみこと)=だいこく様」、二之宮「少彦名命(すくなひこなのみこと)=えびす様」、三之宮「平将門命(たいらのまさかどのみこと)=まさかど様」の3柱。大己貴命は天平2年(730)鎮座、少彦名命は明治7年(1874)鎮座。平将門命は延慶2年(1309)奉祀、明治7年(1874)に摂社の将門神社に遷座、昭和59年(1984)に本殿に奉祀復帰。

歴史は社伝によると、天平2年(730)に出雲氏族の真神田臣(まかんだおみ)により、武蔵国豊島郡芝崎村(現在の東京都千代田区大手町・将門塚周辺)に創建、とあるが、天平時代と江戸の地がどうも結びつかない…。ま、いいか。

将門塚周辺で天変地異が頻発し、将門公の御神威として人々を恐れさせたため、時宗の遊行僧・真教上人が手厚く御霊をお慰めし、さらに延慶2年(1309)、当社に奉祀。戦国時代、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬される。慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦にあたり、徳川家康公が合戦に臨む際、戦勝のご祈祷を行ったところ、9月15日、神田祭の日に見事に勝利し天下統一を果たす。これ以降、徳川将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられる。

江戸開府以降、幕府の尊崇する神社となり、元和2年(1616)に江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座、幕府により社殿造営。以後、江戸時代を通じて「江戸総鎮守」として、幕府をはじめ江戸庶民にいたるまで篤い崇敬を受ける。

明治時代に入り、社名を神田明神から神田神社に改称し、「准勅祭社」「東京府社」に列せられる。明治7年(1874)、明治天皇御親拝。平将門命が摂社に遷座し少彦名命が鎮座したのは、この親拝によるため。

権現造の社殿は、関東大震災で江戸後期に建造された社殿が消失したため、昭和9年に当時としては画期的な鉄骨鉄筋コンクリート、総朱漆塗で再建。東京大空襲にも耐え抜く。国登録有形文化財である。

本堂の前に鎮座する狛犬は正面を向いているという非常に珍しいかたち。言われてみりゃ、狛犬って普通は斜に構えた奴多いよな。

さて今回、一つどうしても確認しておきたかったことがある。それは「神田明神下」。テレビの『銭形平次』で大川橋蔵扮する平次親分は自分を名乗る時必ず「あっしは神田明神下の平次って岡っ引きでごぜーやす」と言う。子供心に、この「神田明神下」ってのがとても気になって仕方ない。「神田明神の下ってどういうこと?地下都市なの?」みたいな(笑)。可愛らしいね、俺(笑)。そのうちなんとなくわかってきたけど(笑)。

神田明神下の街並みに感動する!

そしてついに、念願かなって「神田明神下」の風景を目にしたのである!そりゃまあ、書店街からえっちらおっちら坂道を登ってきたんだから、当たり前と言えばそうなんだが、ちょっと感動したよ。そして、この街並みを見下ろすように建つのが平次親分の記念碑。昭和45年に日本作家クラブが発起人となり建立された。平次親分に会えてよかった~!

足元は平次が下手人に向かって投げる「寛永通宝」をあしらっている。横に八五郎の碑もあるんだが、ごめん!見落としていた…。

大毎オリオンズと東映フライヤーズのオーナーが並んでいるのがパ・リーグファン的にはそそられるものがある

《摂末社》

上の看板があった。最初の「籠祖神社」がシールで隠されているが、現在は「合祀殿」に建て替わっている。神社の公式サイトによれば、平成24年に旧・「籠祖神社」社地に建立。籠祖神社(猿田彦神/さるたひこおおかみ、塩土老翁神/しおつちのおじ)をはじめ、本殿に合祀されていた八幡神社(誉田別命/ほむたわけのみこと)や富士神社(木花咲耶姫命/このはなさくやひめのみこと)、天神社(菅原道真命/すがはらのみちざねのみこと、柿本人麻呂命/かきのもとのひとまろのみこと)、大鳥神社(日本武尊)、天祖神社(天照大御神)、諏訪神社(建御名方神/たけみなかたのかみ)を合祀とのこと。

三稲荷  末廣稲荷神社、三宿稲荷神社、浦安稲荷神社
 ご祭神:宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ) ※三宿稲荷神社は金刀比羅神社に合祀

三天王 江戸神社、大伝馬町八雲神社、小舟町八雲神社
 ご祭神:建速須佐之男命(たけはやすさのをのみこと)
このうち、江戸神社には神田祭の象徴とも言える千貫神輿が奉納されている。

江戸神社

築地魚河岸水神社 ご祭神:弥都波能売命(みつはのめのみこと)

金刀比羅神社
 ご祭神:大物主命(おおものぬしのかみ)金山彦命(かなやまひこのみこと)天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)

時間に余裕があれば、すべてきちんと参拝して写真も撮らせていただいたんだが、それはまたの機会にということで、今回は失礼の段、何卒お許しを。それにしても、これだけ末社が多いと、結構お賽銭使いますな(笑)。

歩を進めれば、かわいいポニーが!

神田明神の神馬さんで「あかり」ちゃんとして親しまれているとのこと。そう言えば、昔は大きなお宮さんには神馬さんがいたもんだが、最近はあまり見かけないなぁ。やっぱ、動物愛護のあれこれがうるさいのかな?それとも、そもそも飼育する人が確保できないのかな?

あかりちゃん、正式には「神幸号」というらしい。アシ毛の牝馬。暑い時期は「避暑」にも出かけるという。イラストもかわいい。次回参拝の節には、あかりちゃんともじっくりコミュニケーションをとりたいもんだ(笑)。

《御朱印》

<墨書>
・奉拝
・神田神社
・令和四年五月六日

<朱印>
・元准勅祭十社之内
・干支(寅)の朱印
・神田神社角印

時節柄、置き書きなのは多くの神社仏閣と同様。御朱印は文化交流館内でいただける。

さて、ご朱印にある「元准勅祭十社之内」。「隨神門」のご神灯提灯の横にも「元准勅祭神社東京十社めぐり」という立看板が。祭礼に際して天皇により勅使が遣わされる神社は「勅祭社」。「准勅祭社」は、明治初期、近代における勅祭社の制度が確立する中で、平安後期の二十二社などを参考にして、東京近郊の主だった神社を指定し、東京の鎮護と万民の安泰を祈る神社とした総称。通りで近畿では耳にしない社格だと思っていた。戦後、神社の社格が廃止され、勅祭社、准勅祭社という呼称もなくなったが、昭和50年(1975)、昭和天皇御即位50年奉祝にあたり、元の准勅祭社12社から遠隔の六所宮と鷲宮神社を外して、23区内の10社を巡る「東京十社巡り」が企画され、現在に至っている。御朱印ブームにぴったりではないか、これは。多分、その気になれば1日で回れるんだろうけど、それじゃあまりにも味気ない、スタンプラリーちゃうんやし。今度、東京へは2泊くらいで行って、すべてしっかりお参りしたいもんだな。特製の御朱印帳もあるようだし。しかしその前に「大和十三佛霊場」も回ってしまわねば(笑)。

靖国神社は毎回参拝するのだが、それ以外の東京の神社は初めてのこと。日ごろ親しんでいる畿内の神社との大きな違いは、神話や古代王朝との親和性が希薄だということ。歴史を考えれば致し方ないことである。しかし、そこに神社があるということは、由来があり物語があるわけで、そこは決してないがしろにしてはならない部分であり、むしろ江戸開府以降の歴史に思いを馳せることができるのは、東京ならではのことである。土地の歴史、土地の物語を見つけていくのが御朱印活動の大きな楽しみであるのには、全国どこへ行っても変わりはない。

<ところ>東京都千代田区外神田2丁目16−2 <あし>【JR】中央線・総武線御茶ノ水駅徒歩5分、京浜東北線・山手線秋葉原駅徒歩7分【東京メトロ】丸ノ内線御茶ノ水駅徒歩5分、千代田線新御茶ノ水駅徒歩5分、銀座線末広町駅 徒歩5分、日比谷線秋葉原駅徒歩7分

(令和4年5月6日 参拝)


 新版 神社のおしえ』 神田明神 (著) 

すっきりわかる「神社とおまつり」の基礎知識。お札はどうお祀りすればいい? 日本の三大祭りとは?祟りとはなんですか? 氏神様と崇敬神社の違いとは? 江戸東京の総鎮守神田明神公式ガイド。


コメントを残す