<アイキャッチ画像:心柱の最終公開開催中の東塔と国宝の薬師三尊像を安置する金堂。白鳳伽藍が青空によく映える>
世はゴールデンウィーク。COVID-19は未だ収まらずという状況ながらも、どこかに「もう、ええやろ」という気分もあって、行楽地は久々に賑わいを取り戻しつつある。「マスクも、そろそろ要らんのんちゃうの?」という声もチラチラ聞こえてくるほどだ。言うても用心に越したことはない。小生も3回目のワクチン接種を済ませた。さてこの先、どうなりますやら…。
こういう時は神仏にすがるのがよい(笑)。そこはもう「気ぃのもん」。そんなわけで、「南都七大寺」の一つ、薬師寺へ行ってきた。薬師如来さんの霊験におすがりしようという気持ちとともに、これが「今生最後」の機会となるであろう東塔心柱の最終公開が始まっており、これをどうしても拝んでおきたかったからでもある。
御朱印男子
法相宗総本山薬師寺 国宝 東塔初層特別開扉
薬師寺と言って、まず思い起こされるのが、土砂降りの中で行われた南こうせつのライブ。開演前にはすでにそこそこの雨が降っていたが、次第に雨脚が強まる。こうせつのライブで土砂降りは珍しいハナシではないのだが、この日は5月とは思えぬ寒さもあって、ちょっと参ってしまった。中盤からは回廊で音を聴いていたという情けない次第であった。
さてさて今回はゴールデンウィーク中の晴天。国宝東塔の心柱をしっかりと目に焼き付けてきた。なんせ撮影厳禁なもんで…。
薬師寺では12年に及ぶ東塔の解体修復大修理を行った。事業が始まったのが平成21年(2009)のこと。上のこうせつライブの稿には覆いに隠れてしまう前の東塔の写真を載せている。雨のライブから3年後、小生はこの大事業の修理現場見学会に当選し、その現場をこの目で見てきた。見学会は撮影OKだったので、修復される心柱の写真も載せているので、ぜひともご覧いただきたい。
今回、この心柱を拝めるのが最後の機会だという。この秋からは東塔内陣に文化勲章受章者である中村晋也の作、釈迦四相像が心柱を取り囲むように安置されるため、この初層特別開扉が「今生最後」の機会となるわけである。
【御朱印File 18】薬師寺
薬師寺は近鉄橿原線の西ノ京駅が最寄り駅。と言うか、駅と薬師寺は一体化してるのではという感じ。改札を出ればすぐに上に載せた「冠木門」。この門自体は国宝でも重文でもないんだが、「薬師寺に来たで!」と最初に思わせてくれる存在感があるので、なんか好き💛
もはや入場ゲートと言ってもよい與樂門を抜け、この期間の特別拝観料1,600円をお納めし、いざ白鳳伽藍へ。かつて高田好胤管主が復活へ情熱を燃やし心血を注いだ白鳳伽藍である。いや~、おもろいおっさんやったねぇ…。なんちゅうても、まだ子供だった小生でも言うてはることが、ようわかったもんなぁ。
まずは伽藍の回廊の外側を東塔の方向へ歩いて行く。回廊をはさんで、東塔の東側に「東院堂」という味わい深いお堂に行き着く。 鎌倉時代の弘安8年(1285)に再建された国宝である。堂内の厨子に安置されている本尊聖観音立像も国宝である。また四天王立像は重要文化財である。
そして本日のメーンイベント「国宝東塔初層特別開扉」による「心柱最終公開」である。ここで国宝東塔についてざっくりと触れておこう。
諸説あるが、公式サイトにもあるように天平2年(730)の創建が通説である。現在寺に残る建築のうち、奈良時代にさかのぼる唯一のもので、平城京最古の建造物である。総高は相輪を含んで34.1メートルあり、日本に現存する江戸時代以前に作られた仏塔としては、東寺五重塔、興福寺五重塔、法観寺五重塔、醍醐寺五重塔、仁和寺五重塔に次ぎ、6番目の高さである。一見六重の塔に見えるが、内部は三層になっており構造的には三重塔である。下から1・3・5番目の屋根は裳階(もこし)と呼ばれる飾り屋根で、各層に裳階が付く塔は薬師寺だけのものである。塔の先端部の相輪にある青銅製の水煙(すいえん)には、躍動的な飛天像が透かし彫りされており、奈良時代の高い工芸技術を見ることができる。
で、実は今回、食堂(じきどう)で、この水煙の展示も行われていたのだが、うっかりして見逃してしまった(笑)。帰宅して拝観券を見て「おやまあ!」と思った次第(笑)。ま、前回の修理現場見学会で見ているので、ダメージはそれほど受けてはいないのだが、何分、拝観料のモトを取ることができなかったのはいささか残念ではある(笑)。水煙に関しては上記の見学会の稿に写真も載せているのでご覧くだされたし。
上の写真で右下に、心柱を一目拝んでおこうという善男善女の姿が見える。もちろん小生も並んでいたわけだが、この瞬間だけ「善男」になった(笑)。肝心の心柱だが、この高い木造建造物を支えるにふさわしい、ぶっとい円柱である。正直なところ、それ以外の感想はなんだが、このご開扉は、心柱のお姿を拝むことができるラストチャンスというところに意義があるわけで、それによって、何か御利益があるかも…と、少しばかりの欲望を心のどこかに持っていたでろう人たちが見物に訪れた、ってところかな。あ、アナタは違いますか、そうですか、「お前と一緒にするな!」と(笑)。それはそれは、えらいすんまへん(笑)。なお、ご開扉により、「宝相華」と呼ばれる想像上の花を描いた天井画も仰ぎ見ることができた。
いずれにしろ、奈良時代から現代まで、何度かの解体修復を経ながらも、ほぼ当時の技術のままで東塔が、五月晴れの空に向かってのびやかにその優美な姿を見せてくれている。これだけでも本当にすごいことではないかと思う。特に、実際の解体修復修理の現場を見た小生は、感動もひとしおなのだ。
白鳳伽藍を現代に伝える薬師寺。この世界遺産には、当然ながら多くの堂宇がある。ほとんどは上述の通り高田好胤管主のご尽力により、昭和から平成にかけて再建されたものであるが、それぞれに国宝や重文の仏像が安置されており、悠久の歴史と信仰を今に伝える。
薬師寺の中心である金堂には、本尊の薬師三尊像(国宝)がお祀りされている。中央に薬師如来、向かって右に日光菩薩、左に月光菩薩を配す。昭和51年(1976)再建。
こちらは東塔と対をなす「西塔」。旧塔は享禄元年(1528)に戦火で焼失したが、昭和56年(1981)に再建された。ぱっと見は東塔とほぼ同様のデザインだが、東塔の裳階部分は白壁だが、西塔は同じ箇所に連子窓を設けるなどの違いもある。木材の乾燥収縮を考慮して東塔より約30センチ高くして再建された。約500年後には材木のたわみと基礎の沈下で東塔と同じ高さになるとの計算のもと、再建された。
「大講堂」は平成15年(2008)に再建。薬師寺の伽藍の中では最大の建造物。以前の大講堂は享禄元年(1528)、戦火で焼失したが、嘉永5年(1852)に再建。今回の再建にあたって解体された。本尊の弥勒三尊像(重要文化財)をお祀りする。仏足石(国宝)や仏足跡歌碑(国宝)も安置されている。
伽藍を一通り拝観したので、そろそろ御朱印をいただくとしよう。
《御朱印》
【墨書】
・右上 奉拝
・中央 薬師如来
・左上 令和四年五月二日
・左下 薬師寺
【朱印】
・右上 西国薬師第一番
・中央上 宝珠に薬師如来の梵字「ベイ」
・中央下 南都薬師寺印
ご朱印をいただき、亡き母の誕生日と母の日が近かったので仏前にと、珍しく気が回って香りのよい線香を購入。続いて、「玄奘三蔵伽藍」へ。う~ん、ここは「心動かされる」ということはなく、さらっと拝観した。あと500年ほどしたら「おお!」ってなるかも(笑)。
さて、帰りはこのまま来た道で大和西大寺から近鉄奈良線で鶴橋、鶴橋から環状線で天王寺、阿部野橋から近鉄南大阪線でわが家の最寄り駅というルートでってのも芸の無いハナシなんで、せっかく滅多に乗ることのない近鉄橿原線なんだし、そんなら終点の橿原神宮前まで乗っちゃう?ってわけで、各駅停車で橿原神宮前まで。まあこれが、けっこう時間がかかってしまいました。大和八木で急行に接続かと思いきや、それもなく…。暖かい季節でよかったわ、頻尿男子なんでね(笑)。橿原神宮前からは、特急でゆっくりくつろいで阿部野橋まで。って…、何を「乗り鉄」してんねん!ってハナシですが(笑)。
最初と最後の写真が電車の写真って、どんな御朱印ブログやねん(笑)。
なお、薬師寺は「西国薬師四十九霊場(第一番)」、「大和北部八十八ヶ所霊場(第四十九番)」、「南都七大寺(第六番)」、「神仏霊場巡拝の道(第二十五番/奈良第十二番)」の札所となっているので、これからもお参りすることがあるだろう。また、近々に。
<ところ> 奈良県奈良市西ノ京町457 <あし>近鉄橿原線西ノ京駅すぐ
(令和4年5月2日 参拝)
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在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。