【31年目の六四】六四で「香港独立」を叫ぶ日…

早いもので、今年も天安門の季節となった。思い起こせば1年前、追悼集会には主催の民主団体である香港市民支援愛國民主運動聯合會(支連会)の発表で18万人(警察発表・3万7千人)が、ビクトリア公園での追悼集会に参加した。その8日後には、「逃亡犯条例」に反対するデモに100万人が繰り出した。まさに破壊と暴力が香港を覆う悪夢の日々が始まった時期でもあった。

一連の暴力破壊行為については、ちょうど昨年の今頃から拙ブログで度々取り上げたきた。汎民主派、今の若者が言う「伝統的民主派」には返還前からまったく賛同できなかったが、「本土派」の主張には同意する点も多く、当初は「逃亡犯条例」反対のデモも好意的に見ていたのだが、ある一派がデモの始まる前から着々と警察を挑発するための準備を始めているのを見た瞬間から、「こりゃダメだ」と思うことになる。その一派はやがて、暴力で反対意見を封じ、破壊や放火で香港をボロボロにしてしまう。

昨年6月12日の立法会包囲では、警察への投石を想定して歩道のレンガ剥ぎが着々と進められた by “立場新聞”

これについても拙ブログで取り上げてきたので、小生の見方の変化もわかってもらえるとは思う。また、TwitterなどSNSでも暴力行為や破壊行為に対し異を唱えてきたが、どうもそれは暴力や破壊こそが「香港民主化運動」と信じる日本人一派にも嫌われたようで、「五毛」だの「中共の工作員」だのとリスト化される始末。いやはや、「恋は盲目」とはよく言ったもんだと思うことしきりである。

さあ、そんな中での六四である。

今年は新型コロナウイルス感染拡大防止策として、9人以上の集まりは禁止されており、一応、追悼集会も行われないことになっていたが、結局、数千人の市民が集まってしまった。警察は警告はしたが特に規制はしなかった。

支連会は、9人以上の集まり禁止に抵触しないよう、午後8時からのネット上での集会に変更し、市民には自主的な追悼を呼びかけていた。ところが、言った本人たち、支連会の李卓人主席や何俊仁(アルバート・ホー)副主席らが、午後6時半ごろに入場を禁止されていたビクトリア公園のサッカーコートに進入し、非公式ながらも追悼式を開始してしまう。あとは、雪崩式に市民が詰めかけるということに。

いい大人がこんなことはしちゃ、いけません!
おなじみのみなさん。「時代革命」が必要なのはこの世代の民主派人士である

民主派は自前のメディアなどで「ソーシャルディスタンスをキープした」と言うが、そういう話ではないと思うけどな…。

1995年ごろは、集まってもこんな感じだったが、ここ数年は主催者発表で10数万が集う。あの空間に10万人どころか5万人入るのかどうかも疑わしいが…

一見、「ソーシャルディスタンスをキープ」しているように見えるが、こんなの写真の撮り方次第ってのもある。

こんな感じで相当な「密」になっていた模様。それはさておき、これ、「六四」すなわち天安門事件の犠牲者追悼の場である。例年なら「平反六四」「建設民主中國」「結束一黨独裁」などのボードが上がるのだが、今年はすっかり様変わりした。昨年来の破壊行動でおなじみの「光復香港、時代革命」のフラッグや、法輪功仕様の「天滅中共」のプラカードが目立つ。挙句は「香港独立唯一出路(=香港独立が唯一の活路)」という声まで上がる。公式集会ではないため支連会も従来のボードを用意していなかったってもあるにせよ、こりゃもう「六四」はどこへやら、昨年来のデモの一環というとらえ方をしている参加者がいかに多かったかということだ。

小生、在住中は毎年欠かさず前週のデモと6月4日の追悼集会を現場で見てきたが、前週のデモはさておき、追悼集会は厳粛な雰囲気もあった。支連会のやることなすことすべてが気に入らない小生でも、この集会を毎年継続している姿勢にだけは敬意を表していたのだが、今年はダメだ。禁を破って集会にしてしまい、「追悼」の場を「香港独立」を叫ぶ場にしてしまったことは、香港の「六四活動」の歴史に汚点を残す。社会背景がどうあろうとも、そこを外さないために支連会があるのだと思っていたが、大きく裏切られた気分だ。

こりゃ普段のデモと変わりありませんな by “香港01”

司徒華亡き後、混迷しすぎではないか、支連会は。そう遠くない日、支連会も一つの「反政府活動組織」になってしまうだろう。それはまた香港における「六四活動」の終焉でもあるだろう。「香港が香港でなくなる」とは、全人代での「香港版国家安全法」の制定をめぐる民主派の常套句だが、「六四」を追悼の場から「反政府活動」の場にしてしまうような支連会の迷走、変容こそが香港の危機ではないかと思った、異常な今年のビクトリア公園の光景だった。

上は昨年の六四でネットに出回った風刺画である。「昨日、今日、明日」と題するこの絵、秀逸だ。黄色い人士は「黄絲」すなわち民主派で、男女は大陸からの旅行客。6月3日までは「イナゴは大陸へ帰れ!」「俺たちは中国人じゃない!」と叫び、6月4日は一転して「同胞よ!血は水より濃い!」「あなたたちを支持しています!」とやたらと仲間意識を持ち、また6月5日には元に戻るというもの。ここ数年の「六四」をよく表している。今年は、コロナ感染拡大阻止として、この時期、大陸旅団はいないから、「黄絲」は完全に「六四」を乗っ取ったような感じになってしまった。

支連会の李卓人は「香港版国家安全法が立法された後、六四追悼集会を開催できるか分からない」と前置きしつつ、継続の意思を表したが、追悼集会の継続を脅かすのは「国安法」ではなく足元の「民主活動」ではないのか…。

ああ、今年もまたしっちゃかめっちゃかな六四噺になってもうた(笑)。



 


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