島から島へ渡る「横水渡(Inter Islands)」に乗り込んで長洲を発って、向かう先はこれまた離島の「坪洲(Peng Chau/ぺんちゃうとう)」。
映画撮影地巡礼で坪洲へ
この島には、ちょっと思い入れがあって、今回どうしても立ち寄っておきたかった。別に在住中に特別な思い出がこの島にあったというわけではない。昨年の「大阪アジアン映画祭」で観た香港映画『王家欣 ウォン・カーヤン(港題=王家欣)』の舞台がこの島だったから。その際に劇評でも触れたが、「集體回憶」(集団の記憶)に大いに心を打たれたことが引き金となって、「また坪洲に行きたいな…。1990年代が懐かしいなぁ…」との思いが芽生えたというわけである。まあ、よくある「撮影地の巡礼」なんてもんでなく、自分自身の1990年代を感じれる何かがあれば、ってところだ。
映画『王家欣』の舞台、そのウラで…
埠頭の真正面には、当たり前のように海の守り神「天后廟」が。「華人廟宇委員会」のサイトによると、廟内の碑文から嘉慶戊午年(1798)の建立と推定されている。その後、光緒3年(1877) と1998年に改修が行われている。この島、ここだけでなく非常に廟の多い島である。かつて漁業で成り立っていた島であることを意味すると同時に、海を越えての人、物の行き来があったということでもあるのだろう。
その天后廟に向かって右側に、今にも崩れそうな石積みの壁がむき出しになった家がある。その名も「坪洲石屋」。いつごろのものやろか? こりゃ相当古い。がしかし、周囲を見渡すに、これは何もこの建物だけのことではないと思われる。煉瓦積みの建物っていうのは、街中でも比較的よく目にするけど、ここまではっきりと「石」っていうのは珍しい。調べたところ、少なくとも築80年以上は経過しており、「三級歴史建造物」にも指定されているとのことだが、80年前にまだ石積みかい!とちょっと突っ込みたくもなるが、そこはそれ、香港ならではのご愛嬌というもんだろう(笑)。
さて、何を隠そう、この壁、まさしく映画『王家欣』の舞台となった場所の一つである。て言うか、坪洲でメーンの場面と言えばもうここくらいしかなかったり…(笑)。映画の宣伝用写真なんかにもこの壁が登場している。
こんな風に映画そのまんまの茶餐廰があったらなぁ~、なんてのは夢のまた夢で、現実には、マカオの医師とその娘が相続をめぐって裁判沙汰になっていたという因縁付きの物件なのでった。いやはや、ドロドロしてるね~。
悪趣味か、アートか?
島の反対側へ向かうべく、村を抜けて行く。やがて、「こっちへおいで~」と手招きするように、何やら楽しげな空気が漂ってくる。「こりゃなんじゃいな?」と、好奇心いっぱい、引き寄せられるように中へ入っていくと、あらびっくり!の光景が…。
なんとまあ~! これは悪趣味の極みなのか、はたまた「アート」なのか…。何とも言えない趣味の世界が広がっていた。入ってきて正解だったな(笑)。敷地の外にあった特区政府が設置した観光案内によれば…(観光地かよww)。1930年代、坪洲の「三大工業」は、牛革加工、マッチ製造、石灰産業で、この廃屋?趣味の世界?はその牛革加工工場(坪洲牛皮廠)の跡地で、歴史的に非常に重要なもので、先の石屋同様「三級歴史建造物」に指定されているというが…。いやいや、まったくもってこれは個人の趣味の世界でしょ(笑)。
香港紙『明報』の古い記事をたどると、1975年までここで牛革加工が行われており、近所の王さんは「地面には牛の血が染みついていた。あの牛革加工の臭いを今でも思い出す」と語る。
程なく島の反対側に出る。大体、埠頭の反対側ってどこの島でも砂浜になっている(笑)。
ビーチに面して佇むは、「龍母廟」。創建はおよそ30年前と新しい。龍母は水の女神で、主に水上生活者の信仰の対象であったが、時代が進むにつれて陸の者からも信仰を集めるようになる。現在は、旧暦5月8日の龍母誕生節に香港各地から多くの参拝者が訪れる。
この後、「発射站」なる地点を目指して山道へ入って行くも、期待していた「ロケット発射台」のようなもではなく、単なる電波塔だったというトホホなオチの末、この島を去ることにした。
山道から、ふと「大嶼山(Lantau Island/ランタオ)」を眺めると、香港ディズニーランドのホテル群が。だがしかし、ディズニーランドそのものは、決して海上からは見えることがないように設計されているのだ。ケチ臭いことしよる。
再見、坪洲!
今度また来ることはあるんやろか…。
拙ブログの初期のころ、まだ「試運転」だったころに「坪洲ピーク」Jと言われる手指山に登った写真を掲載しています。よろしければご覧ください。まったく大した内容じゃありませぬ(笑)。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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