行きたいな~、と常々思ってはいたが、平日開催が多く、ほとんど機会がなかった文楽の「公演記録鑑賞会」に、408回目にして初めて行くことができた。
そのメンバーのなんとも懐かしいこと。画面は今のハイビジョンサイズではなく、当時のアナログサイズだし、NHKの収録ではなく、あくまで劇場の「公演記録」なので味もそっけもないものだが、当時のことを思い出させてくれるに十分すぎる内容だった。
お夏 清十郎 寿連理の松(ことぶきれんりのまつ)
湊町の段
太夫:越路 三味線:清治
主な人形配役:お梅/蓑助 太左衛門/文吾 清十郎/玉松 小半の親方/玉也 佐治兵衛/玉男(初代) お夏/紋壽 徳次郎/和生 小半/清之助(現 五代清十郎) おかね/玉五郎 徳右衛門/文雀
これはもう「越路太夫を聴く会」の様相ですらあった。そして出演陣は、涙がちょちょぎ出るメンバーであった。いやあ、ホンマ「現場へ行けばこそ」の体験って、このことやなとつくづく思った。
昭和61年の文楽劇場新春公演の映像である。小生、大学3回生の冬のことだ。多分、観てるはずだが記憶は年々薄れてゆく…。思い出せるはずもないが、なんという贅沢な時代を小生は過ごしていたのだろうと思う。清治師匠も、蓑助師匠もめっちゃ若い。玉五郎師匠も動いてはるし(スミマセン!)、玉松はんはやっぱりカッチョええー。そこを越路師匠の浄瑠璃が全員を「引率」しているかのような舞台。これを贅沢と言わずして、何と言おう…。
床も人形も、当時、小生がお気に入りだった人たちばかりだから、余計にそう思う。ここに列記したメンバーで、御存命が清治師匠と蓑助師匠のみというのが、ねぇ…。
絶品としか言いようのない越路師匠の浄瑠璃と、スター揃いの人形陣が繰り広げる珠玉のお夏・清十郎であった。
弥次郎兵衛 喜多八 東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)
赤坂並木より古寺まで
太夫:弥次郎兵衛/呂太夫(五代) 喜多八/相生 和尚/千歳 親父/文字久 仙松/呂勢
三味線:團七 燕二郎(現 六代燕三) 團治(現 宗助) 清二郎(現 二代藤蔵)
主な人形配役:喜多八/一暢 弥次郎兵衛/蓑助 仙松/玉英 親父/作十郎 和尚/文吾
これまた豪華メンバー。特に「ろーさん」こと先代呂太夫の可笑しみに中に威風堂々たるものが伝わる。声もええし、なんちゅうても、ファンション誌のモデルやるほどの様子の良さ。ホンマ好きな太夫さんだった。こういう太夫が最近、まったくいない。みんな無難にはこなすけど…。今の呂太夫はまったく芸風が異なる。先代のろーさんのようになれる可能性があるのは、靖太夫かな? ぜひそうなってほしい。
美声ではなかったけど、相生はんも味わい深い。で、どんなエエ声のベテランさんが和尚を語ってるねん? と思ったら、千歳だった。文字久、呂勢とともに、現在の主力勢の若き日の舞台である。
人形では、一輔の師匠にして父君の一暢はん、文吾師匠、玉英と、早逝が惜しまれる人達の元気な顔が、記録片ながら嬉しい。
この演目のお楽しみのひとつ「入れ事」は、「ソウルオリンピック行くために貯めたカネ」だった(笑)。それで思い出す、小生丁稚奉公1年目の夏休み公演だということを…。
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数日前から、前代未聞の豪雨に見舞われていた近畿地方そして中国、四国地方。大阪も珍しく被害が続出した。わずか数週間前には、大阪で震度6弱の地震もあった。人の心がざわついていた。そんな中、この鑑賞会に来る人は「よほど複雑な事情があって家におれない人たち」だろう…。なんて思っていたが、びっしり満員には驚いた。「複雑な事情」を抱える人がこんなにいようとは…(笑)。
それにしても、いい会だった。越路師匠はじめ、懐かしい人たちの舞台を観られて、とても幸福な気分になれた。タイミングが合えば、また来たい。なんちゅうてもアナタ、タダで観られる言うのがよろしいがな(笑)。
(平成30年7月7日 日本橋国立文楽劇場小ホール)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。