【上方芸能な日々 文楽】平成28年新春公演 巻一

人形浄瑠璃文楽
平成二十八年初春公演一部 

嶋さんの引退公演(正式には2月の東京が正真正銘の最後)となった今年の新春の文楽。
寂しい公演ではあるが、一方ではいつものように正月らしさが漂う文楽劇場である。
小生は、これまたいつものように3日の初日のチケットを取れずというだらしなさ(笑)。

IMG_25381階ロビーには黒門市場から運ばれた「にらみ鯛」

IMG_2540春日大社宮司揮毫による「申」の色紙

IMG_2541開演前の床にはお飾り

IMG_2528舞台の上にも春日大社宮司の書かれた「申」の文字とにらみ鯛

そして…。
決して「この日だから」と選んだわけでなく、まったくの偶然なんだけど、どういうわけか毎年、1年最初の文楽見物の日に十日戎と重なって、福娘さんが福笹授与にお越しになる(笑)。

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まずは11時からの第1部を見物。
さすがに嶋さんの引退狂言がかかることと、宵戎の土曜日ということもあって、ぎっしり満員。やっぱり何事も満員は気持ちがよい。

新版歌祭文(しんぱんうたざいもん)

■初演:安永9年(1780)、大坂竹本座
■作者:近松半二

 

【座摩社の段】
睦大夫、宗助
睦には悪いが、印象が残らず。登場人物多く、面白い展開なのに。ここは宗助の三味線を聴く段と割り切る。大概の場合、野崎村のみの上演になるが、今回はこの段もやってくれて、なかなか親切(笑)。これで「野崎村」が生きてくるというもの。こういうことが、ファンサービスだと思う。

【野崎村の段】
この名曲を出囃子にしていた三代目春團治師匠、亡くなりはりました…。「ええ調子のリズムやな」とうっとりと聴きながら、この日もいつもと同じように「春團治さん、元気にしてはるかな」なんて思ってたのだが、まさかこの日にあの世に旅立ってはったとは…。

(中)靖大夫、錦糸
靖が本当によい。すっかり頼もしくなった靖を自在に操る錦糸は、嶋さん引退後、誰と組むんだろうか?

(前)呂勢大夫、清治
野崎村を三人の太夫がリレーしたが、呂勢が一番良かったかなと。少し前まで、「そこは清治師匠の三味線あってのこと」と、但し書きが付いたが、最近はそういうわけでもない。が、そうなると、それなりに粗も見えたりするもので、そこを一つ一つクリアしてゆくのを何年もかけて見てゆくのが、古典芸能の楽しみ。

(切)咲大夫、燕三 ツレ・清公
嶋さん引退で、唯一の切場語りの太夫となってしまう咲さん。ちょいと最近精彩を欠いているような気がする。もう1回行く予定なので、その時には違ったものが聴けることを期待。そして、ツレ弾きの清公登場で、「野崎」の名曲。

船頭を遣う人形遣いの見せ場でもあり、今公演は紋秀。見せ場ではあるが、見せすぎないようにすることが肝要。

人形陣では、久作の玉也、お染の清十郎がよかった。お勝の紋壽師匠も元気そうで何より。下女のおよしは、トリプルキャスト。珍しい。玉峻(3日~10日)、玉延(11日~19日)、蓑悠(20日~26日)。若き3人にも注目したい。

お弁当の時間、「ちゃっちゃと席に戻りなさい!」とばかりに、いつもよりちょいとばかり早めにブザー鳴って、いよいよ嶋さん引退の舞台に。

「引退披露」 嶋大夫、寛治 口上・呂勢大夫
嶋さんと寛治師匠は、平伏のまま言葉は発しない。ひたすら呂勢が口上を述べる。しかし、なんで人形部からは誰もこの列に加わらないのか? そういう仕来りなのか? たしか玉男の襲名披露の時には、太夫代表で嶋さんがお祝い口上述べたわな? ま、色々悪い方へ想像をめぐらせる人が多いから、せめて番付(公演パンフ)には、「これこれの形でこういう引退披露を行います」みたいな説明があってもよかったんではないかなと。そういうのをしないのが、文楽でもあるわけだが…。

八代豊竹嶋大夫引退披露狂言
関取千両幟(せきとりせんりょうのぼり)

■初演:明和4年(1767)、大坂竹本座
■作者:近松半二、三好松洛、竹田文吾、竹田小出雲、八民平七、竹本三郎兵衛合作
*世話物、全九段からなるが、現在は二段目「猪名川内」「相撲場」のみの上演


【猪名川内より相撲場の段】

芝居は南、米市は北、相撲と能の常舞台、堀江堀江と国々へ響きたる猪名川が…

今では「ミナミ」の一角に「編入」された感のある堀江だが、かつては相撲、能と言えば堀江と言われていた時代があったわけだ。縁は異なものと言うと強引だが、今、とある特務指令で、その堀江の一角で人に説明してもよくわかってもらえないであろう業務をこなしている。一昔前までは家具の街だったが、最近はおしゃれなカフェやらセレクトショップが並んでいる。かつてここが大坂相撲の聖地だったことなんて、こういう店に出入りする人たち、だれも知らないんだろうな…。ま、知らなくても差しさわりはないけどな。

嶋さんをお気に入り太夫の一人として、意識し始めたのは多分、昭和62年の夏休み公演『夫婦善哉』あたりだと思う。すごく嶋さんらしい語りであり、文楽が一層好きになった演目でもあった。

意識し始めたとは言え、あのころは、越路はんも元気だったし、住さんや織さん(源大夫)、津大夫、呂大夫、伊達路はんに十九さん…と、太夫陣が実に充実していたから、いかに嶋さんと言えども、この豪華布陣にあっては「ああ、嶋大夫いうのもいてるな」って感じだったと記憶する。

ところが、「豪華布陣」と言っているうちに、あの人が引退し、世を去り、または文楽から身を引かざるを得なくなったりしているうちに、結局、住さんと嶋さんに頼らざるを得ない状況になってしまい、ついには住さん引退、療養中だった源大夫が引退そして鬼籍入り、ついに嶋さんも引退となってしまう。

あのころの「豪華布陣」の風を感じていた小生としては、残酷な時の流れを痛感するとともに、よくぞあの空気を吸うことができたものだと、それを奇跡とすら思う今日この頃なのである。

嶋さんの引退披露狂言は、いわゆる「並びもの」「掛け合い」という形になった。切場として、クライマックスシーンを語って退くのが理想ではあるが、掛け合いで途中に三味線曲弾きが約10分入るという、人によっては「なんだかな~」って形での引退披露狂言となった。小生としては、こういう形に落ち着いたということは、おそらく、今の嶋さんの体調などすべてを考慮した結果でのことだろうから、素直に受け止めたいと思うのだが…。

太夫/おとわ:嶋大夫、猪名川:英大夫、鉄ヶ嶽:津國大夫、北野屋:呂勢大夫、大坂屋:始大夫、呼遣い:睦大夫、行司:芳穂大夫
三味線/猪名川内=寛治、相撲場=宗助、曲弾き=寛太郎
胡弓/錦吾

ゆかりの太夫や門弟、人間国宝の寛治師匠に蓑助師匠らが、嶋さんの引退の舞台に花を添える。とりわけ、英大夫は、嶋さん若き日の師匠、豊竹若大夫の孫だけにこうして並んで引退の舞台を務めることに、どちらも感慨無量のものがあるはず。

やはりここは、嶋さん自身も「情があっていいんですよ」と言う、<おとわのクドキ>の名場面、いわゆる「髪梳き」が胸に響く。ただ…。座席が目の前だったからかもしれないが、錦吾の胡弓がうるさかった。せっかくの名場面なのに嶋さんの声が胡弓の♪キィ~~って音に消されているようで、「嶋さんをもっと!」と感じてしまう。鳴らせばええいうもんでもなかろうに…。こういう時は、寛治師匠の三味線すら不要と思えてしまうのだから、勝手と言えばそうかもしれないが、もうこれきりで嶋さんの「ナマ声」を聴けなくなるかと思うと、何もかもが邪魔になってしまうのである。

一方、人形は何と言ってもおとわの蓑助師匠が秀逸。これはもうねえ、嶋さんの引退だからとかいうハナシやなくて、一言「参りました!」としか言葉が見当たらない。猪名川の玉男も鉄ヶ嶽の文司もよかったが、蓑助師匠が全部持っていってしまった。

さて、人によっては「聴きどころ」「こんな邪魔なことするな!」と賛否ある「櫓太鼓曲弾き」を寛太郎が務める。寛太郎はまだ子供の時から弾いていた子だし、寛治師匠のお孫さんという血筋もあるから、若くして手の良く回る弾き手であるのは、誰もが認めるところ。もちろん、千両幟の見せ場のひとつがこの曲弾きなんだから、存分にやればいい。ましてや「家の芸」なのだからきちんと継承すべき責務も彼にはある。ただ、演奏時間が長すぎたと感じたのは小生だけか?

この後、舞台は相撲場に。文楽劇場で猪名川、鉄ヶ嶽の取組が行われるのは昭和61年7月以来30年ぶりだという。なかなか白熱の好一番でござんした(笑)。

ただ、エンディングで駕籠に乗って去って行くおとわさんが切なくてねぇ…。何がどう切ないかは、実際に劇場で! と言うものの、すでにチケットはSOLD OUT目前だから、気になる人は早急に行動起こしたほうがいいよ。

名残の嶋さんの千両幟。なんか「わさわさした感」が強いが、どうしたことか、小生の隣席の中年男性は、ずっと号泣していたなあ。文楽で泣く人は小生含めて、全然珍しくもなんともない普通の光景だが、あそこまで号泣した人は初めて見た。身内なのか? 元は嶋さんの弟子だったのか? 何者? で、千両幟が終わると同時に帰ってしまった…。なあ、全部観て行けよな…。

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釣女

嶋さんを堪能(するまでいかなかったが)した後は、気楽な文楽で最後は愉快な気持ちで帰ってねと、楽しく。「オイシイ役どころ」である醜女を遣う玉佳。やっぱりアナタなのね、こういうのは! こういうところは、文楽劇場もお客のリサーチが行き届いている(笑)。

色々書きなぐってたら、第2部の『国性爺合戦』まで書く気力無くなったから、それはまたの機会に…。

ほな、また。

(平成28年宵戎 日本橋国立文楽劇場)


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