第二十五回 上方歌舞伎会
日ごろは脇役として歌舞伎の舞台を支える役者たちが、上方歌舞伎の伝統継承のために、普段は役が回ってこないであろう主役や大役に挑む「上方歌舞伎会」も、今回で25回を数える。最初は「若手」として参加していた役者も、「ええおっちゃん」の年頃になっているから、その重みや芸の積み重ねを実感する。
指導に当たるのは、我當、秀太郎、仁左衛門の松嶋屋三兄弟ではあるが、鴈治郎や吉弥も指導協力、指導補に名を連ね、上方舞の山村友五郎も振付を担当するなど、上方が総力をあげて上方歌舞伎伝承に力を注ぐ。裏を返せば、出演陣への大いなる期待の表れでもあり、それを満場の観客が後押しするという、非常によい感じの舞台が毎年、披露される。楽しみにしている歌舞伎ファンも多い。
今年は、『双蝶々曲輪日記』が、ほぼ通しで上演される。これは楽しみ。
開演前は緞帳、幕間は定式幕。定式幕、文楽は上手から下手へ開けるが、歌舞伎は下手から上手に開ける。また、文楽劇場の緞帳は昨年の開館30周年を機に新調され、四季折々に応じた図柄が使われる。そして…。いくら花道間際のお席だからって、役者さんの裾を引っ張るなんてことは、決してしないこと。たとえ村の子供歌舞伎でもそんなことしちゃ、いけません(笑)。
双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)
指導=仁左衛門、秀太郎、我當
◆初演:寛延2年(1749)7月、大坂竹本座で人形浄瑠璃にて初演
◆作者;二代竹田出雲、三好松洛、並木千柳
「双蝶々」は、登場する「濡髪長五郎」、「放駒長吉」の「長」、二組の遊女とその情夫の物語を掛けている
昨年秋、文楽でも上演されたこの演目。その際上演された「大宝寺町米屋の段」と「橋本の段」は、今回は省かれ、「道行 乱朝恋山崎(みちゆき/みだれてけさ/こいのやまざき)」が上演される。
つい先日、近鉄アート館で『晴の会(そらのかい)』を見物したばかりだし、そのときの出演者3人、片岡松十郎、片岡千寿、片岡千次郎、さらには毎年、出演を楽しみにしている片岡松太朗と、期待の新鋭、中村未輝(みき)について、振り返ってみたい。
まずは、未輝。子役として、歌舞伎の舞台や映画などでは何度か見ているが、歌舞伎俳優として歌舞伎の舞台でこの子を観るのは初めて。今年正月の、松竹座での鴈治郎襲名披露の番付に、15歳の彼が藤十郎の部屋子となって、正式に歌舞伎俳優としてのスタートを切ると、紹介されていたと、拙ブログでも取り上げた。さて、どんな芝居をするんだろう…。
出番は、序幕「堀江角力(すもう)場前の場」。山崎屋与五郎に付き添って来た、丁稚三太で登場。丁度小生の席の右横の花道で、二人のやり取り。小生、かなりしんどい姿勢で二人を見上げる(笑)。出番としては5分もなかったが、みんなこんな感じでスタートしていくのだ。2014年の「おおさかシネマフェスティバル」で、新人男優賞を受賞した実力派(作品は『少年H』)。歌舞伎で大いに花開いてほしい。と、ほとんど父親の気持ち(笑)。
『晴の会』の3人は、「八幡の里引窓の場」での女房お早(千寿)と母お幸(千次郎)が印象深い。この幕には、南与兵衛後に南方十次兵衛で松太朗、平岡丹平で松十郎も出ていたんだけど、千寿と千次郎が圧巻だったので、残念ながら印象に残る、というところまでには至らなかった。それほどに千寿、千次郎の芝居がよかったわけで。
特にお幸の千次郎は、実の息子・濡髪長五郎と継子の与兵衛との間で、激しく行き交う心情表現が見事で、ご見物にもしっかり伝わっていたんじゃないだろうか。そのお幸の苦しい胸の内を受け止めていた千寿のお早も、よく演じられていた。看板役者が演る両役にひけをとるものではなかった。
これに、序幕から存在感の大きさをよく伝えていた濡髪の松四朗の3人で、この場をグイグイ引っ張っていた。その分、他の出演陣の印象が薄くなってしまったのは、いたし方なしというとことか。
◇
毎年、色んな発見があり、「?」があり、「!」がある「上方歌舞伎会」。何人かの役者に目をつけておいて、その成長ぶりを見るのも楽しみの一つ。何よりも「お席がお安い!」のは大きな魅力(そこかい!と言う事勿れ。それが一番大事)。幕間のロビーには、何気に秀太郎丈がフレンドリーにご見物衆と歓談していたりするのも、この公演ならではの光景。歌舞伎観劇に二の足を踏んでいる人、来年はぜひとも!
(平成27年8月22日 日本橋国立文楽劇場)
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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