反建制派4議員に「DQ=Disqualification(失格)」
本題の『鏗鏘集』の話題に入る前に。
高等法院では14日、激進民主派、本土自決派の立法会議員4人の議員資格を剥奪するとの判断を下した。昨年10月の議員就任宣誓で民主化への決意を付け加えるなど、法定通りに宣誓文を読まなかったためである。この度の判決で、昨年9月の立法会選後、議員資格喪失は合計6人となったわけだが、いずれも激進民主派、本土自決派、港獨派といった「反建制派」である。建制派は議会での主導権を握ることになる。
今回、議員資格を失うのは、梁國雄=長毛(社会民主連線=激進民主派)、羅冠聰(ネイサン・ロー/香港眾志=本土自決派)、劉小麗(ラウ・シウライ/小麗民主教室=本土自決派)、姚松炎(エドワード・イウ=本土自決派)の4人で、昨年10月の宣誓日にさかのぼって資格が取り消される。4議員は上訴する方針。
全人代常務委員会は昨年11月、本土派の「青年新政」の2議員の資格を剥奪するため、規定通りでない宣誓を故意にした場合は「宣誓は無効で、直ちに公職資格を失う」との香港基本法104条の解釈草案を採択した。いわゆる「人大釋法」(全人代による香港基本法解釈)である。この勢いに乗って、梁振英・前行政長官は、今回対象となった4議員についても資格剥奪を求める訴訟を起こしていた。その顛末については、拙ブログの過去にさかのぼっていただくと、わりとわかりやすくまとめてある、と自画自賛(笑)。
というわけで、一体全体、「『一国両制度』とか『司法の独立』とかはどうなっているのか?」と、甚だ疑わしい事態がこのところ続発している。もっとも、一連の「DQ(議員資格剥奪)判決」については、剥奪された側にも一定の非はあると思う。要するに「決められたことを、決められた通りにやらなかった」のがそもそもの原因であり、議員の素質として適格かどうかという話しである。が、従来もこういう宣誓やパフォーマンスありきの酷い質疑などもあったから、やはり今回の一連の「剥奪」は行き過ぎ感がある。ま、狙い撃ちってやつですな。恐らく、上訴が受け入れられたとしても、終審法院も今回と同様の判断を下すであろうと思われる。
一国両制度を検証する
さて、本題の『鏗鏘集』の視聴記はまさにこの「一国両制度」に関する内容である。
3「一国両制度を語る」香港主権移交の主題であるこの制度について、各分野の人たちの声を聞く
香港の主権移交が取り交わされた中英連合声明(1984年)以降の香港の歴史を調べ、SNSで発信している青年。曰く、「1984年当時、返還後の『港人治港(香港人による香港自治)』は信頼できないという評論があったんですよ」。
その予言は正しかった。
返還20年を前に、中国側は「すでに香港の事務は中国の内政であり、このときの連合声明は、今では『歴史的遺物』にすぎず、中国政府の香港に対する管理にも拘束力を持たない」という見解を示した。つくづく、この国との約束事なんてアテにならない、約束するだけ虚しいだけだと痛感した。でもまあ、よくもこんな悪智慧が働くもんだ。卑怯者としか言いようがないではないか。
青年が調べた資料で、連合声明直前、北京を訪れ、鄧小平と会見した当時の香港政庁行政局首席非官守議員の鍾士元も表面上は「港人治港」でも実際には「京人治港(北京人=中央政府による香港統治)」で、香港は中央によってコントロールされてしまうのではないのかと、懸念していたというものがあった。
この心配も見事的中してしまったのである。
中英返還交渉に香港人の入り込む余地なし
元・自由党党首の李鵬飛(アレン・リー)は、「そもそも『一国両制度』って何だ? 中国側にはこれを規定する法律はない。その時点での国家のトップが言ってるだけだろ? 次のトップが『そんなの知らないよ』って言ったとして、私は不思議には思わないね」と言う。
返還交渉にあっては、中国側は一貫して話し合いの相手を英国のみに限定しており、返還の当事者たる香港人が入り込む余地はなかった。李鵬飛は悔やむ。「当時、我々は交渉に参加できなかった。もし、あの時、交渉に香港からも参加できていたら、今日のような状況は絶対に招いていなかった」と。
当時を回顧する映像に鄧蓮如(リディア・ダン)が映っているのが、まあなんとも返還前の香港だな~って風情である。この顔面ベタ塗り女史は、行政局首席非官守議員という、日本の政界に強引に当てはめるなら、内閣官房長官とでも言うべきポジションにあったというのに、あっさりと香港の政治から身を引き、英国に移住してしまった。この人には返還後の香港で陳方安生(アンソン・チャン)あたりと丁々発止やっていてほしかったのだが…。ま、「親英派」なんて所詮、返還までの運命と言うことではあるのだがね。
「雨傘」「親中派青年実業家」、それぞれの一国両制度
2014年の雨傘運動で、香港專上學生聯會(=學聯)のリーダーの一人だった鍾耀華(イーソン・チョン)。雨傘終結後は民主活動家ら身を引き、新界地区の元朗(Yuen Long)で古書店を開いている。香港の主権移交の1997年、まだ5歳だった彼が中国に関心を持つようになったきっかけは2008年の四川大地震だった。「あの大惨事の一方で、北京五輪は華々しく開幕した。対外的には安泰を装い、実際に発生した問題は全部握りつぶしていた」。
全面普通選挙の実施から大きく後退し、民主派議員は議席を奪われた。愛国教育が強制されようとしている。ビザなし大陸旅団の大群が香港にカネをばらまき、不動産価格は上昇を続け、香港人の生活は困窮を極める。そんな香港を彼は「息苦しい空間だ」と言う。
来るべき雨傘運動扇動の判決の時を待つ。有罪判決が下ると、懲役7年も想定される。心の準備はできているとは言え、落ち着かない日々を送る。
中華全國青年聯合會副主席、深圳市政協委員の施榮忻は、香港の実業家二世で、雨傘運動を早い時点で批判したことでも知られる、若い世代を代表する親中人士である。多くの親中派人士が同様に、彼もまた返還から20年、大陸が目覚ましい経済発展を遂げている一方で、香港は政治論争に終始してきたがため、すべてが停滞していると言う。
彼は実業家二世の団体を立ち上げた。言うまでもなく「建制派」の団体である。多くの実業家二世もまた「愛国主義者」である。
この団体を通じて、若い世代の力になってゆきたいと言うが、果たして彼が言う「若い世代」とは、どういう面々のことを言うのだろうか?映像から感じ取られたのは、あくまで愛国主義、親中派に限定された「若い世代」と見えたのだが…。
「『一帯一路』、珠江デルタの大規模開発など、今後もビジネスチャンスは多く用意されている。大陸の景気が良ければ香港の景気も良し。大陸と香港の関係は、水より濃い血の関係」。
ハナから彼の思考回路には「一国両制」は存在しないようである。「一国」のみが存在すると見えた。
行政会議(閣議に相当)メンバーの胡紅玉(アンナ・ウュ)は、かつて政治団体に在籍した1980年代に「中国への回帰は、香港の生活スタイルを変えることなく実施するのが望ましい」との提案を行った。当時、これが最良の選択であったと、今も信じている。「一国両制」については、「一国と両制度が平衡バランスを保つのが望ましいが、矛盾が生じるのもまた必然」と言う。
残された自由な時間はあとどれくらいあるのか
番組は以下のナレーションで締めくくられる。
中央政府は返還から20年間、「一国両制」の堅持を強調するが、20年間に香港はどれだけ変化したか? 返還20周年に当たり、香港人は「一国両制」の行方に疑問を抱いている。中央政府は香港の自治に大きく関与するようになった。香港にはあとどれだけ「自治の空間」が残されているのか?
返す返すも、李鵬飛が指摘するように、「香港返還交渉の席に、香港人の代表が参画できなかったこと」が、どれだけ今になって響いてきているか…。ここに英領植民地の悲哀があるのか? もっとも、今になって中国側は「中英連合声明は『歴史的遺物』」などとほざいているくらいだから、香港人が同席していたからとて何も変わりはなかったのかもしれないが…。
昨日も、今日も、明日も、香港人が関与できない仕組みの中で、香港は動き続けるのである。なんともはやな話ではないか…。
長々、お付き合いありがとうございました。ひとまず、返還20周年関連は終了します。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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