【上方芸能な日々 文楽】ようやく千秋楽、仮名手本忠臣蔵

人形浄瑠璃文楽
国立文楽劇場開場35周年記念 令和元年11月公演
通し狂言「仮名手本忠臣蔵」

とがなくてしす名誉の仮名手 柳四十三

いろは四十七文字」を7文字ずつ区切り(最後は5文字)、それぞれ末尾に来る文字を並べると「とかなくてしす」となる。我が世なので、と読ませる。

いろはにほへ
ちりぬるをわ
よたれそつね
らむうゐのお
やまけふこへ
あさきゆめみ
ゑひもせ

要するに「咎無くて死す」。四十七士は「罪無くして死なねばならなかった」が、それは主君の仇討ちの結果の「名誉の死」ということ。「仮名手本」は武家にまつわるエピソードを実名で上演することは、この時代はご法度だったので「仮の名前、仮の時代設定」で上演した『義の下、大石内助の物語』という意味。「いろは歌」に隠された深意味や、四十七文字から四十七士という発想…。昔の人は、言葉をうまいこと使いますな、うまいこと遊びますな。

小生なんぞは「いろはにほへと」と聞くと、夢路いとし・喜味こいしの「もしもし鈴木さん」という爆笑ネタを思い出すんですがね(笑)。

それにしても…。いや~、長かったねぇ、今年の『忠臣蔵』は(笑)。

なんせ「大序」が4月で「焼香」が11月ですぜ。馬にまたがった桃井若狭助がいきなり登場して、今回だけ観た人には「こいつ、誰やねん?」ってところだ。やはり「通し狂言」と謳うからには、朝から晩までかけてやってこそってもんだ。こんな看板に大いに偽りアリの『仮名手本忠臣蔵』も、ようやくフィニッシュと相成った。文楽劇場友の会では「3公演観た人には記念の手ぬぐい差し上げますよー」って言うんで、ちゃっかりいただきましたがね(笑)。でももう、こういう「切り売り」は金輪際にしていただきたい。魅力半減どころか、台無しだ。

と、うだうだと文句を垂れながらも、今公演中も2回観に行ったんやけどね(笑)。

11月3日のお座席からの眺め

今公演も大入り満員。珍しく(笑)、昼・夜ともに好調。そりゃそうや。昼に『心中天網島』、夜は『忠臣蔵』と、ほっといても客が来る演目並べりゃ、大入り袋はやる前から保証されたようなもん。これを喜んでたらあきまへんな。

ってわけで、チケット争奪戦も熾烈を極め、土・日しか行けない勤労者には厳しいお席状況。本来は、床直下でじっくり聴きたいところだが、このお席しか取れなかった。この距離では人形もしっかり観られないし、運悪く、座高が高くて頭の大きい人が前席で、小生の視界をことごとく遮るもんだから、集中力も低下してしまう。楽しくないね、こういう状況は…。

ま、そこは気を取り直して…。

八段目

道行旅路の嫁入り

小浪 津駒
戸無瀬 織 ツレ 南都 亘 碩
宗助 清志郎 寛太郎 錦吾 燕二郎

和生師匠が遣う戸無瀬に全員が「引率」されたような道行。その後の展開を予期したかのような戸無瀬の気迫と言うか覚悟と言うか、そんなのがバシバシ伝わって来た。なるほど、この道行あっての九段目かと、今頃気付くぼんやり見物人であった(笑)。

床も、太夫、三味線共々に巧者が揃い、和生はんの「引率」にはぐれることなく聴かせた。しかし、碩がすでにこの中にいても全然レベルを落とすことなく付いて来てるってのが頼もしいわな。

さて、「えらいねっちょりした小浪やなww」と思った津駒はんも、津駒太夫としては、最後の大阪での本公演。正月公演では六代目「錣太夫」を襲名する。錣(しころ)ってええ名前やなぁと思う一方で、では津太夫の名跡はどうなる?などとも思う。「襲名披露」はあっても「口上幕」はないのかな?そんな感じですな、このチラシからうかがえるところでは。

九段目

雪転し(ゆきこかし)の段

芳穂 勝平

次の「山科閑居」への前フリみたいな位置づけなのが勿体ない段。どうしてもそうなってしまうけど。雪玉をネタにして、仇討ち問答を息子の力弥と交わすことで、いよいよその時が迫って来たと思わせる筋書きだから、決して、ダラーっと聴いておればいいよ、って場面じゃない。そこはこのコンビ、抜かりなく聴かせていた。

しかし、三百年ほど前の京都山科は、あんな大きな雪玉を作れるほど、雪が降っていたのか? と、地球温暖化を文楽から感じ取る今日この頃である。

山科閑居の段

 千歳 富助
 藤 藤蔵
(尺八)井上整鵬

この段、好き。とにかく、はるばる京まで乗り込んできた、戸無瀬・小浪の母娘と、由良助が妻・お石の向き合う緊迫感が、なんとも言えない心地よさ。これが浄瑠璃を聴く醍醐味、人形芝居を観る醍醐味と言えるんじゃないか、などと小生は思うんだけど、まあ、地味と言うかツウ好みと言うか、「忠臣蔵=討ち入り」と連想してしまう世間一般の感覚では、「もうええから、早いこと次行って」ってところだろうな。

やはり和生はんの戸無瀬が素晴らしい。「道行」で記したように「気迫と覚悟」がバンバン伝わってきて、圧倒的存在感。さらにお石の勘彌はんも、その「気迫と覚悟」を突き放す、「覇気」のみなぎる姿を見事に見せてくれた。この二人のせめぎ合いが、この段をすごく見ごたえのあるものにしている。「勘彌はん、お石いけるかな?」とちょっと不安視していた小生だが、「えらい、すんまへん!」と深謝するしかない。

そこを聴かせる千歳はんも、非常に完成度の高い語りだったのだが、どうもこの方は、「ドラマチックに聴かせよう」する嫌いがあるように感じる。太夫には不要ではないかと思う、大きな所作や「見て、見て!」的な表情づくりも気になるところ。時に、そこが嫌味にすら感じてしまうのがなんとも…。太夫が「見せ」てはアカンとまでは言わないが、見せるのはあくまで手摺の役目。今回はそっちにお客の目が釘付けだったからいいけど、万一、人形がグダグダだったら…。ま、余計なことは考えんとこ(笑)。

藤太夫はんは、加古川本蔵をどう聴かせるか、がテーマだったのではと思う。前半は先に語った千歳はんが、バシバシだったのでちょと物足らなさがあったけど、後半から終盤にかけた由良助と本蔵の「本音吐き出し合い」とでも言うべき展開では、両者の思いが伝わってきたのはよかった。ここはやっぱり、人形ではなく床の出番だと思うので。しかし、藤蔵の掛け声は小気味いいし持ち味でもあるんやろうけど、なんか太夫を殺してないか?

しかし「ご無用!」は日常で使えると思って数十年経つが、いまだに実際に使ったことがない(笑)。

11月23日、2回目見物の時のお座席からの眺め。結局2回ともここからなので、床をじっくり聴くこともできず、人形も表情がよく見えず…。そこはかなり消化不良だった。結局、広すぎるのよ、文楽見せるには

十段目

天河屋(あまかわや)の段

錦糸師匠の復曲で、大正6年(1917)10月の御霊文楽座での上演以来、実に102年ぶりの原作通りの上演とのことで、それは素晴らしいことだし、こういうのはどんどん推進してほしい。が、それを今回やることの意義というのが、伝わってこない。確かに番付には「あれやこれや」と、今日に至るまでのことが書かれているが、それだけ。もはやここまでくると、「不親切なパンフ」と言うよりも、「不親切な文楽劇場」ってもんだ。せめて、錦糸師の「復曲ウラ話」なんかを載せてしかるべきではと思ったのは、小生だけ?せっかく「短縮版」でない、ほぼ完全復活した段なのに、上演するだけで終わってしまったのは、残念だ。一言聴きたい、「メンド臭いのかえ?」と。

 小住 寛太郎
 靖 錦糸

今回の「完全版」では、短縮版には登場しない丁稚の伊吾が登場し、珍しい「人形廻し」を披露する。ただ、その人形が小さくて、この席からでは「ああ、なんか長刀らしきもんが見えるから、弁慶なんやな」ってところ。「泣き弁慶の信田妻、東西~東西~!」と阿呆の丁稚・伊吾が自作自演?の説教節?みたいなんを始めたから、やっと弁慶と確信できた次第(笑)。阿呆の丁稚は、色々な芝居に出てくるけど、いい潤滑油になっているので欠かせない。すごいキーマンだったりすることもあるからねぇ。この段では、「天河屋の義平は武士も及ばぬ男気な者」という詞章を、この阿呆が一層引き立てることになる。そりゃもう、ええ塩梅である。

長い段で、ほぼ1時間あったかな。有名なセリフ「天河屋の義平は男でござるぞ」まで、随分待たされたな(笑)。あの場面、今なら「漢」の字を当てるんだろうな。いかにも漫画チックだけど(笑)。

小住はもう安心だな。次の段階へ引き上げてやればいいんじゃないか?寛太郎とのコンビはキープしたままで。きっと寛太郎とやるのが、小住の語りにピタッとはまっているんだろう。何がどういう風にと聞かれて、小生程度では答えに窮するばかりだが、聴いていて、「ああ、うまいこといってるなぁ」とは感じるから。

靖はちょっとくたびれた感じがした。ただ、小生が一番推している若い太夫であるには違いなく、だからこれからは厳しくなるよ、小生の評も。って言っても、これを見てないだろうから(笑)。

「山と言えば川」という四十七士のおなじみの合言葉、「仮名手本」では「天、河」ということに落ち着く。「そうすれば、貴殿も討ち入りに同行したことになるだろう」と由良助のかなり無理からな理屈が、なんともなんとも(笑)。

十一段目

花水橋引揚より光明寺焼香の段

由良助 睦  平右衛門 津國 若狭助 咲寿 力弥・諸士
清丈

ってわけで(笑)、討ち入り場面は文楽でやらず、いきなり朝の花水橋に引き揚げてきた義士の面々と相成る。 そこに馬にまたがって現れ出るは、桃井若狭助。「よく本懐を遂げられた!感動した!」ってことだが、小生、毎回思うのだが、「お前、今頃のこのこ出てくるな!大体、お前のせいだよ!落とし前つけろ!」と言いたくなるのだ(笑)。

ね、こういうことよ…。3公演で分割してやったがために、この演目の持つ、本来の疾走感とか、最初と最後のつながりと言うか緊密性というか、そういう多くの魅力がまったく消されてしまうのよ…。まして焼香で「早野勘平がどーだこーだ」と言っても、観ているこっちからすれば、それは真夏に観た出来事で、今更感に満ち溢れているわけでねぇ。それなら、人形陣はもちろん、出番のない太夫、三味線も総動員で討ち入りやってくれ、そこで大団円にしてくれってもんだわな。

今度、いつ忠臣蔵やるのかはわからないが、次は朝っぱらから夜は9時半ごろまで、ぶっ通しでやってもらいたい。こっちも頑張って観るから、芸人も劇場も頑張ってやってほしい。

(令和元年文化の日、勤労感謝の日 日本橋国立文楽劇場)



 


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