<アイキャッチ:水炮車(Water Cannon)出撃!胡椒水も混入されているとかで、水を被った記者の中には、体が赤く腫れてしまう者も。しかし、これはデモ隊排除にもっとフル稼働させるべきやね(端傳媒)>
前稿で速報的に記した通り、9月15日の「不法デモ行進」は、当然のように勇武派と警察の激しい衝突に発展し、さらには意見の対立する市民同士のストリートファイトも多発するなど、大荒れとなった。結局、デモを許可しようがしまいが、起こる事態は同じことで、「もう勝手にやっときなはれ」と言うもんだが、それでは完全に香港社会が崩壊してしまうから、警察は起きた事態に対処する。すると今度は市民が「警察の暴力だ!」と反撃する。もうずっとこの繰り返し。どっちも引くに引けない状況が、ついに100日を超えてしまった。
しかし、何回も言うけど「一体、香港にはどれだけの催涙弾が備蓄されてんねんな?」と(笑)。よくまああれだけ毎週毎週、催涙弾ぶっ放すなぁ…。感心するわ(笑)。
では、引き続きまして8月の振り返りをあれやこれやと。
和理非 催涙弾なき平和的デモ
前稿の「光復紅土」からの警民対峙では、「布袋弾が1発撃たれたものの、珍しく催涙弾は使用されなかった」と記したが、翌8月18日は、催涙弾のみならず、ゴム弾も布袋弾も発射されず、警民対峙すら起きなかった。
この日は、民間人權陣線(民陣)が警察への抗議集会を開催した。参加者は主催者発表によれば、銅鑼灣(Causeway Bay)、天后(Tin Hau)、ビクトリア公園一帯に集まった人数170万人、警察推計ではビクトリア公園の集会に参加した人数はピーク時に12万8,000人。
上記は、『明報』が作成した民陣主催の「反送中」デモの参加者数。警察発表との乖離があまりにも大きいのは、いつものこと(笑)。「反送中」デモが▲日目とかのカウントは、一応、6月9日の100万人デモから始まっているが、実は3月31日が最初。在住中、デモと名の付くものをほとんど見てきた小生の感覚からすると、3月31日の1万2,000人でも「ひょえ~~~!」と驚くようなボリュームだが、100万とか200万なんてもう、想像がつかん(笑)。最大で55万というのは見たことあるが、「ええ加減、飽きた…」と感じたくらいだ(笑)。
ビクトリア公園で開催された「止黒暴、制警乱」集会は、警察の武力使用に反対するもので、参加者には「和理非=和平、理性、非暴力」が呼びかけれた。一方で、警察から反対通知を受けたデモ行進については、公眾集會及遊行上訴委員會(Appeal Board on Public Meetings and Processions)も警察の決定を維持し、ビクトリア公園での集会だけを認めた。民陣では「参加者数がビクトリア公園の収容能力をはるかに超える」との理由で「流水式=入れ替え式」で開催。ビクトリア公園がいっぱいになると、参加者を高士威道(Causeway Road)に沿って金鐘(Admiralty)、中環(Central)などのMTRの駅に向かうことにさせて、未許可のデモ行進を行おうという考え。ってことで「自分でどの駅で降りてビクトリア公園に向かい、どの駅から帰宅するか、考えておいてね」と呼びかけられた。要は「勝手に動いてね」ってことか(笑)。
こちらも『明報』作成の図案。Ⓐ維園とあるのがビクトリア公園。MTRの駅にして、右端Ⓑの炮台山(Fortress Hill)から始まり、天后、銅鑼灣、灣仔(Wan Chai)、金鐘、中環と実に6駅分の距離をデモ参加者が埋め尽くしたことになる。いやもう、香港人、頑張るのなんの。と、言いつつ、歩いてもそれほどの距離でもないねんけどな(笑)。大体、梅田から難波あたりまであるかないかって距離かな。
集会は午後2時半に開始。この時点でビクトリア公園は参加者であふれかえったため、午後3時過ぎには「流水式」を開始。ビクトリア公園に向かう人、出て来た人で銅鑼灣一帯は身動きが取れないほどになる。突発的な衝突を危惧して、多くの店舗は早々に店じまいしていたようだが、現地LIVEを見ていて「今日は何も起きないな」と思ったほど、香港人のいいところ発揮しまくりの秩序正しい「不法デモ」だった。これこそ「和理非」というものだ。
その「不法デモ」行進の先頭には、『蘋果日報』創設者の黎智英(ジミー・ライ)、民主党の元党首・李柱銘(マーチン・リー)、同じく何俊仁(アルバート・ホー)、 激進民主派政党・社會民主連線の前立法会議員・梁國雄(長毛)という名うての民主派人士がいたそうだが、もうこういう連中の時代ではなくなったな。雨傘以降、それを強く思う。
現に、9月17日の米国での「米国の中国問題に関する連邦議会・行政府委員会(CECC)」の公聴会に出席したのは、本土自決派政党・香港眾志(Demosistō)の秘書長である黄之鋒(ジョシュア・ウォン)と、歌手の何韻詩(デニス・ホー)ら5人という面々であり、ここに若い世代が言う「伝統的民主派」は含まれていない。ま、アメリカさんもようわかってはる、ちゅうことですな(笑)。
ただ、李柱銘も黄之鋒も「唱衰香港之旅=海外へ香港を嘆きに回る」という点では変わらないけど(笑)。
日本の報道を見ていると、相変わらず黄之鋒を「民主化デモのリーダー」として伝えているが、何度も記してきた通り、今回の騒動に関しては、彼はまったくの「その他大勢」でしかない。一方で、各メディアはこぞって「リーダー無き戦い」と言う。「どっちですか?」と聞きたい。
さて、この日の勇武派はまことに大人しかった。自ら「和理非到我哋陪你和平行一日=和理非と共にデモをする一日」と言って、過激な行動を起こさず、一般のデモ隊と共に「和理非」の精神で、ということらしい。もう、ずっとそうしててください(笑)。
とは言え、デモとなればどうしても「西」を目指してしまうのが、香港人の性(さが)。デモ隊が西へ向かえば何かが起きる…。西には、特区政府總部、警察總部、立法会ビル、 中央人民政府駐香港 特別行政區聯絡辦公室(中聯弁)など、勇武派がこれまで標的としてきた場所がいくつもある。警察は中聯弁への勇武派の襲撃に備え、水炮車(Water Cannon)2台を待機させるなど、早くから物々しい警備体制を敷いていたが、この日ばかりは取り越し苦労になったようだ。
もちろん、西へ向かったからには、毎度激しい衝突が起きる金鐘(Admiralty)の夏愨道(Harcourt Road)あたりには、多くのデモ参加者が滞留し、中には政府總部へレーザーポインターの光線を当てる者やヘルメット、ゴーグル、防毒マスクを装着し「臨戦態勢」を整える者も。しかし、この日はせいぜいそれまで。それにしても、勇武派もどういう風の吹きまわしかな…。やっぱり、このころ、しきりにメディアに取り上げられていたが、武装警察や人民解放軍の深圳での暴徒排除の稽古映像が、ちょっとは効いたのかな?
民陣は午後9時半に集会終結を宣言したが、なお、ビクトリア公園への人波は途絶えず。まあ、「無限ループ」よろしく、何度もビクトリア公園に入っては出て行き、また来てまた出て行きを繰り返した人も少なくなかったとかで、そりゃ人波は途絶えないし、170万人という数字もなんとも疑わしいものではあるが…(笑)。それにしても、民陣は警察並みに「人さばき」が上手い。今回も、実に上手いこと人の流れを作って、混乱の起きないように段取りしていた。
金鐘に滞留していた連中も、お互いに「翻屋企喇!(家に帰ろう!)」、「一齊走!(一緒に帰ろう!)」と声を掛け合い、徐々に人数が減って行った。午前零時ごろには、滞留者はほぼ撤収した。
この土曜、日曜は、7月以降初めて「催涙弾が飛ばない週末」となった。警察は「デモ隊が過激な手法を取らない限り、警察が武力を使用することはないことが証明された。市民の意見表明の自由は絶対尊重する」とコメントしたが、市民からすれば「警察が過激な取り締まりをしない限り、暴力的行為や破壊行為に走ることはないことが証明された」となる。この平行線はまだまだ続くだろう。とりあえず、この週末は双方ともに小休止というところか…。
香港版人間の鎖 「香港之路」
「反修正」デモは、新しい大規模な行動で市民の思いを発信した。
8月23日夜、多くの人々がネット民の呼びかけに応えて、MTRの港島線、觀塘線、荃灣線の駅を中心にして約45Kmに及ぶ「人間の鎖」を作った。これは30年前の1989年8月23日の「バルトの道」に因んだもの。 市民は午後7時ごろから各駅に集まり始め、8時ごろに鎖を形成した。呼びかけ人の発表では13万5,000人が鎖を連ねた。
香港人の心のよりどころ獅子山(Lion Lock)にも多くの市民が集まり、懐中電灯やスマホでライトアップし、暗闇の中で獅子山の稜線を照らし出した。この画像や映像をSNS上で多数見かけたが、小生もめっちゃ感動してウルウルしてしまった。
「香港之路」呼びかけ人の1人であるトム(仮名)は、「香港之路」の開催理由としてウェブメディア『端傳媒』のインタビューで「勇武派と和理非が団結し、共に「五大訴求」の実現に取り組まねばならいからだ」と語る 。さらに、彼は「バルトの道」に触発された「香港之路」が外国メディアを惹きつけることで、さらに「反送中」運動を促進すると信じていると続ける。
トムはさらに、「香港之路」は「道路を横断せず、通路を塞がず、手をつないで歩道に並ぶもの」だと強調した。要は勇武派のように道路を不法占拠して交通を妨げたり、空港デモで問題になったような人の往来を阻止したりしないで、歩道に整列して行いますよ、ということだ。こういうデモなら、毎日やってもいい(笑)。
勇武派の狼藉の数々が、「不満を抱く香港の若者たち」というごくごく一面だけをクローズアップして世界に発信されてしまっているが、そうじゃない。香港市民の多くが団結しているんだということを、知ってほしい。そんなこの数日の「和理非」だった。だが、そうはいかないんだな、これが困ったことに…。
この稿をアップする9月21日も、昼間は新界の屯門(Tuen Mun)で警察と勇武派が激しく衝突し、夜には元朗(Yuen Long)で、白シャツ集団による市民襲撃から2か月の抗議デモが。まったく終わりが見えない状況だ。どうやらこのままの状態で10月1日の国慶節を迎えてしまいそうだが、中央は放置しておくのだろうか…。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。