【睇戲】『恋恋風塵』(台題=戀戀風塵)

『恋恋風塵』
(台題=戀戀風塵)

今年は楊徳昌(エドワード・ヤン)監督の没後10年を記念して、『牯嶺街少年殺人事件』が、25年の歳月を経て4Kレストア・デジタルリマスター版として蘇り、大きな話題を呼んだが、それに伴う形で、当時の「台湾新電影(台湾ニューシネマ)」の潮流にも再び焦点が当てられる年にもなった。その流れの中で、侯孝賢(ホウ・シャオシェン)監督の『恋恋風塵』、『冬冬の夏休み』もまた、デジタルリマスター版が全国で上映された。遅ればせながら、『恋恋風塵』を35度を超える猛暑の中、観に行ってきた。

「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。

20100828161348_6_pic台題 『戀戀風塵』
英題 Dust In The Wind
邦題 『恋恋風塵』
製作年 1986年
製作地 台湾
言語 閩南語、標準中国語
評価 ★★★★★(★5つで満点 ☆は0.5点)

導演(監督):侯孝賢(ホウ・シャオシェン)
編劇(脚本):呉念眞(ウー・ニエンジェン)、朱天文(ジュー・ティエンウェン)

主演(出演):王晶文(ワン・ジンウェン)、辛樹芬(シン・シュウフェン)、李天禄(リー・ティエンルー)、林陽(リン・ヤン)、梅芳(メイ・ファン)、陳淑芬(チェン・シュウファン)、頼徳南(ライ・ドウナン)、林干竝(リン・ユウビン)、張復欽(チャン・フウチン)、楊麗音(ヤン・リィイン)、施明揚(シー・ミンヤン)、蘇婉玲(スウ・ワンリン)

1986年の作品。当時、小生は大学3回生(笑)。それから31年の月日が過ぎ去ったけど、いまだにキュンとしてしまう。

兵役中、弟からの手紙に書かれた、あまりにも辛い、ある意味「甘い季節」の終わりを突然告げられたような知らせに、男泣きせずにいらりょうかと、思いっきり泣く主人公の阿遠(アワン)。これにはもう、つられてしまい、小生まで鼻の奥がツンツンし始めるのである。ふむふむ、これは泣くよな、男なら絶対に。枕をたたいて泣く阿遠を見るのが辛かった…。

舞台は、今や台湾最大の観光地と化した「」。炭鉱の貧しい山村という設定。まあ、九份が今のように騒々しくなるのは、この作品の翌年に発表された、やはり侯孝賢(ホウ・シャオシェン)の『非情城市』の日本公開以降のハナシだから、本当に貧しい山村を地で行っていたような時代。

冒頭の、列車がトンネルを抜けて山間を走行してゆく画も、台湾鉄おたにはうれしい映像である。台鉄平渓線である。列車が到着した駅は「十分」駅。駅の手前は線路間際まで民家が密集しており、軒先を列車が走る。今では、天燈(ランタン)飛ばしで世界的に有名な線路になってしまったが、もちろん当時はそんな観光資源はない。うらぶれた山岳路線である。小生がこの駅を初めて訪れた1990年代後半(だったはず)でさえ、この映画に映し出される光景とほとんど変わらないものだった。だから、冒頭シーンを含め作中に何度か登場する平渓線および十分駅の光景は、非常に懐かしいものがあった。

十分駅に降り立ったのは阿遠と、阿遠の幼馴染の少女、阿雲(アフン)。ここから、上の写真の男泣きシーンまでの「甘く、ほろ苦く、やがて哀しき」青春物語が、50を過ぎた小生でさえ、スクリーンに釘付けにしてしまったのである。まじ、「公証結婚」って何よ、それ!みたいなね…。

働きながら夜学へ通うんだと、台北へ出ていた阿遠を追って、阿雲もまた台北へ出てくる。阿雲を迎えにきた阿遠。二人が落ち合った駅は、まだ地上だったころの台北駅。今では一大ターミナルと変貌し、線路も地下化してしまったが、当時は恐らく日本時代の駅舎をそのまま使用していたのだろう、まさに国鉄時代の日本の地方駅という雰囲気。これまた台湾鉄おたの心を掻き立てる。

二人はこうして台北で生きてゆくことになる。幼馴染からさらに絆を強めて、やがて愛情を抱くようになってゆく。やがて阿遠は兵役に…。

兵役に就く阿遠を駅まで爆竹を鳴らしながら見送ってくれたのは、おじいさんだけだった。このお爺さん役の李天禄(リー・ティエンルー)が、非常に味わい深い演技だった。本来は「布袋戲」という台湾古来の人形劇の人形遣いとのことだが、侯孝賢のお気に入り人士のようで、本作以外にも『非情城市』に出演し、印象的かつ味のある演技を見せている。侯孝賢は『戲夢人生』で李天禄の半生を描き、国際的に話題を呼んだ。

この郵便屋君がうまく阿雲をかっさらってしまったのである。山村のことゆえ、結婚なんてのは、親類縁者が集まってワーワーと「儀式」すれば、それでエエやないかというのが、恐らく普通だったんだろう。その流れでいくと阿遠と阿雲も、両家の一族や友人知人立会いの下で祝言上げてというはずだったのが、郵便屋と「公証結婚」か…。「公証結婚」とは、裁判官や家族の立会いの下での法的に有効な挙式である。儀式だけで済ませず、法の下の正式な結婚ということだ。もはや阿遠はどうあがいても阿雲と一緒になることはできない…。まして自分は兵役中の身…。そこであの、男泣きのシーンである。

時間の流れが、非常に丁寧に描かれた作品で、そのためか109分間、まったくダレることなくスクリーンに集中できる。小生の好きな台鉄平溪線が随所で登場したからかもしれないが。

二人の物語だが、阿遠が配置された金門での出来事が、作品が描いたのであろう70年代を象徴していた。国共対立の最前線の金門には、時に大陸の漁民が遭難して漂着する。国民党軍は彼らを救出し、手厚く保護し、船の修復ができた後は、大陸へ送り返す。決して捕虜にしたり殺したりはしない。慣れない広東語で漂着漁民とコミュニケーションを取り、できる限りのもてなしを試みる金門の国民党軍兵士たちが描かれていた。逆に台湾側から大陸に漁民が漂着したら、解放軍は同じように扱っていたのだろうか…。

こんな風に、侯孝賢の作品には、「時代を記録する」ことも忘れない一面がある。これもまた、侯孝賢作品の人気の要因だろう。

心の中の色んな部分が、色んな方向から刺激された、素晴らしい作品だった。できればDVDなどを手元に置いておき、何度も繰り返して観たい。珍しいね、小生がそこまで惚れ込むなんて(笑)。

(平成29年8月16日 シネ・ヌーヴォX)



 


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