香港の主権が、英国から中国に還って18年となった。
個人的にも色々と波乱に満ちた18年だったが、香港のこの18年もまた、波乱に満ちており、まったく香港市民の思うようにはなっていない。さりとて、北京から眺むれば、「まあ、こんなもんだろう」というところで、「極めて順調」とまではいかないけど、想定範囲内で推移しているんじゃないだろうか。それが香港にとっていいことなのか、悪い事なのかは、それぞれの立ち位置でまったく見解が異なってしまうのは当然として、敢えて言えば、昨年の「佔中=雨傘行動」はその立ち位置にかかわらず、「ちょいと思ってもみなかった」ことだったかもしれない。
1997年6月30日。香港総督府を離れるパッテン総督と国旗降旗式。事あるごとに英領香港旗を振って「香港独立」を訴える集団の気持ちも、わからないではない…。が、そいつは、あり得ないわな、悲しいかな。
7月1日の香港、例によって民主派のデモが行われた。
6月4日の天安門事件を追悼する集会とともに、小生が在住中、ほぼ欠かさず毎年観察してきたデモのひとつである。
2003年には、国家安全条例の立法化をめぐって、反発した市民が50万人(主催者発表)で街に繰り出した。翌2004年はさらにこの数字を上回り、52万人(同)が街に出て、今度は「全面普通選挙の早期実現」を訴えた。50万人デモの熱気を今も忘れていない。忘れようにも忘れることなんてできない。あれだけの数の市民が、香港島のメーンストリートを埋め尽くす光景は圧巻で、単なる見物人とは言え、その中に自分もいるということに興奮を覚えずにはおれなかった。それはそれで、香港在住のよい経験にはなった。ああいうのは、日本では経験できないからねぇ。
今年のデモは、2003年以降で最低の参加者となった。主催者発表で4万8千人。警察発表では、ピーク時に1万6500人。どのポイントでどういう方法でカウントするかで、この数字も大きく変わるのは言うまでもないが、概ね、警察の数字が極めて実数に近いと思われる。
毎年「人数の問題じゃない」と述べて来たけど、この光景には愕然とした。昨年の「雨傘」以降、特区政府とその先にある中央政府への反発は、返還後最悪レベルにまで強まっているのは、先刻ご承知のこと。それだけに、今年の7.1デモも10万人規模に膨れ上がるんだろうと予測していたが…。
主催者の「民間人権陣線=民陣」では、低調に終わった原因を、「2017年の行政長官選挙における制度改革が先ごろ立法会で否決になったことで、市民の間に逼迫した危機感がなくなったため」としているが、いやいや、逼迫しているだろう。「否決」はされたけど、結局それは「一人一票」の夢をさらに遠ざける結果になったのだから、より一層の危機感を持つべきなんじゃないかと、小生なんぞは心配してあげるのだが、「雨傘」以降、どうも賢明なる香港市民の皆さん方は、「デモ疲れ」してしまったようだ。
1997年7月1日、祖国回帰第1日目から、明けても暮れても「デモ、デモ、デモ…」。何度、民主化要求のデモを行ってきたことか…。それでも、中央の対香港政策を切り崩すことはできず、ついに18年経過した。頼りにしていた民主派は、常に離合集散を繰り返してきた。そして、香港第一主義・徹底反共を旨とする「本土派」、香港独立を謳う「独立派」など、異形の民主団体を生み出し、親中派との流血沙汰も起きている。
これも毎度繰り返して言って来たけど、結局はこの混乱は、返還以降ぶれることない「民主派のミスリード」が生み出した。これだけは、民主派には重々責任を感じてもらいたいものだと思う。
まあ、親中派は親中派で、これもイマイチなのは確か。民主派を数で圧倒するまでの勢力はないので、とりあえず、中央の指示待ち姿勢。これじゃ民主派以上に市民の支持を得られないのは当たり前なのだが、香港には古くからのバリバリの左派陣営もあるし、昨今は大陸から合法的に香港に移住してきた「新移民」なんかも増えているので、じわじわと勢力を伸ばしているのも確か。恐らく「50年不変」が終わった51年目、33年後には、政治の世界はほぼ親中派で占められているんじゃないだろうか…。いや、もっと早いかな…。
1日付『蘋果日報』のウェブ版では、「回歸18年 是福是禍?=返還18年、幸福か禍(わざわい)か?」という映像をつけて、18年間を振り返った。まあ、この新聞の立場上(笑)、かなりネガティブな内容で、「おいおい、そこまで香港、悪くはないぞよ」と突っ込みたくなる内容ではあるが、さりとて、誇張しているわけでもなく、ネガティブなりに18年を振り返り、ネガティブなりによくポイントをついていると思うので、ぜひご観賞を。
映像の中で、いくつかのデータが出てくるが、それは下記の通り。*クリックで拡大可能
まず、歴代特区行政長官3人の支持率推移。当代の梁振英長官のダントツの低さが際立っている。スタート時点からすでにその低さは、過去の2人よりもはるかに低い。昨年の「雨傘」で40ポイントを割るかと思われたが、近頃はちょっと持ち直したか。それでも不人気だった初代の鄧建華よりも低いのだから、こいつは筋金入りの嫌われ者だ。
次に返還以降の不動産価格。1平方スクエアフィート(≒0.093 平方メートル)あたり、返還の1997年で、HK$6,088(≒94,364)。2003年、SARSで一気に下落して、ここが底値。SARSで落ち込んだ香港経済救済の一環で、大陸人がノービザでどんどん香港へ遊びに来る枠が拡大されるにつれて、2010年ごろから急上昇。今やSARSの頃の4倍に迫る勢い。「若い世代が物件を買えない」と、昨年の「雨傘」でも日本でよく報道されていたが、若い人どころか、ちょっとした小金持ちでもマイホームの夢は遠ざかる一方。原因はやっぱり大陸人の「爆買い」。
もうひとつは、これも度々話題になるが「香港人なのか、中国人なのか」という自己のアイデンティティの推移。一時は「中国人」だとする人が、「香港人だ」とする人を上回ったけど、最近はまた「香港人」とする人が多い。ただ、これもずば抜けて多いというわけでもなく、「中国の香港人」とする人や「中国人」とする人と大きな差はない。また何か「事変」があると、この数字も大きく変動する。「揺れ動く香港人のアイデンティティ」は、香港が香港である限り、永遠に消えることはない。さすがに返還前のように「英国領の香港人」というカテゴリーはもう無いけどね。
返還から18年を迎えた香港の昨今を、7月1日のデモを中心に眺めてみたが、すでに次の選挙で投票権を獲得する年代は、返還以前の香港を知らない。当然「返還前はあーだった、こうだった」という話も通じなくなってくる。改めて、英領香港は遠い昔の話になりつつあるのを痛感する。民主派はもちろん親中派もこの世代が納得する政策を掲げないと、また昨年の「雨傘」のような事が起きるだろう。見たところ、今の民主派にも親中派にも、そんな魅力的なことができる人士はいない。結局、中央の動向を見ながらという、これまでと何ら変わり映えしない政治と対立が続いて行くのだろう。香港の未来は暗澹たるものだと感じた、返還から18年の7月1日だった。
在大阪香港永久居民。
頑張らなくていい日々を模索して生きています。
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