【睇戲】『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』(台題=牯嶺街少年殺人事件)

『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』
(台題=牯嶺街少年殺人事件)

よもやこの日が来るなんて夢にも思っていなかった。いずれレーザーディスクを再生できる日は来るかもしれないし、ブルーレイやDVDが発売される日も来るかもしれないけど、なんかこれまでの雰囲気からして望み薄だなと思っていたら、スクリーンで観ることができるなんて!

「牯嶺街少年殺人事件」をスクリーンで25年ぶりに、映像そのものを23年ぶりに観ることができて大興奮である。25年前の日本公開は、時代がこの作品を受け入れることはなく、大コケしてしまい配給会社も倒産の憂き目に遭ったんだっけ…。小生はレーザーディスク発売と同時に購入しており、「一生、観ること出来るもん!」と安心していたが、技術の進歩はそれを許さず、今日日の若者はレーザーディスクすら知らないという悲劇…。とは言え、レーザーディスクを家で観たときにはまったく集中できなかった…。となると、劇場公開を再び待つしかないのだが、どうも色々な利権が絡み合い、劇場公開はおろか、そのレーザーディスク以降、映像ソフト化もされていないという、まさに「幻」とも言うべき作品であった。それがだ!

監督の楊德昌(エドワード・ヤン)の生誕70年、没後10年の今年3月、日本で約25年ぶりに、4Kレストア・デジタルリマスター版で公開されるに至ったのである。狂喜乱舞したのは言うまでもない。

25年前の日本での劇場公開時は3時間8分版であったが、今回の公開では、作品完成時のオリジナルバージョンである3時間56分版が上映される。オリジナルネガより4Kレストア・デジタルリマスター版が制作されたのである。もはや、レーザーディスクの3時間8分版と比較のしようもないが、ゆえに、新作を観るようなまっさら気持ちで堪能することができるはず。
心躍らせながら、シネマート心斎橋へ向かった。

「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。

a_brighter_summer_day_poster台題 『牯嶺街少年殺人事件』
英題 『A Brighter Summer Day』

邦題 『牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件』
公開年 台湾:1991年
日、仏、港、スウェーデン:1992年
英:1993年 米:2011年
製作地 台湾
言語 台湾語、標準中国語、上海語

評価 ★★★☆(★5つで満点 ☆は0.5点)

導演(監督):楊德昌(エドワード・ヤン)

主演(主要キャスト):張震(チャン・チェン)、楊靜怡(リサ・ヤン)、金燕玲(エレイン・ジン)、張國柱(チャン・クオチュー)、王啟讚(ワン・チーザン)、譚志剛(タン・チーガン)、張翰(チャン・ハン)、王琄(ワン・ジュエン)、姜秀瓊(チアン・ショウチョン)

あれ? 「この日を待っていた!」なんて大騒ぎしているわりには、評価「★★★☆」ってどういうことよ?
と疑問に思われるかもしれないが、登場人物が多いのと、その顔つきが似ているのと、「それがこの作品の売りじゃないか」と言われるかもしれないが、画面がとにかく「黒い」のとで、結局、小生のようなおつむの「足らない子」には、とにかく飲み込みにくい映画なのである。それでも今回は2回観たので、なんとか「★★★☆」にまで引き上げることができたほどで、もし1回だけだったら「★☆」が関の山だったかもしれないのだ。
だって観た人は思い出してくれ。主人公の小四の兄の「老二」と、小公園の「滑頭」なんか区別つかんぞ(笑)。え、あなたは区別できていたのか、そりゃすごいね(笑)。
最初の方の場面で、暗闇でキスしていたカップルは誰と誰やってん?暗すぎてわからんやんってのもあるし…。仕方ない。暗かったり黒かったりするのは、この時代の台湾は戒厳令下にあったわけだから、きらびやかな夜などありっこないわけだから。

まあ、こういうのは昔観た時、すでにこの辺の知識がさっぱりで「俺はこの映画を見る資格なしやな」と落胆したこともあるので、それはそういうものと割り切って今回は観たわけだが…。

よくこの作品を評して、「時代がようやくエドワード・ヤンに追いついた」などとの声を聞くが、いやいや俺はいまだに追いつけていないという悲劇である(笑)。確かに、「時代が追いついた」という切り口で語れば、この作品が最初に公開された時代と、現代では驚くほど台湾に対する日本人の知識が豊富になった、台湾の情報があふれるようになったということだろう。当時は「台湾に行ってくる」なんて言うと、取引先のおっさんらは「散髪屋でお楽しみでんな、ヒヒヒ…」などと卑猥な連想しかしてくれなかった時代である。映画の舞台となった時代の台湾の知識、情報など普通の日本人は持ち合わせていなかったのだから仕方ないが、裏返せば、そう仕向けていた力があったということだろう。現状を見るに、大きく時代は動いたものだと思う。「時代がようやくエドワード・ヤンに追いついた」とは、「時代がようやく台湾に追いついた」ということかもしれない。

さて、今さら「辛口評」や「甘口評」を述べたところで、誰かさんの二番煎じどころか「10万番煎じ」くらい語りつくされている作品なんで、あーだこーだ言わないかわりに、今回改めて観てみて、印象に残る場面について一言二言、語らせてもらうとしましょうか。

①小四の父と汪氏との関係

建国中学の夜間部の小四を父はなんとか昼間部に転籍させようと躍起になっており、旧知の間柄である汪氏に口利きを頼む場面が何度かあるが、双方の態度から、この関係がある種のヒエラルキーの一角であることを、うかがい知ることができる。国民党に追従する形で台湾に渡ってきた外省人は、このヒエラルキーの中で窮屈な日々を送る。そこもまた、この作品のテーマの一つであるということを、25年前はそれほど意識することはできなかったが、今回、よくそれが見えた。今となっては、25年前の短縮版の内容を一々思い出せないが、多少は自分に鑑賞力が養われたということかな…とかなんとか…。

②子供社会のヒエラルキー

外省人の大人の世界に厳然としたヒエラルキーが存在するのと同じく、子供の世界にもそれは存在する。小馬の登場がそれを示している。父が軍の上層部である小馬の住む家は、おそらく戦前には在台の日本人の中でも、相当な地位にあった人が住んでいた屋敷だろう。同じように戦前に日本人が住んでいた家でも、小四や小猫王たちの家とは大違いである。小四が因縁をつけら、危うくフルボッコにされる場面で、相手を引き下がらせるため、仲裁に入った小馬は恐らくこのヒエラルキーの力で相手を屈服させたのだろう。小明との接し方も「主従の関係」だった。それでいて最後に「たった一人の友達…」と小四のことを涙ながらに語った姿が、強烈に印象に残る。演じた譚志剛(タン・チーガン)は存命であれば、張震(チャン・チェン)と並ぶ国際的大スターになっていたかもしれない。若くして世を去ったのは、惜しい限りである。

③小猫王(リトルプレスリー)こと汪茂の存在

全編において、彼の存在が光る。何と言っても、あのソプラノボイスをステージで披露する姿に魅了される。そして建国夜間部における彼の兄貴分的存在。ひときわ小さな体に似合わず、「ここ一番」で見せるリーダーシップ。「こういう友達がいたらなあ…」と、多くの男子に思わせてしまう魅力がある。そしてプレスリーへの憧憬で見せる、一本気な、ある意味子供っぽいところも魅力的だ。終盤、少年院を訪ねて、小四へなんとか自分の歌声を録音したテープと手紙を渡そうと食い下がるシーンがあったが、彼が帰った後のそのテープの行き先を観るに、泣けてしまう。小馬は小四を「たった一人の友達」と言ったが、小猫王と小四はきっと小馬が入り込むすきのないほどの、固いきずなで結ばれた親友なんだと思う。ラストシーン、大学進学者の名前がラジオで読み上げられた時、小猫王の名もあった。洗濯物を取り込んでいた小四の母の表情も印象深い。

その小四の母が家族で夕飯を食べているときに言った言葉が、国民党に追従して台湾へ来た外省人の偽らざる心境だろう。
「日本と8年間戦って、今度は日本人の家に住み日本の歌を聴く生活」
タイトルは「少年殺人事件」で、確かにそれがメーンのテーマではあるのだが、楊德昌(エドワード・ヤン)はむしろ、この母親の言葉にあるような当時の台湾社会、とりわけ外省人の鬱積した気持ちを世に訴えたかったのかもしれない。

ま、この作品、4時間もの上映時間で片時も「目が離せない」のは事実で、今回、2回とも1度ずつトイレに走ったが、「その間に重大な見どころを見逃していたら…」なんて思うと気が気でなく、小便もまともに出ないほどで(笑)。

そんなわけであれやこれや書き始めるとキリがないので、このへんで止めておこう。御賢明なるお方は、どうぞ、三流見物人の戯言としてスルーしていただき、ちゃんとした評論家の劇評をお読みになるように。

では長々失礼いたしました。

<小ネタ>
小生がチケットを買い求めるとき、どうしても「牯嶺街(クーリンチェ)」が標準中国語読みの発音、イントネーションになる。しかし窓口のお兄やんは、当たり前だが日本語読みであって「へ~、世間ではこういうふうに言うのか」と、ちょっとした発見…。

《牯嶺街少年殺人事件》25周年重映 正式預告

(平成29年4月17日、5月11日 シネマート心斎橋)



 


7件のコメント

  1. いやーもう、快挙しか言えないでしょ〜〜!
    DVD、ほんと期待しますね。
    今、台北ストーリーも公開中で、エドワード・ヤン祭状態です(笑)。

  2. ピンバック: 【睇戲】『恋するシェフの最強レシピ』(中題=喜欢·你) | どがちゃがHONG KONG、OSAKA

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