落語
吉坊ノ会<19.Apr.2016>
すっかり恒例となった近鉄アート館における「吉坊ノ会」。開演19時というのは、労働者にとってはギリギリ開演に間に合う時間。とにかく今宵もパパーっと終わってシャシャーっと参じる。
むむ? 今日は珍しく雨降りではないぞ? マクラで吉坊くんも申していたが、彼の会の日はどういうわけか雨降りが多い。そういえば前回、昨秋のここでの会の日も冷たい雨が降っていた。そうやそうや、思い出したわ! あと数日で閉店となる珉珉で餃子食って帰った日…。あの日のブログは、吉坊のことよりも餃子話に多くを割いてしまったという…。今日はええお天気でよかったね(笑)。
<ネタ帳>
1.笑福亭呂好‥‥「みかん屋」
2.桂吉坊‥‥「三枚起請」
中入
3.春野恵子‥‥浪曲「両国夫婦花火」
4.吉坊‥‥「本能寺」
呂好というのは初めて高座を拝見したが、なかなかうまいことやってた。入門8年目か。ちょっと小慣れてきてそれが癪に障るような高座をやらかしてしまう子もこれまでたくさん見てきたが、さすがそこは呂鶴一門。師匠がしっかり丁寧に育ててきているのがわかる高座さばき。こういう若手には、ぜひとも師匠譲りの本格派を目指してもらいたい。観ていて気分がよくなるのである。
吉坊、この日最初の噺は「三枚起請」。
人間関係に相性というものがあるように、落語のネタにも相性は存在すると思う。要するに「苦手科目」のようなものだが、落語だから聴きたくなければ聴かなくても、成績にも収入にもまったく影響はない。とは言え、寄席に来たからには逃れられないという厳しい現実もあるもわけで…。つまり小生は「三枚起請」は苦手なネタのひとつなのである。別に吉坊の噺が下手くそだったということではない。むしろ、よくもまあしっかり練りこんで高座にかけているもんだと感心することしきりであったのだ。これまでにもいろんな噺家の「三枚起請」を聴いたが、ほとんどが師匠クラスかそれに準じる方たち。それゆえに余計に感心するのだが、それでも苦手なことには違いなく、「もうええやろ、ここらで落としてくれ~」と、噺はこれからいよいよという時点で悲鳴を上げていたのだから、どれほど苦手やねんと。
で、なんで苦手なのかは、一向に理由が不明である。こんな塩梅で堪忍してください(笑)。
ゲストは春野恵子。「両国夫婦花火」は大好きな演題。「三枚起請」には申し訳ないが(笑)。
この曲によると、江戸の花火屋、玉屋と鍵屋は非常に友好的な関係だったということになるが、果たしてそうだったのか? まあそこは、そうでないとこの曲が成り立たないから詮索はよそう。にしても玉屋の旦那はモノわかりのいい好人物である。
今宵は落語会ということで、どういう場面で手を鳴らせばいいか、「多分、今やろな~。けど違ってて自分だけ手叩いてるの恥ずかしいな~」と躊躇しているお客が多かったんじゃないかと思うけど、ご親切なるケイコ先生は「ここ」という場面で軽く頭を下げてくれるので、そこでど~っと拍手が起きるという運びに。好きになれば、自分でライブの場へ足を運べばいい。もっといろんなことがわかってくる。それも楽しい。けど、自分で足を運ぶほどでも‥という人に対して、こんな具合にナビしてくれると非常にありがたい。こんな感じで、浪曲に目を向けてくれる人がもっと増えたらいいな。
トリはもちろん吉坊で。最初に本人も断っていたが、芝居噺というのは、やっぱりやってる方が楽しい噺で、ややもすれば客は置いてけぼりを食らうもの。でもまあ、機嫌ようやってはるから付き合うたろかみたいな。今宵の「本能寺」はもちろんその典型で、いやもう楽しそうにやってたね。定式幕仕様の手ぬぐいも用意周到で笑えた。こっちから見てたら、文楽みたいに「上手」から開けていってた。
とにかく芝居噺は吉坊の本領が発揮されるネタ。だからたとえ「やってる方が楽しんで」いても、観ていて楽しい。これ、やるほうが中途半端なことすると客も白けてしまうから、やるなら徹頭徹尾芝居に没頭してもらわないとあかん。その点、吉坊なら安心。とにかく古典芸能の引き出しの多さは、上方落語界でも上位ランクに位置する彼だから、安心と信頼の芝居噺ということになる。
オチの「青田」、なるほどそういう意味か~と。どっかで使えんかなと思いつつも、やっぱ、これは芝居噺だから使えるオチやなと。
今回も、心地よく家路につかせてもらうことができた。おおきに。
次回の「吉坊ノ会」は12月。大阪は13日。また来させてもらいま。
(平成28年4月19日 近鉄アート館)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。