【上方芸能な日々 文楽】平成30年4月公演<第一部>

人形浄瑠璃文楽
平成三十年四月公演 五代目吉田玉助襲名披露

玉助襲名で、華やかに初日を迎えた文楽4月公演。客席には嶋さんの姿も。

襲名披露狂言には『本朝廿四孝』、第二部には初めて「通し」で観る『彦山権現誓助剣』。狂言建てがけっこう攻めの姿勢やね、挑戦的やね。いつもこんな感じで、ガツンガツン来てくれると、受けて立つ客の方としても、見物しがいがあるというもの。「見取り」がすべて悪いというわけではないが、それではどうしても芝居の「奥行き」が薄れてしまう。せめて「半通し」でやってもらわないと、せっかくの名作も、「なんや、このようわからんハナシは…」と、初めて観る客に思われてしまったら、作者・作品にとっても、芸人にとっても、客にとっても、これほど不幸な話はない。

それにしても、楽しいポスターや。こうなった理由は、前回に記したが、明るいイメージでいい。玉助ら以降の世代が、こんな感じで伝統を踏まえながらも、文楽のブランドイメージの再構築にも果敢にチャレンジしてほしいものだ。

本朝廿四孝(ほんちょうにじゅうしこう)

2017_錦秋文楽公演-B2ポスター(CS6)普段は『廿四孝』と言えば、もっぱら「十種香」「奥庭狐火」が上演されるが、今回は玉助襲名披露狂言にあたって、本人の希望や蓑助師匠からの提案もあって、山本勘助登場譚となる三段目が上演される。

文楽劇場では、国立文楽劇場文楽公演第100回記念となった平成17年秋公演以来のことである。このときは実に「大序」から「奥庭狐火」までの通し上演だった。その後も度々『廿四孝』は上演されているが、これほどのボリュームでの上演はない。前述したが、いかにその後の文楽劇場が、人気演目とは言え、「十種香」「奥庭狐火」の見取り一辺倒だったかがよくわかる好例だろう。こういう姿勢は、まったくもってよろしくない!

■初演:明和3年(1766)1月、大坂竹本座
■作者:近松半二、三好松洛、竹本三郎兵衛

「桔梗原の段」
シナの古典『二十四孝』の趣向を散りばめた「本朝=我が国」のお話ってことで『本朝廿四孝』。この段では、郭巨の物語を踏まえている。昔の人は「ああ、あれやな」とわかったんやろね。だからヒット作だったわけで。
*口:芳穂、團吾
今公演、あくまで初日に限っての感想だが、一部、二部とも全体に床、とりわけ太夫の感じがよかった。毎度毎度、太夫陣には文句ばっかり言っているが、今回はそれほど「アラ」がなく、襲名を寿ぐ舞台らしいものだったと思う。芳穂もまことによろしく、物語の発端がすんなり呑み込めた。この物わかりの悪い小生にそう感じさせたのだから、すごいじゃないか!
*奥:文字久、團七
ガミガミうるさい偉大なる師匠(笑&すんません!)の引退以来、結構自分の色を出してきてるなと思っていた文字久はんだが、やっぱこの人は、語りのどこかに優等生然としたものがあって、抜け切れていない印象。もっと大きくやれると思うんやけどなぁ…。結局、團七師匠のお三味線に酔いしれるための幕になってしまっているのが、惜しい。

それにしても「弾正」と付く名前の武士が、時代物には必ずと言っていいほど登場する。この段ですでに二人登場。ちなみに、信玄方の高坂弾正を玉輝、謙信方の越名弾正を文司が遣う。どちらも大きい遣い方をするので、舞台が鮮やかに見える。だからこそ、な、文字久はん!たのんます!

「口上」
詳しくは前回アップ分にて。玉助は小生とほとんど同世代(彼は3歳下になるが)。共に朝日座時代から文楽を知る。それだけに、将来を嘱望される演者と理解力乏しい見物人と立場は違えども、「共に修業を重ねてきた」同志のように感じる。もちろん、当方の一方的な思い込みではあるけど。これから彼はますますスケールの大きな人形遣いになってゆく。小生も負けないように鑑賞力、理解力を磨いてゆきたいと、思わせてくれる口上幕であった。

「景勝下駄の段」
この段は兵法書『三略』を著したとして有名な黄石公の故事を踏まえている。次の「勘助住家」で「六韜三略」をめぐる物語が展開するから、「あああ、あれのこと?、え?違うかな?、どうなのよ?」などとは思いつつ…(笑)。
*織、寛治
正月公演で襲名した織太夫。「咲甫くん」と呼んでいたが、「織くん」と呼びにくいことこの上ない(笑)。織、でいいか(笑)。で、その織の名は、やっぱり重くのしかかるわけで、これがまだ咲甫であれば「ご立派!」なのだが、織ともなると「まだまだ、もっともっと!」とケツを叩きたくなったのは、小生だけではないだろう。となると、さっきの文字久はん同様に、「寛治師匠のお三味線を味わう幕」になってしまうのだから、ワンランク上の名前って、恐ろしいもんでんなぁ~と感じ入りながら聴いた次第。ま、寛治師匠と組むとこうなってしまうのは仕方ないのだけどな。「太夫が全体によかった」って言ったクセに、相当文句言ってる小生もナニなもんだが(笑)。
とは言え、山本勘助と直江兼続(劇中では直江山城之守)の登場への期待が高まる場面を、しっかりと聴かせてくれたことで、物語の展開が非常にくっきりした。「それでええやん!」と言うアナタ、そこがね、織太夫を襲名したからには、そこだけでは許してくれないのよ、お好きな方たちは、な。

o0722099014164970363襲名披露狂言
「勘助住家の段」

いよいよ玉助襲名披露狂言が始まる。見どころは、いかに「横蔵実は山本勘助」を玉助が豪快且つ大胆な遣いよう、そして見せ所の「ぶっかえり」。底意地の悪い小生は「うまいことぶっかえられるんかいな?」とその時を待つ(笑)。ぶっかえりは、背中の襟下にある糸玉を引き抜くと背中から袖にかけての糸が抜けて、衣裳が裏返って下がる仕組みのことで、丁度、冒頭のポスターの見得が、ぶっかえりの直後にドヤ顔する山本勘助、という画だ。ま、初日はちょいと「あちゃ~」やったけど、左遣いや介錯が何事もなかったように「フフーン♪、はい、できましたよぉ~」みたいな展開。で、めでたく勘助のドヤ顔に至った次第だ。まあ、山本勘助は人形だから顔は変わらないのだけど、そこをドヤ顔に見せるのが、人形遣いの力量というもんで、玉助はこういうのが上手い。そしてこれからもっと上手くなるのは、間違いない。
人形陣は、蓑助、和生の両人間国宝に勘十郎、玉男の当代の人気スター、玉也、蓑二郎が並ぶ豪華布陣で襲名を寿ぐ。
*前:呂、清介
表向きとは裏腹に苦悩する勘助の母の人物像が、良く伝わってきた。蓑助師匠の人形との相乗効果も奏功していたと見えた。というわけで、やや、人形陣に生かしてもらったという感もなきにしもあらず。
*奥:呂勢、清治
やっぱり、ここは清治師匠。実質上の切場。呂勢も奮闘。口上幕には列座していなかった三味線陣幹部の清治師匠だが、この段を弾くことが口上代わりということだろう。こういう「口上」の仕方もあるということだ。

雪の中で筍を掘る(「孟宗」の故事)とか「六韜三略」とか、『二十四孝』ワールドである。そして、「あ、なるほど!山本勘助が独眼で足が不自由なのは、こういう経緯か!」と発見もあって、おもしろい物語だった。そんなわけで、『本朝廿四孝』は「十種香」と「奥庭狐火」だけじゃない、そこ至るまでにこんなおもろい話があるのだから、「十種香」「奥庭狐火」のつまみ食い=見取りは、当面やめてほしいもんだ。

義経千本桜 「道行初音旅」

幕が開いたと同時に客席から「うぉ~」と声が上がる。両サイドの小幕、囃子部屋まで満開の桜の書割で覆ってしまうという舞台設営は、3年前の正月公演が最初。すでに表の桜は葉桜でも、舞台は千本桜の演題にふさわしく超満開で華やか。

舞台正面に二段台が置かれ、前列に三味線、後列に太夫が並ぶ様は、圧巻そのもの。このスタイルだと、その逆に並ぶ光景を見慣れているのだが、今回は昭和30年代に何度か行って以来というから、これもまた襲名披露の祝いの公演なればのことだろう。やはり口上幕に列座していなかった太夫陣幹部の咲さんは、この形で口上代わりの舞台を勤めたということだ。

静御前:咲、燕三、清十郎
狐忠信:織、宗助、勘十郎
ツレ:津國、南都、咲寿、小住、亘、碩、文字栄、清志郎、清馗、清丈、友之助、清公、燕二郎、清允

なんだかもう、「咲さんとその一派」みたいな舞台だが、春爛漫の時期に行われた襲名披露狂言の後に出てきたデザートとして、最高の舞台だったと思う。同時に「織太夫襲名披露はまだ続いているのか?」と思ってしまうほどの、咲太夫一門色に染まった舞台でもあった(笑)。
人形も相変わらず立ち姿の美しい清十郎はんと、狐と言えば勘十郎はんという安心と信頼のコンビで。

襲名披露、この追い出しと、ご見物大満足の第一部ではなかったかな?

(平成30年4月7日 日本橋国立文楽劇場)



 


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