人形浄瑠璃文楽
平成三十年初春公演 第二部
第1部は、通しで1回、幕見で追善・襲名狂言を2回見物したが、第2部は、運よく招待券をいただいたので、通しで2回見物できた。真面目に生きていると、時にいいことがあるというわけで(笑)。今回はその第2部のあれやこれや。
南都二月堂『良弁杉由来』(ろうべんすぎのゆらい)
◆初演:明治20年(1887)2月、大阪稲荷彦六座
*初演時、観音霊験譚を集めた『三拾三所花野山』の一部として『壺坂』などと続き物で上演
*大正14年(1925)4月、御霊文楽座での二代豊竹古靱太夫(後、山城少掾)、四代鶴沢清六らによる公演から『良弁杉由来』として単独公演、今に至る
◆作者:東大寺開山由来による。作曲は二代豊澤団平
この演目は、多分初めて観ると思う。前回の文楽劇場上演が平成16年(2004)のこと。小生は香港でのどかに生活していた(笑)。帰阪の度に、文楽劇場へは足を運んでいたが、タイミングが合わなかったものと思われわれる。その前は1998年だというから、これまた香港在住中。さらに前の88年、83年(朝日座時代)とかなると、記憶をたどれない…。でも、「わ~い、初めてや~!」と喜んでいたが、凄まじい既視感が漂う。さて、これいかに…。
初演は彦六座だったとのことだが、まだ文楽座と彦六座が激しい興行戦争を展開していた時代だろう。もし、この戦争に彦六座が勝利して、以降、人形浄瑠璃の代名詞的に「文楽」ではなく「彦六」という一座の名称が使われていたら、「国立彦六劇場」「彦六初春公演」「世界遺産の”彦六”」「何某の市長の彦六補助金問題」…ってことになったなんだろうか?(笑) ま、文楽座が勝利してくれてよかったね(笑)。って言いながら、今でも「彦六座系の~」とか言われる作品も結構あるし、その血脈は途絶えることなく伝承されているってことも、見逃せない。二代豊澤団平はまさに、彦六座の人である(元は文楽座)。
「志賀の段」
三輪、小住、亘、碩 / 團七 ツレ・八雲:友之助、錦吾
「八雲琴」という珍しい琴を見せてくれた。二弦琴である。とにかく弦が二本しかないわけだから、十三弦のような華やかな音色を出すわけではないが、若くして夫に先立たれ、この先幼い光丸とどうやって生きていけばよいのやら、という渚の方の懊悩が良く表されている音色を聴かせていた。その直後に起きる悲劇を予感させる役割りも十分果たしており、想像以上に存在感を発揮していた。八雲琴は文政年間に伊予の中山琴主が創始したもので、出雲琴とも呼ばれてている。文楽では、時々こういう「飛び道具」が出てくるから、おもしろい。
太夫ご一行は、三輪を軸にして若手で固められる。やっぱり碩の声に耳を凝らす。これはなかなかの逸材ですぞ、大事に育てていってほしい。
鷲に攫われる光丸…。ワイヤーの金具が照明にギラギラ輝いているのは、いかがなものか…。
「桜の宮物狂いの段」
津駒、始、芳穂、咲寿 / 藤蔵、清志郎、寛太郎、清公、清允
三味線がダイナミックだった。やはり、藤蔵、清志郎、寛太郎が揃うとパワフルである。その分、太夫が割食った感あり。割食ってもらっては、聴く方が困っちゃうわけで…。咲寿が顔を紅潮させて奮闘していたのが、印象深い。
人形は、前段の老女方から婆へと変貌。我が子を鷲に攫われて30年が過ぎ去った渚の方の老いと「物狂い」の様を表す。その「物狂い」の渚の方が、東大寺良弁大僧正のエピソードを耳にして、奈良を目指す「正気」を取り戻すとき、婆の首(かしら)にも生気が取り戻されたように見えたのは、さすがの人間国宝・和生はんの技ということか。
「東大寺の段」
靖 / 錦糸
最近はもう、すっかりこのコンビで定着である。短い場面だが、ここに登場の雲弥坊(幸助)の「丸い頭を右左」にして考えてくれたアイデアで、次の段での感動の母子対面が叶うわけだから、きっちりとした浄瑠璃で聴かせてもらわないと、この物語全体が「で、だからどうしたの?」的に落ちてしまいかねない、なんて言うと大袈裟かもしれないが、それくらいの場だと思う。そこをピシャッと仕上げるのだから、靖はやっぱり力あると思うよ。ちなみに、幸助としての舞台を大阪の本公演で観るのはこれが最後。四月公演では五代目玉助を襲名する。
「二月堂の段」
千歳 / 富助
そして感動の母子対面は、千歳はんの浄瑠璃が客席にハンカチを用意させる。いや~、これはええ話。三十年、まさに気が狂ったように我が子を探し求めた母親・渚の方と、鷲に攫われて二月堂前の杉にひっかかって、今や東大寺大僧正となった息子・良弁僧正の情愛が一気に昇華する場面。時間的制約があるから難しいと思うけど、こういうのを中高生相手の鑑賞教室なんかでやればいいのに。
良弁僧正の首(かしら)は、高僧に用いる「上人」というタイプで、他の源太とか検非違使などのようにかつらや烏帽子などを交換して、様々な役を作るようにはなっておらず、高僧専門の首とのことで、頭の形が美しく、表情も若く上品で尊い。玉男はんが、それにふさわしく上品さと若さを湛えながら遣っていて、動きが少ない割には、印象深いものがあった。
『傾城恋飛脚』(けいせいこいびきゃく)
数ある「封印切、梅川&忠兵衛スピンアウト(ややこしいことに、本作では梅川の兄さんも<梅川忠兵衛>という)」もののひとつで、文楽でも歌舞伎でもしょっちゅう観るから、今回も1回観たらそれで十分かと思っていたが、幸運にも招待券を某社からいただいたので、2回見物できた。ありがとう、某社!
口)希、團吾
御簾内から。御簾内でなくてもいいのにと思うご両人だが、そういう段取りのものだから仕方ないか。小生は團吾はんが三味線にキスしてから演奏に入る瞬間が好きだから。
前)呂勢、寛治
寛治師匠の三味線が、厳冬の新口村の凍えるような空気を感じさせてくれる。そして太夫は安心と信頼の呂勢とあれば、ここを聴くだけでも第二部に来た価値は大いにアリというところ。
後)文字久、宗助
多くの場合、語り口が師匠にどことなく似るものだが、文字久はんはどっちかと言うと不器用なお人だからか、それほど住さんを感じることがない。時にそれは物足りなくもあるが、ここの場合は似なくて、似せなくてよかったんじゃないかと。な~んとなくそんな感じで聴いた。
それにしてもエンディングの孫右衛門(玉也)が、傘ではなく、羽織を頭からすっぽり被って幕が引かれるという場面は感動的だった。「盗みする子は憎なうて縄掛ける人が恨めしい」という孫右衛門の気持ちが改めて、この手法で生きてきたと思う。これは今後、この人だけの型「玉也ヴァージョン」として成立させてほしいな。
大入りが出たという今公演だったが、やはり第一部の入りが半端なかったことが大きいだろう。比して、第二部は空席が目立って寂しかった。小生的には、良弁杉も新口村も全く退屈しない演目だったけど、タイトルを見ただけで「お!これは是非行かねば!」ってものでもなかったからねぇ、世間さんは厳しいですよ、そこらへんは…。
(平成30年1月7日、21日 日本橋国立文楽劇場)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。