落語
三代目桂春團治一周忌追善落語会
早いもんで、三代目春團治師匠が逝かれて1年が過ぎた。
「しゅっとした人」とは、この師匠のためにあるような言葉で、もっと言えば、「しゅっとした人」というのはこの師匠にのみ許された形容だと今も思っている。
三代目は南海ホークスファンとして有名で、我々の大先輩である。でも「しゅっとした南海ファン」である三代目は、我々のような「しゅっとしていない」南海ファンのように全身を緑で埋め尽くすようなダサいファッションは決してしない。帯留めとかにさりげなく緑を取り入れて、それがまたおしゃれなのであるから、これを「しゅっとした人」と言わずになんと言うであろうか。
そんな三代目の一周忌追善落語会が、松竹座で盛大に行われたので行ってきた。
=夜の部=
「一門口上」
前列下手より、進行/小春團治、春雨、春若、福團治、春之輔、梅團治
後列(孫弟子)
「野崎詣り」 桂梅團治
「代書」 桂春若
「二番煎じ」 柳亭市馬
~中入り~
「青木先生」 笑福亭鶴瓶
「月並丁稚」 桂ざこば
「幸助餅」 桂春之輔
*三味線:内海英華
*鳴物:笑福亭松五、笑福亭喬介
*お茶子:浪江佳代
まずは一門揃っての口上から。春蝶のみ不在。進行役の小春團治によれば「行きたいのは山々だが、断腸の思いでギャラのいい方の仕事へ行った」とか(笑)。春之輔はつい数日前に「四代目春團治」襲名が発表されたばかりだが、それには触れず。筆頭弟子の福團治が「一門が団結して、あの世で師匠が喜んでくれるよう芸道に精進したい」と口上を締めくくる。
一番バッターは、小生と同じ「鉄」の血が流れる梅團治「野崎詣り」。三代目の定規できちっと測った野崎とは違い、ちょっと方眼紙の升目を外したりしながらやると、はは~ん、こういう感じになるのかという風情で。この人らしい明るく楽しい野崎になっていた。
春若は小生の中ではいまだに「兄ちゃん」な噺家さんなのだが、久々にナマの口座を拝見して、いや~ずいぶん齢を重ねたなーと、その月日を思う。随所に「小ギャグ」をはさみながらも、三代目の様式美を踏襲したきれいな代書であった。
お江戸からのゲストでまずは市馬登場。「しゅっとした」噺家と言う点では、お江戸ではこの人がその代表ではないかと。こういう人がやると「二番煎じ」もしゅっとした話になるから不思議。やはり芸には人柄がにじみ出るということだな。
中入りはさんで鶴瓶登場。散々、四代目春團治襲名が発表された春之輔をいじくり回して、十八番の「青木先生」へ。まあ、これやるのが無難な選択だと思うけど…。
ざこばは三代目に稽古をつけてもらったという「月並丁稚」を。サゲは遣いに出た子どもしが遣い先の旦那はんに向かって「わたいがケツひねったげまひょか」で。せやよな、「闇に鉄砲」では「はぁ?」やよな、今となっては。
トリは春之輔「幸助餅」。ゲラゲラ笑いこけるような話ではないとわかっていても、重たい展開だった。こんなに聴くのがしんどい話やったかな? 春さんの芸風からくるものなのか、そもそも「しんどい話」なのか? なんかこれまで聴いてきた「幸助餅」とは別物に思えた。
2階ロビーには三代目ゆかりの品々が展示されていた。
この高座姿のカッコいいこと! このパネル、販売してほしいほどである。絶対売れるで!
二代目春團治の旅回り興行用のポスター。どこでも使えるよう、日時と会場名は空白。で、このおもろそうな漫画は何か?と聞かれれば、
手塚治虫による、二代目のための「漫画原稿」なのである。二代目は戦後まもなく、演芸好きの写真店主を通じて手塚と知り合い、下絵を依頼。原画は印刷に回されたため、手塚は後日、書き直したものを進呈した。これはその一部。
昭和60年か…。三代目も五郎兵衛師匠もまだまだ若々しい。やっぱ、踊りがきちんとできる噺家さんはカッコいいな。最近の人はもう、ねぇ…。
(平成29年2月26日 大阪松竹座)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
1件のコメント