浪花の名女優 浪花千栄子
前回観た『アチャコ青春手帖』がラジオドラマの映画化だったのに対し、こちらはテレビの人気番組の映画化である。昭和34年にスタートした毎日放送制作の30分の公開番組で、最高視聴率62.3%を記録した超人気番組。芦屋雁之助、小雁、大村崑らを一気に全国区の人気者に押し上げたのは、この番組での丁稚役がきっかけ。さっそく翌年に映画化。こちらもシリーズ化される人気ぶり。
薬問屋「七ふく堂」が舞台となっているのは、これは番組が「七ふく製薬」の一社買い切りだったからだが、テレビ放映では当初「毎宝堂」となっていた(毎日放送の毎と原作者・花登筐と契約していた東宝の宝)。しかし、番組絶頂期に花登と東宝の間で一悶着あって、制作が松竹に変更になるという事態が起きる。この騒動で、丁稚役の茶川一郎が降板、代わりに芦屋三兄弟の末弟、雁平が参入する。本作はまさにその騒動のさ中に製作されたもので、当然ながら製作も配給も松竹であり、丁稚役も崑ちゃんと小雁、雁平となっている。
番頭はんと丁稚どん
邦題『番頭はんと丁稚どん』
公開年 昭和35年(1960) 製作地 日本
製作 松竹京都 配給 松竹 言語:日本語
モノクロ
評価—
監督:酒井欣也
原作:花登筐
脚色:森田竜男
撮影:倉持友一
音楽:大森盛太郎
出演:大村崑、芦屋小雁、芦屋雁平、芦屋雁之助、菅佐原英一、浪花千栄子、浅茅しのぶ、森川信、九条映子、松山容子、田端義夫、若水ヤエ子、西岡慶子、三角八重、野沢英一、山口京子、弥生慶子、水原真智子、和田弘とマヒナスターズ、富本民平、山本かおる、小川虎之助、和歌浦糸子、小田草之助、堺駿二、桂小金治、南泰介、青山宏、高山裕子、花登筐、玉島愛造
「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。
【作品概要】
テレビの黎明期、船場の薬問屋を舞台に公開生放送で一世を風靡した花登筐原作舞台の映画化第1作。頭は弱いが心優しい丁稚(大村)と、そのお目付け役の番頭(雁之助)が繰り広げる涙と笑いの人情コメディ。ドタバタ劇と大阪らしい反骨精神も共感を呼んで大ヒット。人情味あふれるご隠居はんを演じた浪花千栄子の優雅できりっとした上方言葉は、まさに「大阪のお母さん」!<引用:シネ・ヌーヴォ特設サイト>
オープニングのクレジット、出演者の中に「笑いの王国」とあったが、これは松竹の支援で花登筐が結成した集団で、上述のもめごとの一要因でもある。主要な番組出演陣は賛同し、花登と行動を共にしたのである。主なメンバーは、芦屋兄弟に大村崑、三角八重、ゲストで佐々十郎やかしまし娘も参加することも。結成と同時に始まった大塚製薬一社買い切りスポンサーの公開番組が『お笑い珍勇伝頓馬天狗』(のちに『崑ちゃんのとんま天狗』)。あの「姓は尾呂内(オロナイン)、名は南公(軟膏)」の崑ちゃんのパブリシティ効果満点の名セリフでおなじみ。
とまあ、余談はここらで置いてきまして…。(どうも上方の舞台のこととなるとジャンルを問わず熱く語ってしまうww)
とある田舎の村から大阪は道修町の薬問屋へ丁稚奉公に出る少年・崑太を小番頭・雁七(雁之助)と丁稚の小松(小雁)が迎えに来る場面から始まる。ちょこまかと動きながらも、精一杯「崑太はいい奴」をアピールする村長役で堺駿二。この人も、今回の特集ではほんとうによく見かける。三人を乗せた汽車が大阪に着く。かつての大阪駅の駅舎が懐かしい。今や地方都市の駅舎の方がもっとちゃんとしている(笑)。小生が生まれる数年前の撮影なので、大阪駅以外にも大阪市内の街の光景が、なんとなく記憶にあるものもあって、なんかうれしい。
道修町のお店に着き、もう一人の新米さん、手代で店に入る大卒の清七(菅佐原英一)とともに、ご隠居はん(浪花千栄子)以下、「七ふく堂」の主要な方たちに面通し。すでに二人には店のお仕着せも用意されているのだが、着物のまともな着方を知らないのか崑太改め崑松はドタバタと。ここで登場した清七役の菅佐原英一という人、今回初めて見る人だが、なかなかイケメン。本作でも、店の次女かな子(九条映子)の行動監視役としても、チンピラ相手に大立ち回りなど大活躍する。ちなみに九条映子はこの3年後に寺山修司と結婚している。この作品内での九条映子は非常に小生好みの女性であった(笑)。
向かいの店の丁稚さんらはお仕着せでなく、ネクタイにジャンパーという「現代的」ないでたち。いつも美しいコーラスで楽しそうに仕事をしている。当時人気絶頂の和田弘とマヒナスターズの面々である。テレビ版主題歌「番頭はんと丁稚どん」や本作劇中歌「丁稚ブルース」を歌う。「七ふく堂」の女中は八重(若水ヤエ子)とお花(西岡慶子)の二人。良いコンビネーションで笑いを取る。西岡慶子は喜劇俳優の曾我廼家五郎八せんせの娘さんである。
こんな騒動の際に、七ふく堂には長女の美代子(松山容子)、その夫(田端義夫)もちょいと顔見せ。松山容子とくれば、ボンカレーだが、小生などは『琴姫七変化』の再放送や『旅がらすくれないお仙』、『めくらのお市』が懐かしいテレビドラマ。で、偶然にも浪花千栄子、大村崑、松山容子の「大塚三大ホーロー看板」キャラクターが揃う珍しい作品でもある。
ボンカレーのテレビCMでの笑福亭仁鶴の「3分間待つのだぞ」のセリフが流行語にもなってもなお、ボンカレー=松山容子となるのは、このホーロー看板の刷り込みが全国津々浦々にまで浸透していた証拠である。このホーロー看板を最初に大塚製薬に提案したのは、今は無き日本最古の広告代理店「萬年社」の某氏がまだ丁稚だった小生に「あれ企画したん、ワシや」と言っていたが、果たして事実かどうかは…(笑)。
映画は終盤にまさに「ワーワーと言うてますうちに」すべて解決、万々歳となって、崑松が店先で「わーい!わーい!」と飛び跳ねて突然終わってしまうというバタバタぶりに、思わず苦笑してしまうが、時代的にはまったくOKだろう。
基本的にはテレビ版を踏襲して、3人の丁稚をしごく小番頭という図式だが、どうしてもメーンは崑ちゃんになってしまう。雁之助、小雁は存在感を見せていたが、雁平はこの前まで社会人として働いていたところを茶川一郎の代打として、無理やり引っ張てこられたたのは気の毒だった。小雁ちゃんがカバーしたりリードしたり上手くやっていたんじゃないだろうか。
浪花のおかあはんは、大店(おおだな)の古き良きご隠居はんの風情。貫禄といい、立ち居振る舞い、船場言葉、何もかも満点。さすがである。
このころの花登筐は、意外にもこういう感じの人情コメディを書いていたのか。その後の『細うで繁盛記』『あかんたれ』などとは相当作風が違う。まあ小生は、後年の方が好きなんですがね(笑)。
崑ちゃんと小雁ちゃんは、まだまだ元気である。ぜひ二人でこの時代を語り合う機会を、どこかの気の利いた媒体さんが企画していただきたいもんである。大阪のテレビ黎明期、大阪発の喜劇が全国ネットで高視聴率を上げた時代の寵児として…。
それと最後に。「道修町」は「どうしゅうちょう」とちゃいまっせ。「どしょうまち」でっせ。そういうサイトなり解説文がよく目についたんで、一言。
*参照文献:『笑劇の人生』芦屋小雁(新潮新書)
(令和3年5月14日 シネ・ヌーヴォ)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。