【民陣解散】

アイキャッチ画像:2019年「七一」遊行。「反送中」の一大ムーブメントの追い風の中、毎週のように大型デモを挙行していた民陣。この日も民陣発表で55万人(警察発表19万人)が参加。銅鑼灣のそごう前がデモ民で埋め尽くされる光景は日常化していた(香港01)>


散々、大型デモを挙行し、人心をミスリードすることもっぱらだった「抗議の民主派連合艦隊」、「大型デモの寵児」、民陣こと民間人權陣線が解散を決定した。

この前、「『明日にも解散』とのウワサが~」って記したけど、やっぱり。きちんとウワサを現実のものとしてくれるんだから、そこらはまあ、義理堅いとでも言うか…。で、所謂消息筋情報としての「明日解散か」のウワサが立った翌日の8月13日の夜、年次総会を開き、出席したメンバー団体の全会一致で正式に解散を可決したとのこと。『星島日報』系列の『東周刊』が、これまた消息筋情報としてWEBで報じた。

この報道について翌14日、臨時召集人の鍾松輝は「組織の去就について15日昼に発表する」と表明。とは言えだ、前召集人の岑子杰(ジミー・シャム)も現召集人の陳皓桓(フィゴ・チャン)も獄中だ。多分、しゃべり過ぎるあの二人なら、それなりの会見の場を設けて、悲壮な面持ちで「解散宣言」をやっていただろうが、鍾松輝のおっさんではそんな芝居がかった会見は望むべくもない。案の定、解散は「声明」が発表されたのみで、会見は行われなかった。所詮は「臨時」やからなぁ…。

現召集人(左)と前召集人。このころ(2019年)はイケイケだったが、まさか2年後、二人とも牢屋の中とは想像だにしなかったろう。民陣がデモの後の暴力破壊行為を半ば容認した結果、彼らの「未来予想図」は大きく狂ってしまったのだ

声明の内容は、かつて強気一辺倒だった民陣からは想像もつかない「泣き言」だったのには、驚いた。

「特区政府はこの1年余り、絶えずCOVID-19の感染拡大防止を理由に民陣とさまざまな団体のデモ申請を拒絶してきた。民陣に参画する各メンバー団体は弾圧を受け、公民社会は前代未聞の厳しい試練に直面している」

ってことだが、よく「中央の香港への弾圧」という言葉を見たり聞いたりするが、「弾圧」じゃなく「制約」な。今までが放置されすぎていたに過ぎず、そこは「一国両制度」の「両制度ばっかりやのうて、一国もちょっと意識してや~」ってだけの話だろう。そんなに好き放題されちゃたまったもんじゃないしな。

さらに「現召集人の陳皓桓も牢屋の中で、秘書處も運営を維持できず、次期秘書處に参加するメンバーもいない状況では解散を宣言するしかなかった」と説明。秘書處ってのは、ざっくり言うと「運営事務局」みたいな感じかな。要するに、だれも継続の意思なしってことだ。で、資産の約HK$160万(約2400万円)は資産委託管理団体から適切な団体への寄付を指示するとのことだが、資産凍結される前に寄付するんやな(笑)。適切な団体とは…。

かくして、教協に続き、民陣も解散と相成った。せっかくだから民陣の航跡と、「デモと怒号の街」とまで言われた香港の、民陣無き後にちょいと思いを巡らせておきたい。香港デモマニアとしては(笑)。

民陣こと民間人權陣線は、香港特区政府が公安条例と言われる「香港基本法第23条」立法化草案の諮問を開始した2002年に設立された。諮問の開始が大きな社会的論争と反対を引き起こす中、民陣は誕生した。それは時代の要請というべきものだったのかもしれない。SARSが終息した直後、2003年7月1日に開催された23条に反対するデモは、「反對23 還政於民(反対23条、政治を民に返せ)」をテーマに掲げ、民陣発表で50万人の市民が街頭に繰り出した。民陣が音頭を取った最初の「七一遊行(7月1日のデモ)」で、以降、2020年まで毎年7月1日に大型デモを挙行した。基本法23条立法化は、特区政府が草案二讀(第二回審議)の無期延期を発表し、9月には草案自体が撤回されるに至った。これで民陣が調子に乗ったかどうかはわからんけど、一応「香港に民陣あり!」を世界に知らしめるには、効果絶大だったことは確かだろう。

50万人が繰り出したと言われる2003年7月1日のデモ。SARS明けで、市民の鬱憤が溜まっていた時期だけに、政府としてはタイミングが悪かった by “香港01”

以降、民陣は様々な市民団体や民主派政党による活動における動員のプラットホームとなる。この頃は、特区政府も「デモは市民の声を聴く場」と捉えており、民主化へ向けての努力はしていたのだ。民陣はじめ政治組織や市民団体も香港警察とは良好な関係を保っており、デモ開催の申請には「不反對通知書(どーぞ、どーぞデモやってちょうだいよ通知)」を取得することができていた。実際、デモ現場へ行くと、警察は見事な「人さばき」で人流をコントロールし、参加者も警察の指示にはよく従って動いていた。香港社会の成熟度に感心したものだ。

民陣が毎年開催する7月1日のデモは、香港の風物詩のようになり、多種多様な民間団体がが民陣を頼って、様々な政策問題や民主化訴求を提唱していくようになる。

返還10周年、2007年7月1日のデモのテーマは「爭取普選、改善民生(普通選挙を勝ち取り、民生の改善を)」。民陣は6万8000人が参加したと発表した by “香港01”
2012年の「七一遊行」のテーマは「踢走黨官商勾結,捍衛自由爭民主」。政治家と経済界の癒着に抗議し、自由を守り民主を勝ち取るというものだった。英領時代の旗が急に増え、「港獨派」「本土派」が台頭してきた時期である by “香港01”

こうして毎年、民意の風をうまく読み込んだテーマを掲げて、大型デモを挙行していた民陣に、結成以来最大の風が吹いたのは、やはり2019年の「反送中」だろう。特区政府が「逃亡犯条例」の改正を提案すると、民陣はすかさずデモの準備を積極的に進めた。逃亡犯条例自体は、なんとも気分のスカッとしないものではあったが、民陣はじめ民主派が一斉に危惧し、市民をミスリードしたような内容ではなかったのもまた事実。

上は2019年3月31日に、民陣が最初の「反送中」デモを挙行してから、7月21日までの動員数である。最初は1万2000人だったのが、最大のピークには200万人に膨れ上がる。特区政府の説明のまずさもあったが、それ以上に『蘋果日報』が煽り記事を連発し、民主派が一斉に呼応するもんだから、「逃亡犯条例が何なのかようわかってないけど、『蘋果日報』が怒ってたし、とりあえず、デモ行っておいたほうがええんちゃうんかな?」みたいな潮流が香港中にうねっていた時期である。

2019年6月16日、200万人が街頭に繰り出した「反送中」デモ

政府に問題があるなら、デモはどんどんやればいい。限られた議席数しか一般市民が議員を直接選出できない香港にあって、市民が政府に声を届ける機会である。それがあるから、これまでは政府もデモ開催はことごとくOKしてきたのである。だが、この2019年の「反送中」デモで、そんな関係は終わってしまう。問題はデモの後に必ず起きた暴力的な抗議行動である。

今年4月、警察が民陣は「社團條例」に違反している疑いがあると指摘。民陣はこれまで公司註冊處に会社登記をしておらず、警務處牌照科に合法社団としての登録もしていないことが分かったため、社團條例第15條に基づき社團事務主任に書面で6項目の資料の提供するよう要求した。必要な資料には設立以来の収入源、支出、銀行と口座番号などが含まれているが、民陣は回答せず。そのため警察は民陣は「非合法組織」と指摘している。何よりも、重視されるのは、過去2年間、民陣が「暴力を容認」してきた点である。上述の通り、平和的デモ終了後の路上での暴力を民主派の「不割席=分断せず」の方針から、どれほど悪逆非法な行為があっても、一切の批判をしなかったのは実に罪深い。

2019年当時、民陣では「和理非=平和的、合理的、非暴力的」の原則に基づいてデモを行うと言っていたが、実際は「暴力破壊行動」には、あくまで傍観者を貫いた。暴力破壊行動により、多くの市民や企業の財産が破壊され、火をつけられ、道路はズタズタにされ、交通妨害や列車の走行妨害が多発。異見人士への暴力行為はやがて殺人行為と転じる。この最悪の風潮の中で沈黙していたということは、デモ主催者として「暴力を容認した」と指摘されても、反論の余地はないだろう。

週末が来るたびに、香港のあちらこちらが破壊され、燃やされた悪夢のような日々…

民陣の解散で、各方面からはこの先のデモ開催を危惧する声が上がっているらしいが、どんな方面なのか興味深い。行政会議メンバーで全人代香港代表の葉國謙は「反中乱港を企図しない限りは、デモは継続して開催できる。デモの自由は香港基本法で保障されている」と言う。まあそりゃそうだろう。ただ、この反中乱港の線引きは難しい。やってはいいが、「あのデモは反中乱港のデモだ」などと警察から指摘されちゃ大変だ。だから恐らく、だれもデモやろうなんて思わないんじゃないか?その点については、特区政府ならびに警察は、明確なラインをきちんと市民に提示すべきである。

香港基本法第27条によれば、香港居民は「言論、報道、出版の自由、結社、集会およびデモの自由、労働組合の結成、加入、ストライキの権利および自由を有す」とのこと。ただし、集会だのデモだのの自由は決して絶対的なものではない。当たり前だが、社会的規範や法の順守を満たしてこその自由なわけで、2019年に見られたような暴力や破壊で、他人に危害を与えたり財産を損なうようなことはあってはならない。2019年の暴力破壊の数々が香港社会に何をもたらせたか、香港市民は十分学んだはずである。そう、結局「国安法」という、不自由をもたらせたのである。自由を求めていたはずなのに…。

何もかもが民陣のせいではない。その点は同情できないでもないが、上述の通り、本来の「和理非」の理念を置き去りにするかのように、暴力破壊行動を「容認」してしまったのが、運の尽きであった。

2019年6月16日、200万人が参加したと民陣が発表した「反送中」デモ。夜遅くまで人波は途絶えなかった。民陣の絶頂期だった by “香港経済日報”

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