【睇戲】『海の彼方』(台題=海的彼端) <日本プレミア上映>

第12回大阪アジアン映画祭
特別招待作品部門

『海の彼方』(台題=海的彼端)

poster最近、台湾では自分たちのアイデンティティとは? を問いかける機会が増えているように見える。それは同時に台湾が日本だったころの歴史にも光をあて、これまで見えなかった部分を炙り出していこうという動きにも連動している。映画でもこうした動きがあり、日本でもヒットした『海角七号 君想う、国境の南(原題:海角七號)』、『セデック・バレ(原題:賽德克·巴萊)』、『KANO 1931海の向こうの甲子園(原題:KANO)』のほか、ドキュメント映画では『天空からの招待状(原題:看見台灣)』、『灣生回家』と目白押しである。そしてまたひとつ、「台湾から八重山へ渡った台湾人」の足取りを訪ねる作品が生まれ、今回の映画祭で日本初公開された。

「睇戲」と書いて「たいへい」。広東語で、映画を見ること。

1785804_1台題 『海的彼端』
英題 『After Spring, the Tamaki Family』

 『海の彼方』
現地公開年 2016
製作地 台湾、日本
言語 台湾語 *語り:日本語

評価 ★★★★★(★5つで満点 ☆は0.5点)

導演(監督):黃胤毓(黄インイク)

語り:玉木慎吾

出演:玉木家のみなさん

小生の中では、今回の大阪アジアン映画祭で観た16作品の中で、最高の作品だった。観終わってしばらく、言葉にできないこの映画は、監督の黄インイクが、戦前の沖縄へ移民した台湾の人たちをテーマにした長編ドキュメンタリーシリーズ企画『狂山之海(くるいやまのうみ)』の第一弾である。この史実を知っている人は日本人、台湾人ともにどれだけいるのだろうか? もちろん、小生も今回初めて知った史実である。

戦前、台湾から最も近い「本土」だった八重山諸島。当時の台湾からおよそ60世帯の農家が移り住み、農地開拓を始めたことから沖縄石垣島の台湾移民=八重山台湾人の歴史が始まる。

やがて八重山台湾人はパイナップルの栽培を始め、沖縄のパイナップル産業を長く支えていくことになる。今作の中心人物、玉木玉代さんもその移民の一人である。映画では、今年90歳(撮影時には88歳)の玉代さんの米寿を祝う100人を超す大家族、台湾へ里帰りした玉代さんを追いながら、八重山台湾人の歴史を明らかにしていく。

沖縄での陸上戦が激化する中、台湾へ強制疎開させられた八重山台湾人の中には、戦後、国民党政権となった台湾での生活に不安を感じ、再び八重山を目指す者たちもいた。一歳の子を抱えた玉代さん夫婦もその一員だった。台湾の埔里から列車と船を乗り継いで八重山に戻るまで17日。ようやく八重山に戻ったのはよかったが、当時の沖縄は米国占領下にあり、「国籍」を持つことができない年月を過ごすことになる…。

沖縄の農業を支えたパイナップル栽培も、海外からの輸入品に押され、やがて衰退してしまう。やむなく農業から撤退した八重山移民は、青果業を営むことになる。現在、石垣では多くの青果店が八重山移民関係者によるものだという。

作品は、ドキュメントとして八重山移民の歴史を追うにとどまらず、3世代にわたって歴史に翻弄されながらも生き抜いてきた玉代さん一家の「家族愛」にも迫り、観る者に忘れていたものを思い出させてくれる。語りを務めた玉代さんの孫、慎吾さんはヘヴィメタルバンド「SEX MACHINEGUNS」のメンバー。訥々と語る中に、自分のアイデンティティ、八重山台湾人の苦難の歴史を確認していく姿勢が強く感じられ、映像とともに観る者を引き込んでくれた。

また、「台湾では、玉代さんを“これは台湾のおばあさんだ”と共感される方が多く、自分の母、おばあさんを思い出した人が多かった」(黄監督)と言う。そういう意味では、エンディングで、玉代さんの娘たちが森昌子の『おかあさん』をカラオケで歌ったホームビデオが流れたが、このシーンを見て、「ああ、俺ももう少し、ほんの少し、母に親孝行らしいことをしてあげれたんじゃないかな…」と、涙が…。うん、そういうことだな…。

上映後のQ&A。実は日本語ばっちりの黄監督。進行役のこれまた日本生活の長い、リム・カーワイ監督よりも上手かもね(笑)。それはさておき、長編ドキュメントは今作が初めてという黄監督。にしては重厚な仕上がりじゃないか!

玉木玉代さんを取材することにしたきっかけは「戦後の中国語教育を受けずに八重山に来た人で、昔の記憶を話せる人は非常に少なくなったが、玉木さんはとてもお元気で、家族が集まって米寿のお祝いをすると聞いたから」とのこと。

台湾では玉代さんはちょっとした人気者になっているらしく、わざわざ台湾から会いに行く人も多いとか。玉代さんもそそうした訪問を大変喜んでいるらしく、「誰それが来た、どこそこ新聞が取材に来た」などと、こまめに連絡もくれるという。

西表島の炭鉱に駆り出された台湾人の話も、いずれ世に送り出したいと言う黄監督。『狂山之海』の完成が楽しみだ。
またひとり、目の離せない台湾映画人が現れた。

そして。
知らない「日本史」があまりにも多すぎるではないか。その多くをここ数年、台湾映画から学んでいる。ドキュメント映画では儲けにならない、と言われればそれはそうなんだが、こういう作品こそ、高い評価を受けて全国展開されるべきなんだけどなぁ…。

《海的彼端》3分鐘 前導預告片

(平成29年3月8日 シネ・リーブル梅田)



 


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