第二回あべの歌舞伎 晴の会
「晴の会」と書いて「そらのかい」と読む。昨年大好評だった「晴の会」は今年も近鉄アート館で。家から15分の距離で歌舞伎をやっているというこの環境を喜びたい。
昨年は松十郎、千壽、千次郎の三人の会という形だったが、今年はここに三人とは「松竹・上方歌舞伎塾第1期」の同期生である佑次郎とりき彌が加わり、パワーアップ。佑次郎とりき彌は昨年は後見としてあくまで三人が芝居しやすい環境づくりに徹していた。そんな二人の姿を見て、「役者として出してあげたいな」と思っていただけに、これはうれしい。
昨年は大概笑わせてくれる愉快な芝居だった「晴の会」。さて今年は…。お、今年も作家さんは城井十風センセか。小生が思うに、このセンセは相当落語にお詳しいと見た(と、しらじらしく言ってみる-笑-)。
新作歌舞伎
伊勢参宮神乃賑(いせさんぐうかみのにぎわい)
旅立ち~七度狐
■作者:城井十風(桂吉坊)
落語『東の旅』すなわち『伊勢参宮神乃賑』を歌舞伎に仕立てるとこうなった、という展開。お馴染みの喜六、清八のコンビが繰り広げる珍道中である。その喜六を千次郎、清八を松十郎が勤めるたわけだが、これがピッタリ、はまり役だった。そこはきっちり役作りをしてきたんだろうけど、それにしても…ってところだ。とりわけ、喜六の千次郎は「これはもしかしてアナタの”地”ですか?」ってくらいで、上々出来。
会場の形の特性を大いに生かし、通路は勿論のこと、ときに、ひな壇状の客席にまで行動範囲を広げて、まさしく「縦横無尽」に動き回って、豪華な舞台美術がなくても、それに匹敵するような奥行きのある芝に仕立てていたのには感心した。
まあ、ざっとこんな舞台と客席である。能舞台のようにせり出した舞台を三方から客席が囲む。昨年は2階席から観たが、今回は前から二列目のほぼ「かぶりつき」で、役者の息遣いやほとばしる玉の汗など、手に取るように見えて感じて、大満足。もちろん、芝居の出来がよかったからこその大満足だったのは言うまでもない事。
千壽は昨年は狸で大いに沸かせてくれたが、今年は狐で。メイクがほとんど寝起きの末成由美(見たことはないけどww)で、「また今年もおいしいとこ持って行くなあ~」って感じ。「七度狐」だからこの煮売屋の婆を狐やとばっかり思ってたら、終演直前に大どんでん返し。「おい!結局今年も狸やったんかい!」とねえ(笑)。ここらの落語的オチの付け方が、大阪人にはうれしい手法だし、そこはもう城井十風センセならではのセンス。
今年から本格参加の佑次郎、りき彌の二人も奮闘。しかし佑次郎は男前だね~。意外と生臭坊主ぶりが似合っていたけども(笑)。りき彌も女方っぷりにいよいよ磨きがかかってきたなあと。後見でがんばった當史弥も来年には役が付きますように。
さて、佑次郎、りき彌がそれぞれ玉造稲荷神社の神主と巫女で幕開きに登場したが、同社は大坂以西の伊勢参りの出発地。以前にも記したことがあるが、伊勢参りが流行した江戸期、大坂の玉造が拠点の唐弓弦師・松屋甚四郎と、その手代・源助は、行商の経験を生かして「旅の情報システム」と言うべき「浪花組」(のちに「浪花講」)を立ち上げる。「浪花講」の看板を軒先に掲げることで、不良旅籠屋等と見分けがつくようにしたり、旅行ガイドブック『浪花講定宿帳』等を発行、旅人が安心して宿をとれる仕組みを開発した。そんな背景で、ここから落語の『東の旅』の世界がスタートする。この芝居でも、この「浪花講」の鑑札がひとつのポイントとなっている。
このあべの歌舞伎のよさは、上述の通り、役者の息遣いや汗を間近で感じることができる点。そして手作り感すらうかがえる簡素な舞台設定が、観る者に結構高度な「想像力」を要求している点。これは居眠りしている暇はない(笑)。さらに「四の切」「勧進帳」なんて古典芸能ファンをニンマリさせる場面も適度に散りばめられているからたまらない。そんなこんなで、まったく退屈しないダレ場のない仕上がりになっている。このスタンスは今後も崩さないでもらいたいもんだ(と、勝手に来年もあるものと思っているw)。
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入り口受付付近で指導役の秀太郎丈がお出迎えしてくれていた(いや、単に御贔屓筋の到着を待っていただけだろう…)。帯同していた少年は部屋子の千太郎かな?
芝居があんまりにも楽しかったので、帰り際に秀太郎丈に思わず「楽しかったですわ~~~」と声をかけたら、なんと「おお~、おおきに」とご返答。いやちょっとちょっと!天下の片岡秀太郎に「おおきに」って言ってもらいましたわよ、アタクシ! と、一人で大興奮してしまった次第である(笑)。
また来年もやってね!
(平成28年7月30日16時の部 近鉄アート館)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。