【御朱印男子 18】生駒山寶山寺

アイキャッチ画像:いつの頃からか、メルヘンチックと言うかケバいと言うか、たにかく派手な車両が運行に就いている。この日は上りも下りも、犬をあしらったこちらの「ブル」に乗車。もう一台、猫をあしらった「ミケ」ってのがある。よくもまあ思い切ったデザインである>


しばらくご無沙汰だった「御朱印男子」。ぼちぼち活動再開とまいります。ただサボっていただけです(笑)。何分、他にやることが多すぎて…(笑)。

さてさて。小生は近鉄のヘビーユーザーなんだが、このところよく目にするのが「大和十三佛ご朱印巡り」のポスターや車内吊り広告。特製の御朱印帳などオリジナルの授与品もあるようで、うまいこと近鉄沿線に「霊場」がおはします(笑)。13か所の霊場を巡って、それぞれで御朱印を受けるというのが、この「大和十三佛ご朱印巡り」らしい。まあ、陽気もようなってきたし、活動再開にはもってこいやんかいさ、というわけで、「大和十三佛霊場」にチャレンジしまひょかと相成る。13か所なんでそれほど大層な話やないし、すべて勝手知ったる近鉄沿線で完結するのが魅力。さらに順序は問わないってのもよろしいですな。気の向いた日に、足の赴くままにお参りすればいいのである。

というわけで、まずは第一番霊場、生駒山寶山寺へ。正式には「寶山寺」と旧字で書くが、もっぱら宝山寺と新字体で書かれる。本稿では地名は「宝山寺」、お寺の名称は「寶山寺」と記すこととする。ややこしくてゴメンね~。

その前に、「大和十三佛霊場巡り」についてざっくりと説明しておく。

奈良県にある13の寺院からなる霊場ことで、三世にわたって私たちをお守りくださるありがたい13の諸尊を巡礼するもの。日本仏教発祥の大和の古刹名刹を巡る旅である。十三佛信仰の歴史は古く、平安時代に遡り、宗派を超えて広く信仰されている。仏教では、人の命は一度死んだらおしまいという考え方ではなく、その人の魂は永遠に生まれ変わり続けると説かれている。十三佛はそれぞれ違った徳をお持ちで、それぞれの働きでもって我々が亡くなった時、より良き人間として輪廻転生するために魂を守護してくださる仏様である。<引用:「大和十三佛霊場巡り」公式サイト>

以上は公式サイトからの受け売りでございます(笑)。

御朱印男子
生駒山寶山寺

生駒山と言えば、生駒山上遊園地。家族で、学校の遠足で、彼女さんと…、って具合に、大阪の子なら一生の内、少なくとも1回は訪れる。もっとも、今の若人たもそうなのかは知りまへん。寶山寺へは、この山上遊園地へ行くのと同じ近鉄生駒ケーブルで向かう。ケーブルカーは山上まで直通でなく、中間の宝山寺駅で山上行きと乗り継ぐ。日本最初の鋼索鉄道として開通した1918年当時は、大軌生駒駅(ケーブル線駅名は「鳥居前」)と宝山寺を結んでいたが、1929年の山上遊園地開園に伴い、宝山寺~山上駅が開通した。

我々世代には、こっちの車両の方がなじみ深い。この日はどうやら運転お休みの「白樺」

いやもう、懐かしいったらありゃしない!車両は随分派手派手しくなったが、この年になっても生駒へ上るケーブルカーを目の前にすると、ワクワクしてくる。えらいもんですな、それだけ生駒山上遊園地は楽しい思い出がいっぱい、ってことですわな。知らんけど…(笑)。

近鉄生駒ケーブル宝山寺駅駅舎。昔のそのまんま

さて、ケーブルを降りて改札を出ると、参道直結である。そもそもが、宝山寺参詣のためのケーブルカーであり駅なんだから、それは当たり前のことである。ここから坂道と石段が続く。結構な勾配があるが、道は整備されているし、気になるお店も並んでいて「苦行」というわけではないのが助かる。下界ではすっかり散ってしまった桜も、所々まだ頑張ってくれており、心を和ませてくれる。

石段を振り返れば、咲き誇る桜。満開の向こうには生駒の市街地が広がる
ひときわ目立つ立派な枝垂桜

ところで、宝山寺と聞けば色っぽいハナシを思い浮かべる人もいるはず。かつては遊郭があったのだが、ちらっとそっちへ目をやると、かなり廃れてしまっている印象。いや、実際は知りませんよ、どうなのかは(笑)。「生駒聖天 観光生駒」という夜になれば赤く輝くであろう大きなアーチが、往時を偲ばせる。あ、これも写真撮っておいたらよかったね(笑)。「御朱印男子」のテーマとは大きくかけ離れてしまうけど(笑)。

【御朱印File 19】生駒山寶山寺

10分ほど歩くと、いよいよ寶山寺。きれいに掃き清められた参道が、迎えてくれる。がらりと空気が変わって、実に厳かな気分になるから不思議だ。

この石段を昇り詰めると大きな鳥居が。「お寺なのに鳥居あるん?」と思うかもしれないが、これこそが神仏習合のなごりというもんだろう。この「一の鳥居」は、元は近鉄生駒駅の近くに「参道の入口」として建っていたが、昭和50年代、生駒駅前再開発事業により、現在の場所に移築された。近鉄生駒駅直結のケーブルの駅名が「鳥居前」なのはこの鳥居のこと。小生は鳥居が生駒駅のそばにあったのをよく覚えている。

石造りの立派な鳥居である。ぶっとい注連縄も貫禄十分!

鳥居を抜け、そのまま進むと、惣門へたどり着く。この門が寺の表門となる。地蔵堂を横目に階段を上ってゆくと、寺の中心部にたどり着く。中心部と言っても山肌にへばりつくように建つ寺なので、それほど広いエリアではない。この先も石段を登って境内のさらに奥へと進んで行くこととなる。

本堂

中心エリアには当たり前だが本堂が建つ。五間四面・重層の護摩堂様式で、寶山寺では最古の建造物。本尊は寶山寺の中興開山者、湛海律師により作られた不動明王像。寶山寺公式サイトによれば、貞享5年(1688)、郡山藩家老だった梶金平一雄、梶民部一貞父子が施主となり、大坂の日下利左衛門一法の助けを得て、富雄三円碓(現在の奈良市)の庄屋・大神和家が奉行を勤め、延宝8年(1680)建築の仮本堂を現在のように建て替え、根本中堂とした。とな。

護摩祈祷で出る煤の影響か、薄暗くて色々なことは確認しづらいんだけど、上層軒下には「阿遮羅場」(阿遮羅=あしゃらは不動明王の意)と書かれた額があるのだが、下調べ不足につき、完全スルー(笑)。明和5年(1768)、東学寺頭大僧正賢賀の書だとのこと。また今度、見てきます(笑)。

背後に見える断崖絶壁は「般若窟」と呼ばれ、弥勒菩薩がおはしまするが、一般には立ち入りはできないとのこと。

本堂のお隣には、檜皮葺の聖天堂拝殿。八つ棟造りと言われる珍しい形をしている。建物の手前が外拝殿、その後方が中拝殿、一番奥には大聖歓喜天(聖天)を祀る聖天堂。寶山寺が「生駒の聖天さん」と呼ばれるのは、ここに由来する。大阪やその近郷近在で「聖天さん」と言えば、寶山寺ゆえに奥行きが短くて、建物の全景を撮るのが難しく、正面からの写真はあきらめた。上の写真では聖天堂の屋根の上の火炎宝珠が見て取れる。また、下の写真で左下方に聖天拝殿の屋根の一部が辛うじて写っているので、これにてご勘弁を…。

中心エリアからさらに先に上って、本堂や拝殿を見てみたのだが、これじゃ何が何やらわかりませんわな(苦笑)。また、撮り直しに行ってきます(笑)

遅ればせながら、ここで寶山寺の縁起のようなものをざっくりと。

真言律宗の大本山。ご本尊は不動明王。鎮守神は大聖歓喜天(聖天)。生駒山は伝承によれば斉明天皇元年(655)、役行者が開いたとされる修験道場で、空海も若いころ修行したと伝わる。江戸時代、延宝6年(1678)、湛海律師によって再興。この時が事実上の開山とされる。延宝8年(1680)には上述のとおり仮本堂が建立され、後には大聖歓喜天を鎮守として祀る。貞享5年(1688年)には新本堂が完成し、伽藍の整備も終了。寺名を大聖無動寺から寳山寺と改める。

大聖歓喜天の御利益の中に「富貴栄達」があることから商売の神として、大坂商人の信仰を集める。京都の皇室や江戸の徳川将軍家、郡山藩主柳沢家からの祈願もあり、聖天信仰の霊場として全国より参詣者が訪れる。

とまあ、こういう次第。

うだうだと書き連ねたが、要はこういうハナシである

さて、ウネウネと階段を上って、奥の院を目指す。文殊堂や観音堂にご挨拶しながら進むと、朱が目に鮮やかな多宝塔に着く。ここまで随分上って来た。寶山寺の境内で生駒登山をしているようなものだ。健脚の人はトントンっと進んで行くが、日ごろの運動不足が響き、膝がワナワナしている。情けなや~(笑)。真剣にジム活復帰を目指さねば…。またお金いるね…(笑)。

本当はもっとシュッとした姿なんだが、何分、山中のことで後ろは一杯いっぱい。無理やり画面に収めると、こんな具合にいびつに写ってしまう…。申し訳ない気持ちだ

さらに進むと、両脇にお地蔵さんが並んでおられる石段が始まる。深い緑に囲まれた石段で、気持ちがスッとするとともに「ありがたや~」って気持ちになる。西行法師ではないが「かたじけなさに涙こぼるる」ってところ。

そしてようやく、奥の院に到着。「よう歩いたわ」なんて言うと、笑われそうだが、自分的には久々に「よう歩いた」を実感。

いざ、振り返ってみると、奥の院の写真はこれ1点だけだった…。これでは何が何堂やら、さっぱりわかりまへんなぁ…

下の本堂エリアは参拝者が多かったが、ここまで来ると、ほとんど人がいない。上って来るの大変やからね…。ここには奥の院本堂のほか、大黒堂、湛海律師の木像が祀られている開山堂開山廟がある。

一息入れて、また来た石段を下ってゆく。本堂エリアに下りて、寺務所で「大和十三佛ご朱印巡り」をいただく。ここが最初なので、1,000円の法印帖を求めることとした。大和十三佛守護屏風なら無料でいただけるが、ちょいとかさばるので、法印帖にこれから十三カ所の御朱印をいただいてゆくととする。

まずは、こちらをお求めください

《御朱印》

【墨書】
・右上 奉拝 *達筆すぎてわからないが、多分そうでしょう
・右下 生駒山
・中央 不動明王
・左 日付、宝山寺

【朱印】
・右上 大和十三佛第一番
・中央 火炎宝珠に不動明王の梵字「カーン」
・左下 大和國生駒山宝山寺

ご朱印もいただいたし、ちょっとお腹がすいてきたので、これにて山を下りることとしましょうか。

再び、生駒ケーブル宝山寺駅。上の写真は山上へ向かう「スイート」。もう1台「ドレミ」ってのもある。ちなみに寶山寺へは、山上ケーブルの梅屋敷駅のほうが近いのだが…(笑)。下の写真は、駅に留置中の「すずらん」。「白樺」同様に昭和28年製造という古参。やはり我々世代にはこのタイプの方がなじみがある。

駅構内に鳥居がある。こちらのお宮さんは八大龍王さん。昭和28年、生駒ケーブルの安全運行を祈願して、生駒山上遊園地内の龍光寺より勧請されとのこと。

生駒山というのは、とにかく神仏の密集地帯で、誰もが知ってるメジャーどころをはじめ、「え!そんな神さん、いてはるんですか!」みたいな信仰の場が数えきれないほどある。パワースポットがこれほどまでにひしめいている山も珍しいのではないやろか?小生も経験があるのだが、何度もお参りに行く場所、要は自分に合った「磁場」がある一方で、気のもんだろうけど、どうしても拒絶されているような場所もある。なぜかそこから先に足が進まない、進めない…。そういう場所もある。そこが生駒山の摩訶不思議なところである。今回、ご縁があって寶山寺に数十年ぶりに参詣できた。こういう仏縁は大事にしたいものである。

<ところ>奈良県生駒市門前町1-1 <あし>近鉄生駒ケーブル宝山寺駅から徒歩10分

(令和4年4月8日 巡拝)


 梵字に親しむ』安田倫子 (著)

本書は「梵字を学んで書いてみよう」という方のための入門書です。 まず、梵字の五十音図から自分の名前を梵字で書いてみることから始めて、インドで生まれた梵字の歴史や日本に伝えられたいきさつ、佛教とのつながりを学び、干支や回忌の「守護梵字」や寺社でみかける梵字の意味を知って、梵字を書くときの心得手順に進みます。


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