【上方芸能な日々 文楽】平成28年錦秋公演<第1部>

人形浄瑠璃文楽
国立劇場開場50周年記念 平成二十八年錦秋公演

A4チラシ表140404客足が非常によく、大入り袋が出た秋の公演。
今公演、1部、2部ともに3回見物したがたしかにいずれも8割以上は客席が埋まっており、特に千秋楽の2部は補助席も出た大盛況。それだけ見れば「大当たり!」と言いたいところだが、そこはそれ、色々ありますわな。

今回は実に19年ぶりの『志渡寺』がかかり、『勧進帳』では15年ぶりに花道が設けられるなど話題を呼び、動員につながったと思う。もし10年ほど前に同じ芝居をかけて、はたしてこれほど客足が伸びただろうか? 半分以上客席が空いている状況も見てきている小生としては驚くばかりだが、それなりに協会も劇場も芸人もファンも、PRが上手くなったんやなあと思う。ひとえに、それぞれが自分に合ったSNSなどネットを上手く活用して、PRしているんだろうなと思う。そんな中、拙ブログはいつものように斜に構えて(笑)。

花上野誉碑(はなのうえのほまれのいしぶみ)

■初演:天明8年(1788)、江戸肥前座
■作者:司馬芝叟、筒井半平ら
初演時は七段続き、翌年に三段が加筆されて全十段に。「志渡寺」は四段目。

志渡寺の段
有吉佐和子の『一の糸』で主人公・茜の夫で三味線弾き名人の露沢徳兵衛がこの段を弾き終えた後、床がくるりと回って観客の眼から消えると同時に倒れて世を去ってしまう。「志渡寺」を弾きながら大阪は稲荷座の舞台の上で死んだ明治の三味線名人、豊澤團平を思わせるシーンである。

事程左様に、「志渡寺」は三味線弾きに多大な技量と体力、精神力を要する難曲中の難曲であり、それは同時に、太夫にとっても同様の力を要するということで、だれがここをやるのか注目していたが、クライマックスは英太夫と清介のコンビであった。三味線陣はともかく、現状の太夫陣においてはこの人選しか選択肢はなかったのかもしれない。来春、呂太夫を襲名する英太夫にとって一つの試練と言えなくもないが、千歳太夫が勧進帳に回り、咲太夫もその体調を鑑みれば、という着地点だろう。

別に英はんがよくないというわけでなく、英はんは初日も中盤も千秋楽も渾身の語りで客席をグイグイ引っ張った。清介はんも人形陣も呼応する形で緊張感いっぱいの舞台だった。それを小説や過去の大名人と比較してしまっては、実に気の毒なんだけど、『一の糸』の徳兵衛や実在の團平のような「命を削る」ようなものだったかと言えば、まことに「さらっと」したものだったのではないかと思う。

恐らく次に「志渡寺」がかかるのはまた20数年後のことになるかと思うが、その時点ではたして「さらっと」でもこの難曲を語って、弾いて、客席を引っ張ることができる太夫、三味線がいるかどうか…。小生個人的には、「明るい未来を感じることができない」というのが、正直なところである。

そんな暗い未来像を描きたくなるような太夫陣の現状だが、「中」を勤めた靖太夫はしっかりと持ち場を勤めており、成長著しさは誰の眼にも耳にも確かに届くところ。20年後の(?)「志渡寺」は靖に全段を語ってほしいと思う次第。これは尋常ならぬ体力精神力が要求されるけど、靖ならやりとげられるんじゃないかと思うし、ぜひそんな太夫になってほしい。

人形は、坊太郎を遣った玉翔に今公演の敢闘賞を贈りたいほどよくできていた。

『恋娘昔八丈』(こいむすめむかしはちじょう) 

■初演:安永4年(1775)、江戸外記座
■作者:松貫四、吉田角丸 合作
*享保12年(1727)に実際に起きた江戸の材木商白子屋の婿養子殺害事件が下敷き。咎人の白子屋の娘が黄八丈の上に縄をかけられて市中引き回しとなったことが想起される題名となっている。

城木屋の段
前:松香、清馗  奥:呂勢、清治
毎度のように記しているが、松香はんが出てくると、「ああ、文楽に来た」としみじみ感じる。これはベテラン太夫が全身から醸し出す文楽の香り故のことだろうし、だからこその安心感もある。こういう人は大事にしてもらいたい。

さて「城木屋」と言えば、「そりゃ聞こえませぬ才三様」のクドキ。何といっても当時の大流行語。今に置き換えれば、流行語大賞を10年連続くらいでとっていたに違いない。もちろん、現在でも古典芸能に興味のある人なら、相手からムチャ振りされたりしたら「そりゃ聞こえませぬXXさん」なんて言ったりするもんだ(ろうと思うw)。でも一般的には通じない。「耳が遠いのか?」なんて思われるのがオチだから、知っていても言わない。結果、古典芸能の名セリフはどんどん日常から姿を消してしまう。

今公演、3回見物したが、一度もここで「たっぷり!」とか「待ってました!」と声がかかったり拍手が起きたりはしなかった。断言はできないが客席も「知らない」のだ。決して呂勢の語りが客に届いていなかったわけではないだろう。一方でこの味わいというものは、公演期間にやっぱり数回足を運ばないと、よほどのお賢い方や耳のよい見物人でない限り感じることのできないものだとも思う。公演パンフの鑑賞ガイドなる項目にこのクドキを紹介はしているが、もっと簡潔にビジュアル的にもよくわかるように「ここが聴きどころ!」みたいな紹介をして、楽しみ方、味わい方をアテンドしたほうがより親切だと思うのだが…。

鈴ヶ森の段
太夫は掛け合い、三味線は喜一朗が一人でそれをまとめる。この掛け合いに限らず、公演初日にしっかり照準を合わせて準備をしてきたと思わせる太夫と期間中のどこかでベストになればという感じで初日を迎えていると思わせる太夫がいて、初日にその差がはっきりわかる。毎公演感じることだが、ことに今公演はそれが明確だったような気がする。で、結局後者は千秋楽が来てもベストの状態にはならず、本人も客席も不本意なままで公演を終えてしまう。なんとももったいないハナシではないか。そりゃ客は「そりゃ聞こえませぬ才三様」のクドキをさらっと聞き流してしまうようなレベルかもしれないが、やっぱり太夫の出来不出来は感じるもの。「初日にベストで、千秋楽にはさらに一皮むけた」というのが理想だが、そうはうまくいかないまでも、そんな「痕跡」をどこかで感じさせてほしいものである。

人形では玉誉の休演で玉翔が丁稚の三太を遣ったが、この代演なんとかならなかったのか? せっかく先ほどの「志渡寺」で坊太郎をよくやっていたのに、そのすぐ後にこれではなんともなぁ…というところ。

日高川入相花王(ひだかがわいりあいざくら)

これまでに何度も上演されており、その都度あれやこれや記しているので、今回はそれほどコメントもない。

清姫さんは日高川に飛び込んで、バタフライはするわ大蛇に変身するわでとてつもない運動能力の持ち主である(笑)。

さて、幕切れにパッと明るくなって満開の桜という舞台、いよいよ紅葉本番という晩秋のこの時節に、はたしてふさわしいものなのかどうか…。

img_3459

img_3479



 


コメントを残す