103万人が「逃亡犯条例改正」反対デモ
「六四30周年」で触れた「逃亡犯条例」の改正に反対するデモが6月9日、香港島中心街で挙行され、主催者発表で103万人が参加した(警察発表はピーク時で24万人ww)。
主催者発表を鵜呑みにするなら、香港在住者の7人に1人が参加したことになるわけで、これはすさまじい「NO!」の嵐である。
上記の表は、香港紙『明報』に載っていた近年の大規模デモの参加者数である。これまで最も多かったのは、1989年の天安門事件における武力制圧に抗議するデモで、参加者数は100万人(主催者発表。警察は発表なし)で、これを破る規模のデモはないだろうと言われてきたが、その記録を更新する規模になった。
デモを主催したのは、「民主化デモならおまかせ!」の民間人權陣線(通称・民陣)。デモ隊はビクトリア公園から立法会議事堂までの約3キロを行進し、「逃亡犯条例の改正撤回」や「林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官の辞任」などを要求した。
出発地のビクトリア公園には、出発予定の午後3時前までに市民が殺到したため、予定時刻より40分繰り上げて、デモはスタート。ルートとなった幹線道のほとんどで全車線をデモ隊に開放。最後尾がビクトリア公園を出発したのは午後7時過ぎとなった。デモは、午後10時になってようやく主催者の民陣から終了宣言が出された。
この香港の動きに連動し、ロンドン、パリ、ニューヨーク、シドニー、東京など世界29都市でも在外香港人はもちろん、在外大陸人も共にスクラムを組んで、「反送中」のデモや集会が行われた。カナダのトロント、米国ニューヨークのデモ行進には、なんと2,000人が参加し、「逃亡犯条例の改正は、香港にとって政治的脅威だ」と訴えた。
さて、デモは午後10時に終わったわけだが、立法会議場前には、多くの市民が残って集会を開いた。予想していたが、一部参加者が暴徒と化した。
残っていた市民の一部は、10日午前0時ごろから立法会議場入り口前の鉄柵をなぎ倒して突入を試み、警官隊と激しく衝突。警察は催涙スプレーなどで対処した。その後、衝突範囲は拡大したが、午前3~4時ごろにデモ隊は包囲され、ビデオ録画と身体検査を実施。危険物所持や指名手配者でない者は、即時解放され、騒ぎは午前6時ごろにようやく収束した。盧偉聡・警務処処長は記者会見を行い、警官3人と記者1人が負傷したと発表。
暴徒化した連中は、雨傘行動や旧正月の旺角暴動で暴れた連中を想起させるように、身分が分からないようマスクをしていたが、同処長は「徹底的に追究する」と述べおり、10日午後までに19歳から34歳の19人が逮捕されている。
こいつらの、手口はいつもこうだ。警察に手出しさせるようなことを仕掛けて、さも「警察は市民に暴力を振るった!」という印象を市民に与える。一応、香港独立を掲げる「港獨派」の一派だと思われるが、非常にたちが悪い。「逃亡犯条例」の審議が再開される12日には、恐らく大勢の市民が立法会議場を取り巻くと予想される。その際、市民側にも警察側にも暴力的行為が発生しないよう、警察はしっかりと警備してもらいたいもんだ。加油、香港警察!
こうした一連の動きにも、当の林鄭月娥(キャリー・ラム)行政長官は、一向に動じない。予定通り、審議を行い改正を目指すと言う。合わせて「決して北京の指示があってのことではない」とも言う。NHKの翌日のニュースでも流れていた。まあ、言うくらい簡単だわな。北京の指示無くして、どうしてここまで強硬に出れる?
仮に今回はお流れになっても、そう遠くない将来、必ず改正されるであろうこの条例。「中国化、中国化」と西側はうるさいが、中国が香港を回収した以上、こういう日が来るのは避けられない。確かに「50年不変」の大前提のもと、「一国両制」「高度自治」「港人自港」などなど、約束されているが、その「線引き」を決めるのはあくまで北京である。それが「返還」というものだと思う。非常に残念で悔しいが、現実はそうだ。折り合いをつける気にもならないが…。香港市民も、そこはわかっていると思うが、それでも「この香港を守りたい!」という強い思いから、こうやってデモやら「三罷」やらで「NO!」の声を上げている。なんて愛おしい人たちなんだろう。仕事をすると結構ウザいところあるけどね(笑)。
その12日、香港では「三罷」の機運が高まっている。「罷工」「罷課」「罷市」で「三罷」。要するに、ストライキ、授業ボイコット、商店休業。大規模ストライキである。実に、天安門事件以来のことである。再び、香港市民は大反撃を試みるのである。さあ、どうする、林鄭行政長官!
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
1件のコメント